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2025年02月20日 00:15

(ゆみ)は射撃用の武器である。長さ2mほどの丸木弓が大半である。

概要

弓矢の登場は縄文時代が定説であるが、旧石器時代からあるとの説もある。 槍は「石槍」として旧石器時代に登場し、集団でナウマン象やオオツノジカ、マンモスやヘラジカなどの大型動物の捕獲に用いた。 気候が温暖化すると落葉広葉樹林や照葉樹林が繁茂し森が形成され、小型動物が現れた。植生が変わり、大型動物は絶滅した。そこでイノシシやシカといった中小動物に対応するために、弓矢が使われるようになった。動きの速い動物には槍では逃げる速度に間に合わない。槍は重いので何本も持てないが、弓矢は複数本を持つことができる。弓は木製であり、木製の矢の先に、するどくとがらせた頁岩や黒曜石を矢尻として尖頭器を取り付けた。

荒尾南遺跡2025年02月20日 00:26

荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)は岐阜県大垣市にある弥生時代から古墳時代にかけての複合遺跡である。

概要

美濃地域を代表する大規模遺跡である。大垣市の西北部、揖斐川が形成した標高6m前後 の沖積地に立地する。南北750m、東西250mに広がる細長い遺跡である。大量の土器・石器・木製品のほか、東海地方最古級の倭鏡、巴形銅器、車輪石、黒色顔料が残る手捏土器などの遺物がみつかった。遺跡の南縁に位置する桧集落は杭瀬川により形成した自然堤防帯に立地することから、微高地に囲まれた荒尾南遺跡と桧遺跡の間は、排水性の悪い低湿な環境であった可能性がある。一般集落の農具や工具、容器のほか、銅鏃や、権力の象徴とされる儀杖などの威儀具などが出土しているため、首長層の住んでいた遺跡と考えられる。

調査

平成6年度に財団法人岐阜県文化財保護センターが遺跡の南西部2,560㎡の調査を実施した。弥生時代後期の方形周溝墓を4基検出し、そのうちの1基の周溝から3艘の船を線刻で表現した壺が出土した。平成8年度に大垣市教育委員会により遺跡の南部3,000㎡の調査が実施された。溝内から木製の杖の飾りや木製農具の未成品などが出土した。土笛などの楽器類、様々なまつり道具が検出されている。銅鐸の本体は出土していないが、弥生時代後期銅鐸飾耳が出土した。

線刻土器

82本のオールを持つ大型型船が描かれた弥生土器広口壺が出土した。口径は12cm6mm器高は17cmである。中央の大型船は、船首と船尾がイチョウの葉の形である。大型船の左右には、側面から見る形の帆掛け船が描かれている。方形周溝墓の溝から、細かく割れた状態で出土した。

年代測定

地区から出土した土器付着炭化物を対象に加速器質量分析法(AMS 法) による放射性炭素年代測定を行った。弥生から古墳時代の土器6個体に付着した炭化物を対象とした。較正曲線データはIntCal09である。V- 1 期の土器付着炭化物は、199-54 BC (95. 4%) で、紀元前2 世紀初頭~前1世紀中頃の範囲を示した。V-2期の土器付着炭化物(2309 : PLD-20294) は、355-291 cal BC (39. 5%) 、23 2-152 ca l BC (51. 5%)、137 -114 ca l BC(4. 4%)で、紀元前4 世紀中頃~前2世紀後半の範囲を示した。VI 一1期の土器付着炭化物(781 : PLD -20 292)は、197 -8 7 ca l BC (85 . 0%)及び79-55 ca l BC (10 . 4%) で、紀元前2 世紀初頭~前1世紀中頃の範囲を示した。土器編年の新旧と土器付着炭化物が示した暦年代範囲の新旧は整合的であった。山中式期(概ねV 期併行)は西暦1 世紀中頃から2 世紀前葉、廻間I式期(VI期併行)は2 世紀後半期、廻間II式期(概ねVII期併行)は3 世紀前半期が想定されているが、測定結果はこれより古い時期となった。

遺構

  • 竪穴住居跡
  • ピット
  • 方形周溝墓47
  • 前方後方形周溝墓1
  • 竪穴建物4
  • 掘立柱建物4
  • 溝211
  • 土坑996

遺物

縄文時代

  • 縄文土器
  • 縄文土器(突帯文系)
  • 石器

弥生時代

  • 土師器
  • 須恵器
  • 石器
  • 弥生土器(遠賀川系+条痕文系)
  • 木製品
  • 銅鏃
  • 飾り弓
    • 河川跡の湿地状の堆積から出土した。長さ64.0cm、直径3.0cm。下端には小さな孔が2か所開けられており、その上方約12cmの所にも小孔が1か所開けられています。断面形が楕円形をしており、その上面に2から3cmの間隔で赤漆が塗られている。

指定

展示

アクセス

  • 名称:荒尾南遺跡
  • 所在地:〒503-0034 岐阜県大垣市荒尾町439
  • 交 通:東海道本線荒尾駅徒歩7分

参考文献

  1. 岐阜県文化財保護センター(1998)「荒尾南遺跡」
  2. 岐阜県文化財保護センター(2012)「荒尾南遺跡A 地区Ⅰ」岐阜県文化財保護センター調査報告書 第119集
  3. 岐阜県文化財保護センター(2013)「荒尾南遺跡A」

千塔山遺跡2025年02月20日 18:02

千塔山遺跡(せんどうやまいせき)は佐賀県三養基郡基山町にある弥生時代の環濠集落遺跡である。

概要

佐賀県三養基郡基山町大字宮浦字宿の標高50mの丘陵に位置する。弥生時代末期の環濠集落跡である。

調査

全面調査されており弥生時代の全時期の集落を知るための遺跡として重要である。発掘調査の結果、約40棟の竪穴式住居跡が確認された。集落の周囲は断面が「V」字形や「U」字形の溝に囲まれていた。弥生中期の集落は環濠を欠き、貯蔵穴を伴う住居群は、台地中央部に環状に分布する。弥生後期中頃に環濠が現れる。環濠はほぼ長方形となり、後期後半には拡大される。住居群は環濠の内外に4群が認められる。倉庫とみられる掘立柱建物は環濠内に限られる。

遺構

  • 環溝土塁
  • 塁濠(U字形+V字形)
  • 住居
  • 堀立柱建物
  • 箱式石棺墓
  • 石蓋土壙墓
  • 土壙墓

遺物

  • 銅製鋤先
  • 弥生土器
  • 砥石
  • 石庖丁
  • 石鏃
  • 鉄器
  • 石器

出土

後期の住居から鉄鏃、環濠から青銅製鋤鋤先、斧、鋤先、鎌などが出土した。青銅製鋤先は、溝や住居跡から計7点出土し、そのうち2点は完形であった。 そのほか弥生土器、砥石、石庖丁、石鏃、鉄器、石器など。

指定

  • 昭和61年(1986年)3月19日指定 県指定重要文化財

展示

  • 基山町立歴史民俗資料館

参考文献

  1. 基山町教育委員会(1978)「千塔山遺跡」

久が原遺跡2025年02月20日 20:20

久ケ原遺跡(くがはらいせき)は東京都大田区にある弥生時代後期の遺跡である。後期『久ケ原式土器』の標識遺跡である。弥生時代の大規模集落である。

概要

多摩川下流の呑川右岸の武蔵野台地の南の久が原台地にあり、大田区久が原4丁目から6丁目に所在する。1000軒を超える南関東最大の集落遺跡と考えられる。 弥生時代に1000軒を超える南関東最大の大規模集落遺跡である。

標識遺跡

南関東地方の弥生後期の土器編年基準の一つであり、「久が原式土器」の標識遺跡である。 遺跡は南関東後期弥生文化の標準遺跡となっている。

調査

1927年(昭和2年)区画整理事業に伴う道路工事中に竪穴式住居跡と弥生土器が発見された。 中根君郎、徳富武雄によって学界に報告され、1928年以来、甲野勇、菊池義次、片倉信光、樋口清之、森本六爾、山内清男らを中心とした数次の小規模調査が行われた。 1970年に組織的な発掘調査が行われ、久ケ原期から弥生町期にかけての竪穴式住居跡12が確認され、そのうちの7が完掘された、と考えられる。 環濠の覆土下層から中層で宮ノ台式土器、上層から久ヶ原式土器が出土した。環濠の構築時期は弥生時代後期初頭と推定。弥生時代後期の前半と後半の住居跡および環濠と推定される溝状遺構を検出する。カマドをもつ古墳時代末期の住居跡が発見された。

遺構

  • 方形周溝墓
  • 土坑
  • 縄文-落とし穴
  • ピット
  • 環濠
  • 竪穴式住居

遺物

  • 弥生土器
  • ガラス小玉
  • 管玉
  • 石器
  • 石製品
  • ガラス製品
  • 土版
  • 骨角器

アクセス

  • 名称:久ケ原遺跡
  • 所在地: 東京都品川区大井6-21-6
  • 交通: 東急池上線久が原駅

参考文献

  1. 菊池義次(1966)『久ヶ原弥生式遺跡』(『大田区の文化財 第3集』大田区教育委員会)』
  2. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  3. 菊池義次(1953)「久ケ原遺跡に於ける弥生式竪穴調査」(『古代 9』)
  4. 中根吾郎/富徳武雄(1929)「東京府久ケ原に於ける弥生式の遺蹟・遺物並びにその文化階梯に関する考察 1」(『考古学雑誌 19-10』)