四獣鏡 ― 2025年03月23日 00:48
四獣鏡(しじゅうきょう)は、4体の獣像を表した銅鏡である。獣像の間に神像が表される。
概要
神仙思想の神(東王父、西王母)と霊獣が表される。霊獣は虎と龍が多い。 文様を肉刻手法で表現するものと、半肉彫で表すものとがある。肉刻手法はほとんどが平縁であるが、三角縁もある。径は15cm前後が多い。
事例
- 四獣鏡 - 江田船山古墳、熊本県和水町、古墳時代
- 四獣鏡 - 亀尾山(古墳)出土 香川県小豆郡小豆島町
- 三角縁四神四獣鏡 - 前橋天神山古墳 群馬県前橋市後閑町、
- 三角縁五神四獣鏡 - 伝潮崎山古墳、兵庫県福山市、4世紀
- 画文帯四仏四獣鏡 - 御猿堂古墳、飯田市開善寺、古墳時代、重要文化財、
土坑 ― 2025年03月07日 00:23
土坑(どこう)は地面の土を掘り下げた遺構をいう。
概要
土坑には用途により呼び方を貯蔵穴、墓、落とし穴に分けられる。貯蔵穴は掘り込みが浅く、断面の形が袋状のものや平面形状が円形や方形のものがある。、中にドングリなどが格納されている場合がある。 墓は土坑墓といい、葬品や埋葬に伴う遺物があったり、人骨があることもある。 落とし穴は大型で掘り込みも深めである。坑底に逆茂木などの施設を持つことがある。 土坑の用途の区別は、その形状や深さ、出土遺物、堆積土の状況などから判断される。 土坑は英語ではピット(pit)という。日本では小さな穴をピットと呼んでいる。 土坑の中に炭化物、石器、石片、原石などが充填される例がある。
出土例
- 円形土坑 上総国分僧寺跡の土坑、10世紀末から11世紀前葉 直径1.5メートル未満の円形土抗である。土坑から鉄鏃が発見された。両刃の中央に鎬(しのぎ)を造らない平根鏃と呼ばれるタイプである。矢の用途としては、戦闘や狩猟を中心に考えられがちであるが、儀礼や呪術などにも使われていた。矢が魔除けなどに広く利用されていたことは、『粉河寺縁起』や『彦火々出見尊絵巻』などでも分かる。
- 南羽鳥中岫1遺跡土坑 土坑の形は円形と楕円形のものがあり、いずれも直径1m前後の大きさである。土坑から出土した遺物に、赤彩された浅鉢形土器、深鉢形土器、石製耳飾、土製耳飾、琥珀製の玉類、蛇紋岩製管玉、石匙、石斧、そして他に類を見ない人頭形土製品がある。
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂出版
四神鏡 ― 2025年03月02日 00:39
'四神鏡(ししんきょう)は方位を図案化し、宇宙の秩序を守る四神を配した鏡である。
概要
四神は青竜,白虎,朱雀,玄武をいう。当時の中国の宇宙観を反映した漢式鏡である。中国で漢代に多く作られ、朝鮮の楽浪古墳、日本の弥生時代の遺跡や初期の古墳からも出土する。 四神を表す鏡には、鋸歯文帯四神鏡、方格規矩四神鏡、四神十二支紋鏡、三角縁四神二獣鏡、三角縁獣文帯四神四獣鏡などがある。
方格規矩四神鏡
円形の鏡の外形で「天」、方格で「地」を表す。その間に四神と瑞獣、仙人などを配置する。 方格規矩四神鏡は弥生時代の北部九州の墓から出土するが、古墳時代前期にも見られる鏡である。
参考文献
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
鞍 ― 2025年02月21日 23:20
鞍(くら)は馬や牛などの背に固定し、人や物を乗せるための革または木製の道具である。
概要
馬と馬具は古墳時代3世紀から7世紀頃に朝鮮半島からもたらされたと考えられている。古墳時代には、金銅製の鞍金具や加工しやすい木製の鞍が使われていた。鞍は木質部分が大半を占めるため、残存しない。実物資料として残るのは古墳出土馬具の金属製の鞍金具が大部分であり、居木・鞍橋部の形状や構造は主に奈良時代の伝世品から遡上して類推するしかない。
鞍の構造
「前輪」、「後輪」と両者をつなぐ「居木」で構成する。「居木」は鞍に掛かるさまざまな加重を馬体に伝える役割がある。鞍を馬体へ固定するために腹帯・胸繋・尻繋が使われたと考えられる。
出土
- 金銅製鞍金具 - 藤ノ木古墳、奈良県橿原市、古墳時代 6世紀、国宝
- 木製鞍前輪 - みやこ遺跡、佐賀県武雄市、平安時代末期
- 金銅鞍金具 - 三国(新羅)時代、6世紀、五島美術館、国宝
- 鞍金具 - 足利公園麓古墳、栃木県足利市、古墳時代・6~7世紀
参考文献
須恵器 ― 2025年02月21日 00:10
須恵器(すえき)は青灰色をした硬い土器である。「行基焼」「曲玉壺」とも言われる。
概要
須恵器は窯を使い、高い温度で焼きしめてつくるため固く、液体を入れるために適する。 薄くて硬いが熱には弱い。古墳時代には祭祀や副葬品として使用されたが、奈良時代には日用品となった。須恵器は高温で焼くため膨大な燃料が必要であり、技術も必要であった。 土師器は、多孔質のため水漏れしやすく、液体貯蔵や食器には不向きであったが、須恵器はその欠点を補う。
伝来
須恵器の源流は朝鮮半島新羅の青灰色または黒色を呈する糖質土器や洛東江流域に分布する伽耶式土器とされる。古墳時代に朝鮮半島からその製作技術が伝えられたとされる。日本書紀雄略7年の条に百済から渡来した「新漢陶部高貴」の名前が見える。朝鮮語では鉄を「スエ」と発音し、須恵器は表面を叩くと鉄のように高い音が響くためにこの名が付いたと言われる。
用語
平安時代の文献『延喜式』や『和名抄』に「波爾」を「はじ」と読む。
出土例
甕、壺、蓋坏、高坏、器台、鉢、甑などがある。
- 須恵器 祇園大塚山古墳、千葉県木更津市、5世紀中葉
- 須恵器 大阪府陶邑窯跡 大阪府堺市、重要文化財
- 装飾付須恵器 豊田大塚古墳、 重要文化財
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂出版
弓 ― 2025年02月20日 00:15
弓(ゆみ)は射撃用の武器である。長さ2mほどの丸木弓が大半である。
概要
弓矢の登場は縄文時代が定説であるが、旧石器時代からあるとの説もある。 槍は「石槍」として旧石器時代に登場し、集団でナウマン象やオオツノジカ、マンモスやヘラジカなどの大型動物の捕獲に用いた。 気候が温暖化すると落葉広葉樹林や照葉樹林が繁茂し森が形成され、小型動物が現れた。植生が変わり、大型動物は絶滅した。そこでイノシシやシカといった中小動物に対応するために、弓矢が使われるようになった。動きの速い動物には槍では逃げる速度に間に合わない。槍は重いので何本も持てないが、弓矢は複数本を持つことができる。弓は木製であり、木製の矢の先に、するどくとがらせた頁岩や黒曜石を矢尻として尖頭器を取り付けた。
石鎌 ― 2025年02月18日 23:08
石鎌(いしかま)は鎌の形状をした打製石器または磨製石器である。
概要
穀類の穂摘み用具と想定される。石包丁と比較すれば分布圏は狭く、出土例も少ない。 刃が鋭くないので、農工具ではなく武器として使われたとの見解もある。 弥生時代の九州や本州西端で出土する。朝鮮半島、中国大陸河南・河北省方面から類似の磨製石器が出土するので、大陸から朝鮮半島を経て、渡来したと想定される。 古墳時代前期から中期(4~5世紀)にかけて各種の石製模造品の斧、櫛、鎌、鏡が作られた。奈良県メスリ山古墳から石鎌が出土した。
出土例
- 石鎌 雀居遺跡、福岡県福岡市、弥生時代
- 石鎌 板付遺跡、福岡県、弥生時代
- 石鎌 八日市地方遺跡、石川県小松市、弥生時代中期の大規模環濠集落
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