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芹沢長介2023年05月28日 11:46

芹沢長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 - 2006年3月16日)は日本の考古学者である。東北大学名誉教授。

概要

日本の旧石器時代、縄文時代研究の第一人者とされる。 日本各地の旧石器時代遺跡を調査し、旧石器時代の編年研究を行った。岩宿遺跡や早水台遺跡などを発掘し、旧石器時代研究の草分けとして活躍した考古学者である。横山英介は「芹沢先生には考古学は実証主義が原点だということをたたきこまれた。」と語る。栃木県の星野遺跡では、調査結果を基に旧石器の変遷をまとめた。1980年代初期まで続いた「前期旧石器存否論争」においては存在肯定派のリーダー的存在であった。

経歴

  • 1919年、静岡県静岡市出身。
  • 明治大学専門部文科地理歴史学科卒業
  • 1957年、同大学大学院博士課程修了。
  • 1963年、東北大学文学部助教授、
  • 1971年、東北大学教授
  • 1984年、東北福祉大学教(1993年まで)
  • 2006年3月16日、仙台市の病院で死去、享年86。

著書

  1. 芹沢長介(1977)『古代探求』朝日新聞社
  2. 芹沢長介(1982)『日本旧石器時代』岩波書店
  3. 芹沢長介(1990)『縄文 (日本陶磁大系)』平凡社
  4. 芹沢長介(1960)『石器時代の日本』築地書館
  5. 芹沢長介,渡辺信夫,塚本哲人,米地文夫(編,1994) 『縄文にみる東北のこころ』河北新報
  6. 芹沢長介, 須藤隆編著(2003)『荒屋遺跡 : 発掘調査報告書』東北大学大学院文学研究科考古学研究室
  7. 由井茂也, 芹沢長介(1998)『矢出川遺跡の発見と調査 : 長野県南佐久郡南牧村』長野県考古学会
  8. 鹿児島県歴史資料センター黎明館(1997)『「東アジアにおける土器の起源」: 第64回黎明館講演会』鹿児島県歴史資料センター黎明館

参考文献

本ノ木遺跡2023年05月28日 12:16

本ノ木遺跡(もとのきいせき)は新潟県中魚沼郡津南町にある縄文時代草創期の遺跡である。

概要

縄文時代の始まりを巡る論争の舞台となった遺跡である。信濃川と清津川との合流地点南側の段丘上にある。津南町は段丘地形が発達した町として知られる。縄文時代草創期の生活文化を示す遺跡群となる。

調査

1956年(昭和31年)明治大学の芹沢長介は発掘調査を行い、信濃川に面した低位段丘にあり、狩猟用とみられる細身両面加工の石槍(槍先形尖頭器)が多量に発見された。それとともに「特殊な土器」が出土した。芹沢は出土状況から石槍と土器は共伴しないものと考えた。 1957年に東京大学の山内清男が発掘調査し縄文土器研究の第一人者である東京大学の山内清男は芹沢の発掘の隣接地で発掘調査を実施し、多数の石槍と少量の土器が出土した山内は両者を同時期とみなし、縄文時代に属する遺跡と評価した。考古学で有名な「本ノ木論争」となった。 その後、日本列島における旧石器時代の存在が明らかになった。平成18年に本ノ木遺跡の再調査が行われ、本ノ木遺跡の段丘は縄文時代に属することが明らかになった。土器はほとんど出土しないものの、石槍は縄文時代に属する可能性が高まった。旧石器時代から縄文時代への変遷を知る上で極めて重要な遺跡である。(遺跡は旧石器時代に一般的な丘陵上ではなく、河川の合流点に集中していることから、完新世に先立つ時期に新たな環境への適応を開始したことが分かる。

本ノ木論争

論争の原因は旧石器時代の週末から縄文時代の起源にかけての両者の歴史観の違いが調査所見の影響したとみられる。資料の蓄積が十分でない中、予め歴史観を設定したことが、解釈レベルでの相違を産んだと評価される(橋本(1988))。岡本東三は「包含層を誤認したのは山内ではなく、芹沢であることは明らかである」と述べた(岡本(2015))。小林達夫を異なる見解を提示した。「草創期の尖頭器が出土する遺跡に土器を持つものと土器を持たないものがある」とした(小林(1986))。今日でも本ノ木論争は集結していない。

遺構

遺物

  • 石槍 - 本ノ木形尖頭器 細身のものが特徴。
  • 石槍 – 木葉形の幅広石槍
  • 石斧 - 石槍の製品途上品との説がある。
  • 掻器 - 皮革加工に使用した可能性
  • 抉り入削器

築造時期

  • 縄文時代草創期

指定

  • 2019年(令和元年)10月16日 国の史跡に指定される(「本ノ木・田沢遺跡群 本ノ木遺跡 田沢遺跡 壬遺跡」)

アクセス等

  • 名称:本ノ木遺跡
  • 所在地:十日町市干溝字中林ニ431-6ほか
  • 交通:

参考文献

  1. 文化庁(2018)『発掘された日本列島 2018』共同通信社
  2. 新潟県教育委員会(2019)『本ノ木・田沢遺跡群 総括報告書』新潟県埋蔵文化財調査報告書284集
  3. 橋本勝男(1988)「縄文文化起源論」『論争・学説 先土器・縄文時代』雄山閣

上田正昭2023年05月28日 14:03

上田正昭(うえだまさあき、1927年4月29日 - 2016年3月13日)は日本の歴史学者である。専攻は日本古代史。勲二等瑞宝章。

概要

東アジア全体を視野に入れた古代史研究で知られている。日本古代の歴史と文化を幅広い視野で多面的に研究し、また、アジアの中の日本という新たな歴史像を構築したとされる。 百済・加耶系の漢人、新羅系の秦人、高句麗系の高麗人の役割、「帰化」と「渡来」の語を明確に区分した。徹底した文献史料批判に基づく実証主義を基盤に、国文学・神話学・民俗学・宗教史学・考古学など、多方面にわたる深奥な学識を駆使して、古代日本を解明した。 東アジア古代史に関する国内外での国際学術シンポジウムに、たびたび出席し、国際交流を図った。 京都帝国大学文学部史学科の卒業論文は「日本古代史に於ける氏族系譜の成立に就いて」。

経歴

  • 1927年、兵庫県生まれ。
  • 1944年(昭和19年)4月、國學院大學専門部で折口信夫らに師事。
  • 1947年、京都帝国大学文学部史学科入学。西田直二郎、三品彰英氏に師事。
  • 1950年、京都大学文学部史学科卒業。
  • 1963年10月、京都大学教養部助教授
  • 1970年 『日本神話』で毎日出版文化賞
  • 1971年3月、京都大学教養部教授
  • 1983年4月、京都大学埋蔵文化財研究センター長
  • 1991年 大阪女子大学学長、
  • 1997年、大阪府立中央図書館名誉館長
  • 2007年、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長
  • 2016年3月13日、没。

著書

  • 上田正昭(1970)『日本神話』岩波書店
  • 上田正昭(1986)『藤原不比等』朝日新聞社
  • 上田正昭(1993)『日本古代国家成立史の研究』青木書店
  • 上田正昭(1995)『大和朝廷』講談社
  • 上田正昭(2012)『私の日本古代史上下』新潮社
  • 上田正昭(2013)『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』角川学芸出版
  • 上田正昭(2014)『日本古代史をいかに学ぶか』新潮社
  • 『上田正昭著作集 全八巻』角川書店、
    • 上田正昭著作集1  古代国家論
    • 上田正昭著作集2  古代国家と東アジア
    • 上田正昭著作集3 古代国家と宗教
    • 上田正昭著作集4 日本神話論
    • 上田正昭著作集5 東アジアと海上の道
    • 上田正昭著作集6 人権文化の創造
    • 上田正昭著作集7 歴史と人物
    • 上田正昭著作集8 古代学の展開

参考文献

  1. 上田正昭(2011)『アジアのなかの日本再発見』ミネルヴァ書房

直木孝次郎2023年05月28日 14:03

直木孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は日本の歴史学者である。専攻は日本古代史。

概要

中学生から万葉集に親しみ、一高在学中に百済観音にまみえて古代史を志した。京都帝国大学に進んだ。歌会始の召人になったことがある。額田王から台湾・韓国の歌人に及ぶ幅広い年代の短歌評論を行う。壬申の乱研究では大海人皇子の吉野から伊勢越えの道を踏査した。

経歴

  • 1919年、兵庫県生まれ。
  • 1943年、京都帝国大学文学部国史学科卒業。
  • 1943年、海軍土浦海軍航空隊入隊
  • 1946年、京都帝国大学特別研究生
  • 1950年 大阪市立大学法文学部助手
  • 1955年 大阪市立大学文学部助教授
  • 1966年 大阪市立大学文学部教授
  • 1981年、大阪市立大学文学部教授退職、岡山大学文学部教授
  • 1984年、岡山大学文学部教授定年退職
  • 2019年2月2日、老衰のため死去、享年100歳。

著書

  • 直木孝次郎(1986)『日本国家の構造』青木書店
  • 直木孝次郎(2000)『万葉集と古代史』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2004)『日本の歴史〈2〉古代国家の成立』中央公論新社
  • 直木孝次郎(2005)『古代河内政権の研究』塙書房
  • 直木孝次郎(2005)『日本古代の氏族と国家』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2006)『神話と歴史』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2008)『直木孝次郎 古代を語る〈1〉古代の日本』吉川弘文館、
  • 直木孝次郎(2008)『直木孝次郎 古代を語る〈2〉邪馬台国と卑弥呼』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2008)『直木孝次郎 古代を語る〈3〉神話と古事記・日本書紀』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2009)『直木孝次郎 古代を語る〈4〉伊勢神宮と古代の神々』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2009)『直木孝次郎 古代を語る〈5〉大和王権と河内王権』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2009)『直木孝次郎 古代を語る〈6〉古代国家の形成―雄略朝から継体・欽明朝へ』吉川弘文館
  • 直木孝次郎(2009)『直木孝次郎 古代を語る〈7〉古代の動乱』吉川弘文館

参考文献

  1. 直木孝次郎(1999)『わたしの歴史遍歴』吉川弘文館

仁藤敦史2023年05月28日 14:04

仁藤敦史(にとうあつし、1960年 -)は日本の歴史学者である。国立歴史民俗博物館教授。専門は古代史。

概要

研究テーマは、都城制成立過程の研究、古代王権論、古代地域社会論。博士論文は「古代王権と都城」1998-11-10。

経歴

  • 1960年、静岡県生まれ。
  • 1982年、早稲田大学卒業第一文学部日本史学専攻卒業
  • 1989年、早稲田大学 大学院文学研究科専攻博士後期課程 【1989年満期退学】
  • 1989年、早稲田大学第一文学部助手。
  • 1991年 、国立歴史民俗博物館歴史研究部助手。
  • 1998年、文学博士(早稲田大学)
  • 1999年2月、国立歴史民俗博物館歴史研究部助教授
  • 2008年10月、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館研究部教授
  • 2008年10月、総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻教授併任
  • 2012年4月、総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻専攻長

博士論文構成

  • 序章 古代における「宮」の成立と発展
  • 第一編 皇子宮の構造
  • 第一章 皇子宮の経営-大兄と皇弟-
  • 第二章 嶋宮の伝領過程
  • 第二編 斑鳩宮の経営
  • 第一章 上宮王家と斑鳩
  • 第二章 「斑鳩宮」の経済的基盤-法隆寺資材帳よりみた-
  • 第三章 「斑鳩宮」の経営について
  • 第三編 都城制の成立過程
  • 第一章 「大津京」の再検討
  • 第二章 複都制と難波京
  • 第三章 倭京から藤原京へ-律令国家と都城制
  • 第四章 平城京の中宮・東宮・西宮-殿舎名称の変遷と権力構造の分析
  • 第五章 初期平安京の史的意義
  • 第四編 行幸論
  • 第一章 古代王権と行幸
  • 第二章 天皇行幸についての補論
  • 終章 古代国家における都城と行幸-「動く王」から「動かない王」への変質-

著書

  • 仁藤敦史(1998)『古代王権と都城』吉川弘文館 1998.2
  • 仁藤敦史(2000)『古代王権と官僚制』臨川書店
  • 仁藤敦史(2006)『女帝の世紀 皇位継承と政争』角川書店
  • 仁藤敦史(2009)『卑弥呼と台与 倭国の女王たち』山川書店
  • 仁藤敦史(2009)『都はなぜ移るのか 遷都の古代史』吉川弘文館
  • 仁藤敦史(2012)『古代王権と支配構造』吉川弘文館
  • 仁藤敦史(2021)『藤原仲麻呂 古代王権を動かした異能の政治家』中央公論新社
  • 仁藤敦史(2022)『東アジアからみた「大化改新」』吉川弘文館

参考文献

山尾幸久2023年05月28日 14:05

山尾幸久(やまおゆきひさ、1935年12月10日 – 2021年11月4日)は日本の歴史学者である。専攻は日本古代史。立命館大学名誉教授。

概要

立命館大学の日本史学専攻は「在野史学」の騎手たる地位を築きあげた。1970年代以降は、山尾幸久(古代史)、三浦圭一(中世史)、衣笠安喜(近世史)などの研究者がこの学風を継承・発展させた。山尾幸久は研究に厳しい教授として知られていた。山尾先生の演習形式の授業を取る大学院生は非常に少なかったという。履修登録期間終了後に、考古学の大学院生が山尾先生の授業をとらなかったことを知った和田晴吾教授&(当時)は、「なんで取らへんかったんや!」と怒りをあらわにされたという。山尾幸久の論考は外交関係に関わる研究が多く、これは考古学を研究するものにとって、特に鉄器を研究する人にとって重要な研究となっている。

石母田批判

著書(「日本古代国家と土地所有」2003年 吉川弘文館)では石母田正の古代国家論を全面的に批判した。 (「日本古代国家と土地所有」序章 論究の視点より。)

磐井の乱の位置づけ

「古代最大の内戦 磐井の乱」(大和書房 1985年)で「磐井の乱」を継体天皇に対する反乱ではなく、近畿)と九州の国家同士の戦争と主張するなど、独自の視点を提示した。

蔵書

米原市番場の市民グループ「番場の歴史を知り明日を考える会」は、山尾さんの蔵書約二万冊の保存を進めている。書籍にはメモが残り、山尾さんがどのような部分に注目して研究を進めたのか分かるという。

経歴

  • 1935年 中国、旧満洲撫順に生まれる。
  • 1966年 立命館大学文学部卒業。大学院修士課程に進学。北山茂夫に師事。
  • 1968年 立命館大学大学院文学研究科修士課程修了
  • 1969年 立命館大学文学部助手
  • 1996年 立命館大学文学部退職
  • 2021年11月4日 誤嚥性肺炎で死去*受賞

著書

  1. 山尾幸久(1989)『古代の日朝関係』塙書房
  2. 山尾幸久(2003)『古代王権の原像―東アジア史上の古墳時代』學生社
  3. 山尾幸久(1977)『日本国家の形成』岩波書店
  4. 山尾幸久(1972)『魏志倭人伝』講談社
  5. 山尾幸久(2006)『「大化改新」の史料批判』塙書房
  6. 山尾幸久(1999)『筑紫君磐井の戦争―東アジアのなかの古代国家』新日本出版社
  7. 山尾幸久(1998)『カバネの成立と天皇』吉川弘文館

参考文献

小林行雄2023年05月28日 14:06

小林行雄(こばやしゆきお,1911年-1989年)は考古学者で京都大学名誉教授である。古鏡研究で知られる。

概要

1911年(明治44年)神戸市に生まれる。1932年(;昭和7年)、神戸高等工業学校建築科(現神戸大工学部)を卒業。1935年(昭和10年)、京都大学同大学考古学教室の助手に任用。1953年(昭和28年)に京都大学文学部講師となり、京都大学では講師時代が長く、退官直前の1974年(昭和49年)に京都大学教授になった。1939年(昭和14年)、『弥生式土器聚成図録』を刊行し、土器を体系化し弥生文化研究の基礎を確立した。三角縁神獣鏡の精細な研究は日本考古学の代表的業績とされる。

受賞

  • 1953年(昭和28年度) 朝日賞、
  • 1954年(昭和29年) 日本学士院賞恩賜賞

著作

  • 小林行雄(1965)『古鏡』學生社
  • 小林行雄(1959)『古墳の話』岩波書店
  • 小林行雄(1962)『古代の技術』 塙書房
  • 小林行雄(1961)『古墳時代の研究』青木書店
  • 小林行雄(1951)『日本考古学概説』東京創元社
  • 小林行雄(1990)『埴輪』(日本陶磁大系)平凡社
  • 小林行雄(1947)『日本古代文化の諸問題―考古学者の対話』高桐書院