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キトラ古墳2023年11月12日 08:06

キトラ古墳(きとらこふん)は日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳である。

概要

二段築成の円墳である。円墳としてはそれほど大きなものではない。石室の天井には本格的天文図、壁には四神や十二支の美しい絵が描かれる。

調査

1983年11月7日、石室内の彩色壁画のひとつである四神の一つの玄武が発見されて、社会や学会から注目された。

壁画

キトラ古墳壁画は、石室内部に塗った漆喰の上に繊細な筆づかいで描かれたもので、本格的な天文図や、四神像の全て、動物の頭と人間の体をもった十二支像などが確認されている。学術上、価値の高い文化財である。高松塚古墳では、盗掘により南壁の朱雀が失われていたため、我が国で四神の図像が全て揃うのはキトラ古墳壁画のみである。盗掘者は副葬品をすべて持ち出し、さらに天文図の中央に描かれた太陽の金箔まで剥がしていた。当初はキトラ古墳には壁面の四神(東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武) / 十二支図と天井の天文図しか残っていないと考えられていた。

規模

  • 形状 円墳
  • 直径 - 上段9.4m、テラス状の下段 13.8m
  • 高さ - 3.3m 上段高2.4 m 下段 0.9m

出土品

被葬者が納められていた木棺の部材や飾金具、副葬品である刀装具、玉類などが出土した。木棺は漆塗りで、金銅製鐶座金具、金銅製六花形飾金具、銀環付金銅製六花形飾金具などの飾金具が取り付けられていた。大刀に関連するものとして金線で直線とS字文を象嵌した鉄地銀張金象嵌帯執金具や、刀装具、刀身の断片がある。銀装の大刀は全面を黒漆で仕上げたもので、正倉院の大刀にも匹敵する優美なものであった。玉類では琥珀玉やガラス小玉、径1㎜ほどのガラス粒がある。

  • 金銅製鐶座金具 飛鳥時代 7~8世紀
  • 金銅製六花形飾金具
  • 漆塗木棺片
    • 石室に納められていた木棺の破片である。ヒノキ材の上に黒漆を塗り、さらにその上に水銀朱を塗布する。
  • 銀製鞘尻金具 刀身 銀製鞘口金具
    • 大刀の鞘金具と刀身部分の破片である。刀身の表面には木鞘の木質が残り、その一部に黒漆が付着する。
  • ガラス小玉
    • 直径4㎜前後の小形のガラス玉で、20点出土する。色調は淡青色、黄色、青紺色、淡緑色の4種類である。
  • 銀鐶付六花形飾金具
  • 琥珀玉
    • ほぼ球形に研磨された琥珀製の玉で、直径1㎝ほどのものが4点、直径1.5㎝ほどのものが2点、計6点が出土する。
  • 銀装把
  • 土師器小皿
    • 盗掘時に灯明皿として使用されたものとみられる。キトラ古墳の盗掘時期は、鎌倉時代と考えられる。

築造時期

  • 7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測される。
    • 理由は壁画に唐の影響が高松塚古墳ほどは顕著ではないことである。遣唐使が日本に帰国した704年以前の築造と見られる。

被葬者

  • 天武天皇の皇子の高市皇子(43歳没)、刑部皇子(40歳台没)、高官であった百済王昌成、右大臣の阿部御主人(69歳没)など、いろいろな人物が推定されている。金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人物が想定されている。石室内からは被葬者の人骨と歯牙が発見され、分析により50~60歳代の男性1体分と判明した。年齢では阿部御主人が有利である。
  • 2014年のNHK BS放送では猪熊兼勝名誉教授説と白石太一郎教授説が紹介された。はキトラ古墳は高松塚古墳の約2分の1の大きさである。大きいほうがより高い身分を表しているとすれば、キトラの被葬者は高松塚の被葬者より身分は下の位置と窺われる。 すると皇族の高市皇子より豪族の阿倍御主人のほうが納得しやすい。

猪熊兼勝名誉教授説

猪熊は国立奈良文化財研究所の研究者として長年にわたり奈良の古墳を研究してきた人物で、1998年のキトラ古墳調査団の団長も務めた。その推定理由は3つである。

  • 1 聖なるゾーン
    • 藤原京の南の一定の方角、すなわち「聖なるゾーン」に皇族の墓が並んでいる。猪熊説では「聖なるゾーン」に位置する皇族の古墳を藤原宮から順に天武持統陵、文武陵、刑部皇子陵、河嶋皇子陵、草壁皇子陵、そしてキトラ古墳をつなげると一つの記号が浮かび上がると猪熊氏はいう。その記号とはまさしく北斗七星のかたちだと指摘する。
  • 2 天皇中心の世界観
    • 天文図の神々は皇室の礼服に限って使われており、天井の天文図の表現を猪熊氏は天皇中心の世界観とする。
  • 3 壬申の乱の皇子
    • キトラ古墳天文図のほぼ中心に描かれた北斗七星の六星に「吉野の盟約」に賛同した六皇子(草壁皇子・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子)が相当する。

白石太一郎教授説

白石太一郎は、被葬者は豪族で右大臣の阿倍御主人と推定している。岸俊男なども賛同する。 推定理由は次の通りである。

  • 1 所在地の名称「大字・阿部山」
    • キトラ古墳のある付近は「阿部山」という大字であり(直近のバス停も「阿部山」)、阿部山の地名が阿倍氏を被葬者と示唆する(阿倍氏が眠っている小山のような墳墓なので「阿部山」と言い習わされてきた)。
  • 2 陰陽道とのつながり
    • 安倍清明の先祖とされる右大臣・阿倍御主人は星座などに精通している陰陽道の元祖である。 キトラから東へ6キロほどに安倍文殊院がある。ここは阿倍氏の氏寺であるが、平安時代にこの寺で生まれたのが安倍晴明である。そしてその陰陽道の祖が阿倍御主人で、彼は陰陽道を司る立場にあったと指摘する。
  • 3 海外事情への精通
    • 阿倍御主人は、竹取物語のかぐや姫に求められた「火鼠の皮衣」を唐人・王慶に依頼して入手するなど、キトラ古墳と類似の古墳が存在する海外の事情に精通していた。キトラ古墳の四神図・十二支図は中国文化を凝縮したものであるだけでなく、その天文図の緯度はキトラより北の北緯37.6度で百済の都などの緯度に相当している。
  • 4 火葬でないこと
    • キトラ古墳に棺が置かれていたことが明らかになっている一方で、自らの考えで703年に火葬に付された持統天皇の太政大臣であった高市皇子は696年に火葬に付されていたとすればキトラ古墳の被葬者ではありえない。
  • 5横穴式石室
    •  豪族・安倍(阿倍)氏は、阿倍内麻呂(安倍倉梯麻呂)の墓に比定される安倍文殊院西古墳のような精緻な伝統的横穴式石室を作っていた。
  • 6 天文図の表現
    • 天文図は古代中国思想の表現と解釈できる。海外事情に詳しい阿倍御主人がふさわしい。

指定

  • 平成12年、特別史跡に指定
  • 平成30年、重要文化財に指定
  • 令和元年、壁画5面が国宝に指定

アクセス等

  • 所在地:奈良県高市郡明日香村阿部山67
  • 交通: 近鉄吉野線 壺阪山駅より徒歩15分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. NHK BS放送「飛鳥の大宇宙~キトラに眠るのは誰だ」2014年11月20日(木) 午前08:00 - 午前08:59

長持形石棺2023年11月12日 23:28

長持形石棺(ながもちがたせっかん)は底石、側壁石、蓋石を組み合わせた長持形の形状の石棺である。

概要

中国の組合せ式棺木の素材を石にしたものである。古墳時代中期に盛行し、近畿地方に多い。 蓋石の上部にかまぼこ状の膨らみがあり、蓋石、または長側石、底石に運搬用の縄掛突起がある。長持形石棺は、全国で45例ほど、東日本では2例のみで、身分の高い人物だけに使われた。

出土

  • 長持形石棺 - 津堂城山古墳、大阪府藤井寺市、 4世紀後半
  • 長持形石棺 - 久津川車塚古墳、京都府城陽市、5世紀前半(古墳時代中期前半)頃
  • 長持形石棺 - 太田天神山古墳、群馬県太田市内ケ島町、5世紀前半-中期頃

参考文献