緑川東遺跡 ― 2023年08月12日 20:06
緑川東遺跡(みどりかわひがしいせき)は東京都国立市にある縄文時代早期後半から後期にかけての集落遺跡である。
概要
緑川東遺跡は東京都の西南部、多摩川の中流部左岸の青柳段丘面にある。2012年(平成24年)の調査で縄文時代中期末葉から後期初頭の敷石遺跡が発見された。東西径3.2m、南木径.1m。北側に縁戚が途切れる個所がある。床面に平らな河原石が敷かれ、縁には2、3段の積石がある。しかし炉や焼土がないため、これまでの敷石住居とは特徴が異なり、住居とは断定できない。
調査
石棒
「敷石遺構SV1」と名付けられた遺構の石敷きの建物跡の底面から長さ1mを超える大形石棒が4本並んで出土した。長さ100~110cm、最大幅10~14cmで、重量30㎏前後、形や大きさなどに強い規格性がうかがえる。頭部は半球状の笠形であり、1段と2段とがある。材質は安山岩系とみられる。表面に研磨した跡がみられる。意識から出土する他の石棒にみられる被熱痕、破砕痕は見られない。 大形石棒と言われる1mを超える石棒は、意図的に破壊された状態で出土することが多いため、本例のような大形品がほぼ完形で、かつ4本が整然とまとまって、かつ4本が整然とまとまって出土することはきわめて珍しい。全体を敲打によって成形されたのち、研磨によって形が整えられているが、下端部を含め敲打痕が残る。胴部半ばで膨らみを有する点など月夜平遺跡の石棒(No.146)とよく似た特徴を有しており、どちらもほぼ同時期と比定される。 発見当初から大きな話題となったが、その評価は未だに定まらない。特に大形石棒が設置されたのは「敷石遺構SV1」の製作時なのか、それとも廃棄時なのかという点について異なる意見が提出されている。炉跡を挟んで2本ずつ4本が整然と横たわるように出土した。 石棒は土偶とならんで、縄文時代の祭祀儀礼に使われた道具である。ほとんどは「まつりごと」の際に焼かれ、壊された状態で出土する。4本の石棒でどのような祭祀が行われていたか、今後、検証が必要である。 縄文時代の石棒祭祀の具体的なあり方を考える上で、学術的価値が極めて高いものであると評価された。これまでの調査結果から、当時の文化伝播や交流の証拠を示す重要な資料とされる。
遺構
- 竪穴建物
- 竪穴住居
- 集石
- 炉穴
- 土坑
- ピット
- 焼土
- 集石
遺物
- 縄文土器(子母口式+田戸上層式+新道式)
- 打製石斧
- 石匙
- 土偶
- 有茎尖頭器
- 石鏃
- スタンプ形石器
- 礫器
- ケツ入磨石
- 磨石
- 石皿
- 石錘
- 石棒
- 耳栓
- 垂飾
- 石鏃
- 皿石
- スクレイパー
指定
- 2017年9月15日 – 重要文化財(美術品)
- 指定名称:石棒 四本、附土器残欠 三点(美術工芸品 考古資料の部)
アクセス等
出土品は「くにたち郷土文化館」で保管展示される。
- 名称:緑川東遺跡
- 所在地:東京都国立市青柳3-2-5
- 交通:JR南武線矢川駅から徒歩13分。
参考文献
- 和田哲(1983)『国立市の遺跡 市文化財報告12』
- 文化庁(2013)「発掘された日本列島2013」朝日新聞出版
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