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丸木弓2024年04月14日 00:18

丸木弓(まるきゆみ)は古代日本の石器時代から古墳時代まで使われた原始的な弓である。

概要

単体弓は丸木弓と割材を用いる木弓に大別される。枝を材として用いる丸木弓は心持ち材が多いとされる。縄文・弥生時代の弓は大半が丸木弓である。丸木弓の材料は「梓」(あずさ)「桑」(くわ)「櫨」(はぜ)などの木を用いた。 丸木弓は武器として使用されるほか、神事にも使用された。弓の弦は植物性の繊維や動物の筋などが使用されたと考えられている(片岡生悟(2020))。

魏志倭人伝

『魏志倭人伝』に「兵用矛楯木弓、木弓短下長上」(兵は矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く、上を長く持つ)と書かれる。そのような使い方の証拠がある。袈裟襷文銅鐸(伝香川県出土、弥生時代・前2~前1世紀)に見られる。鹿を射る人の弓は中心より下側を持っている。桜ヶ丘遺跡出土4号「銅鐸」(扁平鈕2式 四区袈裟襷文銅鐸)においても弓の持ち方は同様である。

弥生時代の弓

六反ケ丸遺跡(鹿児島県出水市)で、弥生時代中期(約2200~2300年前)の鹿児島県内最古となる木製の弓4張が出土した。最大のものは長さ87.9cm、小さなものは長さ46.1cm、幅は2.2cmから2.7cmである。堅くて重い素材のイスノキ製であった。森本遺跡の丸木は木を丹念に削り断面を円形にした精巧な丸木弓である。先端は丸く加工され、その下にくびれをつけて弦を巻き付けて固定する。

考察

縄文時代や弥生時代の弓の使用法は短下長上だったことは、『魏志倭人伝』に書かれていても、『日本書紀』、『古事記』には書かれない。これは『魏志倭人伝』は弥生時代から古墳時代の同時代資料であるが、『日本書紀』、『古事記』は同時代資料ではないからである。日本文献より中国文献を信用するのはなぜか、という的外れな素人意見がある。これに対しては、『魏志倭人伝』は同時代史料だが、『日本書紀』、『古事記』は500年後の史料だから、信頼性に差があるのは当然である。年代差は信頼性に大きく影響する。どこで書かれたから信頼性が劣るというものではない。弓の使い方の記述の有無はその証拠の一つになる。つまり短下長上は『魏志倭人伝』にしか書かれていないから、同時代資料の有効性を指摘することができる。

出土

  • 丸木弓 - 森本遺跡、京都府向日市、弥生時代
  • 丸木弓 -六反ケ丸遺跡、六反ケ丸遺跡、弥生時代中期。
  • 丸木弓 -下宅部遺跡 30点、東京都東村山市、縄文時代- 丸木弓はイヌガヤのみを材質とする。

参考文献

  1. 佐原真(1997)『魏志倭人伝の考古学』歴史民族博物館振興会
  2. 「酸性土壌でよくぞ腐らず…弥生中期の木製「弓」見つかる」南日本新聞、2024年1月14日
  3. 片岡生悟(2020)「縄文・弥生時代の弓矢について」東京大学考古学研究室研究紀要(33), pp.67-86