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桜井茶臼山古墳2023年05月22日 23:30

桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)は奈良県桜井市に所在する前方後円墳である。

概要

全長200mの初期ヤマト政権の大王クラスの前方後円墳である。鳥見山の北山麓の小尾根の先端にある。古事記や日本書紀に伝承がまったくなく、宮内庁の陵墓にも指定されていない。

調査

1949年に最初の発掘調査が行われた。1949年(昭和24年)の秋と翌25年の夏に発掘調査が行われ、尾根の末端を切断して築造された古墳と判明した。墳丘は、後円部3段、前方部2段に築造されている。埴輪は使用されていないが、後円部頂には方形段を取り巻く土師器壷列がある。

出土

石室の中はすべて、天井石に至るまで、多量の朱で塗られていた。加えて、出土品は玉杖・玉葉・勾玉・五輪形石製品等、相当数にのぼる。土器列は、一重で、北辺で東西10.6m、西辺で南北13m、壷は北辺で24~25個、西辺で29~30個が並べられていた。後円部の中央に長さ6.75m、幅は北小口で約1.28m、南小口で約1m、高さ平均1.60mの竪穴式石室がある。床面は、全面板石で粘土床は無く、敷石上に直接置かれた木棺は現存長5.19m、床板の厚さは22cmあり「巨大な石室に相応しい巨大な木棺」である。材質は「トガの巨木」と鑑定されている。石室内は盗掘にあっており、副葬品はいずれも断片であった。

  • 土器壺 後円部から出土した壷は「茶臼山型二重口縁壷」と呼ばれる。頸部が直立して筒状となる事。体部がほぼ球状で底部に穿孔を持つ事等が特徴である。現在全体の形状が分かるものは3固体ある。いずれも、底部には径7~7.8cmの円孔が焼成前にあけられている。丸底を切り取ったような形になっている。
  • 木棺 奈良県立橿原考古学研究所が2009年の発掘調査で竪穴式石室から取り出した木棺が、保存処理を終え、県立橿原考古学研究所で2019年9月に初めて公開された。木棺は原形は失っているが、遺存していた底部分は長さ4.89m、幅75㎝、最大厚27㎝であった。
  • 鏡 鏡は主に周辺の棺内と棺外小口部に置かれていた可能性がつよい。鏡片は、少なくとも17~19面分が確認できるが、中でも、復元径が35~38になる大型鏡を含んでおり、下池山古墳例や、柳本大塚古墳例に匹敵する。
  • 鉄製品 鉄製品には、鉄杖と刀剣・鉄鏃・工具がある。 鉄杖は鉄棒の太さ2cm現存長14.7cm。この他に太さ1.5cm最大長60cmにもなる、中空の鉄杖もある。
  • 石製品 浅緑色に黄色い縞の入る石で作られた玉杖(左)と玉葉(下)がある。威儀具としての儀杖・指揮棒を象ったとみられる玉杖は4本ある。また、中国の玉製葬具の眼球に通じるとして目された玉葉は同系同大2枚と他1枚である。
  • 鉄刀剣 現存長14.1cm、刃幅3.4cmで関部が明確で、柄と鞘の木質が良く残り、朱がきれいに付着している。他に刀と短刀がある。
  • 工具 先端の尖った細いものを含む針状工具がある。先端の尖った細い工具を含む針状工具がある。他に断面が薄い長方形の鉇の柄がある。鏃においては、数多く、銅鏃は2点、鉄鏃は破片も含めて117点にもおよぶ。鉄鏃の矢柄には赤色顔料の付着が20点確認される。

桁違いに多い銅鏡

2023年9月7日、奈良県立橿原考古学研究所の研究チームは桜井茶臼山古墳の銅鏡の破片385点を分析して、元は103面以上あったを発表した。けた違いの数の副葬鏡とした。辻田淳一郎・九州大大学院准教授は古墳時代前期前半では最上位クラスの数と質であり、被葬者の格の高さを示すものとした。

規模

  • 築成:前方部:2段、後円部:3段
  • 墳長:207m
  • 後円部 径110m 高12.6m
  • 前方部 幅61m 長90m 高13m

出土品

  • 【鏡】ボウ製:波文帯四神二獣鏡1片・画文帯神獣鏡1片・内行花文鏡2~5面・天王日月獣帯神獣鏡1片・天王日月四神四獣鏡2面。
  • 【玉類】硬玉:勾玉1、碧玉:管玉6、ガラス:管玉1・玉類若干。
  • 【装身具】石製腕飾類:碧玉製玉葉3・碧玉製石釧片1・碧玉製鍬形石片1・碧玉製車輪石2。
  • 【石製模造品】器財:五輪塔形碧玉製品1、その他:用途不明石製品5。
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:剣身片3(絹帛付着)。【武器・鏃】類銅鏃:柳葉124以上(絹帛付着)、銅鏃:柳葉2。【農工具】工具:刀子1・?1・不明鉄器1。
  • 【その他】玉杖・碧玉製玉杖頭1・杖身鐓1(鉄心付碧玉製)・杖身(鉄心付碧玉製管状製品5個を連接)2・鐓(碧玉製鉄心付)1・鉄心碧玉管若干・碧玉製品断片・鉄杖身7・異形石製品1組・鐓形鉄製品1・鉄製利器1・用途不明棒状品1。

指定

  • 昭和26年6月 史跡指定
  • 追加指定:昭和5年6月26日、昭和60年1月16日

所在地等

  • 名称: 桜井茶臼山古墳
  • 年代: 紀元3世紀後半~4世紀
  • 被葬者: 壹与(近藤喬一説)、地元では、饒速日命あるいは長髄彦墓と伝わる。白石は「被葬者はおそらく男性の王、政治的軍事的、宗教的呪術的王を併せかね、実権を握っていたのではないかと考えられる。」と語る。近藤喬一(山口大学名誉教授)は、被葬者として、壹与を挙げている。
  • 所在地: 奈良県桜井市外山
  • 交通: JR 桜井駅徒歩15分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 熊本県教育委員会(1986)「江田船山古墳」熊本県教育委員会
  3. 奈良県教育委員会(1989)『奈良県史跡名勝天然記念物調査報告』東京 吉川弘文館
  4. 「異常」「次元が違う」「けた違い」 桜井茶臼山古墳の銅鏡のすごさ
  5. 白石太一郎(2016)「書紀みえる初期の王陵と奈良盆地東南部の巨大古墳

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