南堀貝塚 ― 2025年03月18日 00:13
南堀貝塚(なんぼりかいづか)は神奈川県横浜市都筑区にある縄文時代前期の遺跡である。
概要
縄文時代の横浜市では、縄文海進により海が内陸に入り込み、鶴見川流域は湾口が広くて水深が浅いため干潟が発達し、海の貝類を採取しやすい環境にあった。鶴見川や早渕川に海が入り、人々は海で貝を採り、貝殻を斜面などに捨てていた。縄文前期の黒浜・諸磯a期の集落が検出された。
和島誠一の縄文社会論
和島誠一は縄文時代の採取経済では単純協業と初源的分業に伴い、乱獲を防ぐ組織的な統制力が必要となるが、住居の均一性と集団墓地から階級分化はまだ見られないとした。南堀貝塚の発掘成果を元に、住居群の配置、出入口の方向、中央の共同広場、共同ゴミ捨て場から縄文時代の集落構造を立体的に復元した。
調査
縄文時代の集落の在り方を調査するため1955年(昭和30年)南堀貝塚が調査された。竪穴住居址、落とし穴、炉穴、縄文土器、石器、貝塚、動物の骨、貯蔵穴などが出土した。
遺構
- 落とし穴
- 炉穴
- 竪穴建物
- 土坑
- 落し穴
- 炉穴
- 竪穴住居址
- 土壙
- 斜面貝層
遺物
- 縄文土器
- 石器
- 貝
- 動物遺存体
指定
アクセス等
- 名称:南堀貝塚
- 所在地:神奈川県横浜市都筑区南山田3丁目40付近
- 交通:横浜市営地下鉄「北山田駅」から徒歩14分/1.0km
参考文献
- 横浜市埋蔵文化財センター(1990)『全遺跡調査概要』港北ニュータウン埋蔵文化財調査報告 10
- 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター(2008)『港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告40:南堀貝塚』横浜市教育委員会
- 和島誠一(1958)「南堀貝塚と原始集落」『横浜市史』資料編21
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