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国司2023年11月07日 12:15

国司

国司 (こくし)は朝廷が任官する地方の役人である。

概要
律令制では『守』という。「国宰」ともいう。任国の行政・司法・警察、国務一切を総轄する役職である。 任期は当初六年で、のち四年となった。 役所を国衙(こくが)・国庁といい、その所在地を国府という。

職員構成
次の職員構成である。国掌、国雑掌は時代が下ってから置かれた。、 守 → 介 → 掾 → 目 → 史生 → 国掌、国雑掌

職員構成

守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官で構成される。 目の下の史生は日本の律令制において官司の四等官の下に置かれた職員である。

読み 大国 上国 中国 下国
カミ 守(国司)/従五位上/1名 守(国司)/従五位下/1名 守(国司)/正六位下/1名 守(国司)/従六位下/1名
スケ 介/正六位下/1名 介/従六位上/1名 介/正六位下/1名
ジョウ 大掾/正七位下/1名 掾//従七位上/1名 掾/正八位上/1名 掾/従八位下/1名
サカン 大目/従八位上/1名 目//従八位下/1名 目/大初位下/1名 目/少初位上/1名
その他(シジョウ) 史生/5名 史生/4名 史生/3名 史生/2名

国司の職掌
国司の職掌は養老令の職員令に記されるが、八世紀初頭に施行された大宝令もほぼ同様と見られる。

職務区分 内容 説明
民政関係 戸口の簿帳、百姓を字養すること、農桑を勧課すること、所部を糺察すること、貢挙、孝義、田宅、良賎 戸籍計帳による人民の把握とその生活の維持、農業の指導、田地・宅地の把握、良賎の身分の把握
財政関係 租調、倉廩、徭役 租税の徴収や徭役の徴発、調庸などの運搬、租税を収納する倉庫その他の官庫の管理
警察・裁判・軍事関係 兵士、器仗、鼓吹、 国内の治安維持、裁判、兵士の徴発、軍団の人事、兵器や軍事施設の管理、官庫の管理
交通関係 郵駅、伝馬、烽候、城牧、過所、公私の馬牛 駅や伝馬の監督、関所通行証としての過所の発給、闌遺の雑物のこと
宗教行政 寺、僧尼の名籍のこと 神社や僧尼名簿の管理


特別任務
陸奥・出羽・越後などの国は、併せて、饗給、征討、斥候を知ること。壱岐・対馬・日向・薩摩・大隅などの国は、鎮捍・防守、及び、蕃客、帰化を惣知すること。三関国は、また、関柵、及び、関契のことも司ること。

万葉集
田口益人大夫の上野国の司に任けらえし時に、駿河の浄見崎に至りて作れる歌二首
廬原の清見の崎の三保の浦の寛けき見つつ物思ひもなし

天平二年七月十一日。筑前国司山上憶良謹みて上る
百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる

参考文献

+黛弘道(1982)『律令国家成立史の研究』吉川弘文館
+中村 順昭(2014)『地方官人たちの古代史』吉川弘文館

安本美典2023年11月07日 14:29

安本美典(やすもとびてん、1934年2月13日 - )は日本の心理学者・日本史研究家(古代史)である。日本行動計量学会会員。 本名は美典(よしのり)。文学博士(京都大学)。 専攻は、日本古代史、言語学、心理学。

概要

1934年、満州国奉天省鞍山市で生まれる。1946年に帰国し岡山県高梁市で育つ。 岡山県立高梁高等学校を経て、1959年、京都大学文学部(心理学)卒業。1961年、 京都大学大学院文学研究科(心理学)を修了する。国家公務員採用上級甲種試験(心理職)に合格し、旧労働省に入省した。 旧労働省退官。 社会心理学者の南博(一橋大学教授)が設立した日本リサーチセンターに入社する。 九州説の拠点である「邪馬台国の会」を主宰する。『季刊邪馬台国』責任編集者。現在、古代史研究に専念。

業績

「卑弥呼=天照大神説」など根拠の乏しい主張を行う。日本書紀の欠史八代については実在説を取るが、いずれも説得力に乏しい。架空とされる天皇は実在すると主張する。古田武彦には激しい批判を行う。邪馬台国九州説の有力論者である。

人柄

著書

  1. 安本美典(2021)『データサイエンスが解く邪馬台国 : 北部九州説はゆるがない』朝日新聞社
  2. 安本美典(2020)『日本の建国―神武天皇の東征伝承・五つの謎』勉誠出版
  3. 安本美典(2019)『神功皇后と広開土王の激闘 : 蘇る大動乱の五世紀』勉誠出版
  4. 安本美典(2019)『邪馬台国は福岡県朝倉市にあった!!』勉誠出版
  5. 安本美典(2017)『邪馬台国全面戦争―捏造の「畿内説」を撃つ)』勉誠出版
  6. 安本美典(2016)『卑弥呼の墓は、すでに発掘されている!!: 福岡県平原王墓に注目せよ』勉誠出版
  7. 安本美典(2016)『邪馬台国は、銅鐸王国へ東遷した』勉誠出版
  8. 安本美典(2015)『真贋論争「金印」「多賀城碑」 揺れる古代史像、動かぬ真実は?』勉誠出版
  9. 安本美典(2013)『古代年代論が解く邪馬台国の謎』 勉誠出版

参考文献

舟形埴輪2023年11月07日 17:27

舟形埴輪(ふながたはにわ)は古代の舟である準構造船を表した埴輪である。

概要

 当時の船の構造がよくわかるように作られている。船底に丸木舟を用い、舷側に板材を組み合わせた準構造船が多い。船底に丸木舟を用い、舷側に板材を組合わせた準構造船である。 難波は瀬戸内海路の発着点であり、朝鮮半島や中国大陸からさまざまな人や物が、 難波の地に到来した。

出土例

  • 舟形埴輪 西都原古墳群出土、宮崎県西都市、古墳時代・5世紀
  • 舟形埴輪 長原遺跡、大阪市平野区長吉、4世紀末葉~5世紀前半
  • 船形埴輪 高廻り2号墳、大阪府大阪市平野区長吉、古墳時代中期; 4世紀末葉古墳時代

参考文献

  1. 石母田正(1971)『日本の古代国家』岩波書店

瓊瓊杵2023年11月07日 18:35

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日本書紀、古事記に登場する降臨神話の神である。 日本書紀では天津彦彦火瓊瓊杵尊、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊、天津彦根火瓊瓊杵尊という。古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命、天津日子番能邇邇藝命という。

概要

天照大神の孫で、天忍穂耳尊の子である。 皇孫、天孫ともいう。天照大神の命を受け、高天原から日向の高千穂の峰に真床覆衾にくるまれて天下った。国津神の有力神である猿田彦神に導かれ、南九州の高千穂峰に降臨する。木花開耶姫の美しさに一目惚れしたニニギ尊はすぐさま木花開耶姫をめとった。天津神と国津神のはじめての婚姻である。一夜で子をはらんだことをあやしんで瓊瓊杵尊は自分の子ではないといったため、姫は怒り産屋に火を放ち、火遠理命、火闌命,火明命3神を産んだ。「ニニギ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することから、豊穣の神とされる。まもなく瓊瓊杵尊は亡くなる。

日本書紀 巻第二 

  • (原文 神代下)天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、娶高皇産靈尊之女𣑥幡千千姫、生天津彦彦火瓊瓊杵尊。故、皇?高皇産靈尊、特鍾憐愛、以崇養焉、遂欲立皇孫天津??火瓊瓊杵尊、以爲葦原中國之主。
  • 大意

参考文献

  1. 『日本書紀』岩波書店

大宝律令2023年11月07日 23:29

大宝律令(たいほうりつりょう)は文武天皇の701年(大宝元年に制定された日本古代国家の基本法典である。

概要

大宝律令は古代中国の律令、特に「永徴律令」を参照して、刑部親王、藤原不比等らによって編纂された。 律6巻・令11巻。

施行期間

始期は、令が701年(大宝元年)から、律は702年からである。 終期は『養老律令』に代わる757年(天平宝字元年までであった。

施工プロセス

701年四月から中央の貴族や官人に対し撰者らを派遣して令の講義を始め、同年六月には全国に施行を命じ、八月に律令が揃って体裁を整え献上された。地方でも講義が始まり、翌大宝二年十月に至ってようやく写本が全国に配布されるという過程であった。

内容

律・令ともオリジナル文書は現存しない。『令集解』所収の古記や「続日本紀」の記事などから内容をうかがえる。『大宝律令』は『養老律令』に代わたあと、平安時代中期ごろにはすでに散逸した。平安時代前期に令の注釈書を集成した。 しかし『令集解(りょうのしゅうげ)』によって両令を比較すると、『養老律令』は『大宝律令』の字句修正が主であったことが分かる。

参考文献

  1. 石母田正(1971)『日本の古代国家』岩波書店