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武蔵国2023年11月11日 20:39

武蔵国(むさしこく)は古代の領国の1つで、現在の東京都と埼玉県の全域と神奈川県川崎市、横浜市の大部分を含む地域にあたる。

概要

『延喜式』民部には武蔵国の群名として、21群があげられている。全部で21郡を管轄する「大国」とされていた。当初は19郡であったが、高麗郡と新羅郡(後の新座郡)ができ、江戸時代の初め頃に下総国葛飾郡の一部が武蔵国に組み込まれ、22郡となった。

  1. 久良
  2. 都筑
  3. 多麻
  4. 橘樹
  5. 荏原
  6. 豐島
  7. 足立
  8. 新座
  9. 入間
  10. 高麗
  11. 比企
  12. 橫見
  13. 埼玉
  14. 大里
  15. 男衾
  16. 幡羅
  17. 榛澤
  18. 那珂
  19. 兒玉
  20. 賀美
  21. 秩父

国府

国司が儀式や政治を行う中心的な役割を担った役所の中枢施設を国庁という。国庁の周囲に設けられた国の行政事務を行っていた役所群を国衙という。国庁、国衙を含めた役所に勤務していた役人の館や、兵士等の宿舎、市、学校、百世の民家などを含む範囲を国府という。 武蔵国府は、奈良時代の初め頃から平安時代の中頃にかけて府中市に置かれ、武蔵国の政治・文化・経済の中心地になった。武蔵国府は、「多麻郡に在り」と『和名類聚抄』に記述されているが正確な位置は未解明であった。1975年(昭和50年)以降の発掘調査により、大國魂神社境内の南北溝と旧甲州街道と京所道に挟まれた、南北300メートル東西200メートルの範囲が「国衙」であると判明した。

高麗郡と新羅郡の設置

『続日本紀』同年五月辛卯条によれば、高麗郡は、駿河・甲斐ほか七国の高麗人を移住させて、716年(霊亀二年)に建郡したとされる。旧新座郡の前身である新羅郡は758年(天平宝字2年)に設置された。729年から749年に建立された武蔵国分寺跡(現東京都国分寺市)では新羅郡を除く20の郡の銘が刻まれた「寄進瓦」が発掘されている。すなわち、武蔵國には国分寺がつくられる以前、8世紀の初めには新羅郡を除く20の郡が置かれていたと考えられる。新羅郡の郡域は、現在の朝霞市・和光市・新座市・志木市と東京都保谷市(多摩郡)、練馬区の大泉地域(豊嶋郡旧橋戸村・木樽村)が含まれていたと推定されている。

参考文献