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縄文時代の陥し穴2025年01月21日 00:27

縄文時代の陥し穴(じょうもんじだいのおとしあな)は2025年1月18日に行われた古代史講演会のテーマである。

概要

  • タイトル 「縄文時代の陥し穴」
  • 会場    東京都埋蔵文化財センター 会議室
  • 講師    齋藤由美子氏(東京都埋蔵文化財センター調査研究員)
  • 日時    2025年1月18日(土)13時30分から15時30分

要旨

陥し穴とは

陥し穴は地面に穴を掘り、その底面に逆茂木を埋め込み、穴の上面に草や土を敷き詰めてカモフラージュし、そこを通過した動物を穴に落下させて捕獲する狩猟装置の一つである。陥し穴は丘陵や台地の斜面などの傾斜地に多く作られる。陥し穴と判断できるのは、断ち割りすれば底面に逆茂木が見つかるからである。上部に敷き詰めた草や土の痕跡が残る場合もある。 穴の形は円形又は楕円形である。陥し穴はほぼ日本全国でみつかっている。陥し穴を日本で始めて報告したのは、神奈川県の横浜市緑区霧ヶ丘遺跡の報告書であった。それによれば、最も深いもので1.7mを超える穴の深さがあり、底面に向かうにつれて径が狭くなる形状である。底面には竹や木の穴を刺した跡が見られ、落ちた動物が身動きがとれないようにするためのものと判断された。

江戸時代の動物との攻防

江戸時代の東北八戸藩では、18世紀中頃に猪の食害で、「猪飢渇」が生じたという。冷害に猪害が加わって生じた飢饉であったという。当地の方言で「いのししけかち」(いのししけがち)と読む。猪垣(ししがき)は害獣の侵入を防ぐために山と農地との間に築かれる垣根、石垣、土塁である。石垣は1.5mの高さである。この高さを猪は乗り越えられない。

陥し穴の分類による分析

講演者は陥し穴を底面長軸の長さと長短軸比の組み合わせにより20種類に分類し、地域的特性を調べた。南関東では、丘陵部と台地部とでは形状が異なることを発見した。南関東の丘陵部では長短軸比の中央値が0.315であったが、台地部では0.138と非常に細長くなっている。楕円形の陥し穴は北部九州と南関東の台地部で多い傾向がある。円形は中国地方の中国山地沿いの標高の高い処で多い傾向が見られた。旧石器時代の陥し穴は1遺跡で1基から2基が多い。

考察

縄文時代の土坑は陥し穴、お墓、貯蔵穴など様々な種類がある。それらは土坑の形状や出土遺物、堆積土の状況から区別する。墓では副葬品の有無、埋葬に伴うと考えられる遺物が出土すること、穴のサイズ形状が人間を格納できる寸法であるかどうかにより判断できる。貯蔵穴は断面の形が袋状であり、掘り込みは浅めのものが多い。直径・深さともに1m内外の土坑である。集落内の一定の場所に設けられ、その内部からはドングリ・クルミ・クリなどが発見される。 貯蔵穴と墓は集落内や集落の近くにある程度まとまって検出される特徴がある。 陥し穴は多くの場合、山の傾斜部などでみつかるが、集落内で見つかることもある。 平面形状が円形や方形は陥し穴、であるが貯蔵穴にも円形や方形は見られる形状であるから穴の形状は決定要因にはならない。陥し穴は列状に並ぶ場合もある。 陥し穴は坑底(土坑の底面)に逆茂木などの施設があることが多い。 船久保遺跡(横須賀市、旧石器時代)では穴は1m×50cmの長方形の穴で、深さは2メートルほど。調査範囲だけで13基あり100mにわたって等間隔に並んでいた。深くなるに従って幅が狭くなるとの狭い部分に鹿の足が入り込むと鹿は動けなくなる。シカは後ろ足の力は強いが、前足が落ちると脱出できないという。船久保遺跡では四角い穴が、谷筋に沿って列になっている。

参考文献

  1. 齋藤由美子(2025)「縄文時代の陥し穴」講演資料
  2. 佐藤 宏之(2009)「日本列島旧石器時代の陥し穴猟」国立民族学博物館調査報告33
  3. 足立 拓朗(2018)「石川県内の縄文時代陥し穴猟」

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