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椿井大塚山古墳2024年03月07日 23:34

椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)は京都府相楽郡山城町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。

概要

京都府南部の木津川東岸に位置する。1953年(昭和28年)、JR奈良線の拡幅工事の中で発見された。竪穴式石室の周辺から三角縁神獣鏡32面を含む40面近い銅鏡や副葬品が発見された。三角縁神獣鏡が多量に出土する古墳としては黒塚古墳と椿井大塚山古墳が代表的である。 36面以上(破片があること、盗掘を受けた可能性から「以上」となる)の鏡のうち32面が三角縁神獣鏡であった。一つの古墳から三角縁神獣鏡が出土した数としては黒塚古墳と並ぶ。 鏡は三角縁神獣のほか、画文帯神獣鏡・内行花文鏡・方格規矩鏡の銅鏡がある。武器として、 鉄素環頭大刀・鉄剣・鉄槍・鉄鏃・鉄小札革綴冑・鉄甲。鉄槍などの武器・武具類が出土している。 工具類は鉄斧・鉄釶・鉄鑿・鉄錐鉄銛、漁具類は鉄釣針・鉄魚叉など、農具は鉄鎌などが出土する。鏡と副葬品から長い間、最古の前方後円墳と位置づけられてきた。築造時期は、奈良県桜井市の箸墓古墳を頂点とする定型化した前方後円墳の出現時期(3世紀後半)と推定されている。

調査

1995年から山城町が実施した墳丘規模の確認調査により、規模、構造、築造年代が判明した。椿井大塚山古墳は後円部4段、前方部2段の版築である。全体的に花崗岩の葺石が敷かれている。墳丘の裾は確認できないが、全長175m、後円部直径110m、前方長さ80m、前方部長さは80m、墳丘高さは後円部20m、前方部は約20mであった。後円部中央に竪穴式石室があり、内法長さ6.9m、幅1.1m、高さは約3mである。 前方部の墳丘平坦面では墳丘の主軸に沿う幅約2mのベルト状の盛土が約10m検出された。 三味線の撥形の平面形状であり、前方部の前端線は直線ではなく、弧を描く。椿井大塚山古墳は箸墓古墳と相似形であり、3分の2のサイズとして設計された前方後円墳と見られる。

鏡の配布の考察

さらに同じ型で作られた同笵鏡が全国各地から出土している。椿井大塚山古墳を中心とする同笵鏡の分有関係から、小林行雄は、椿井大塚山古墳の首長は、鏡の保管と配布で直接的な役割をはたしたと考えている(小林行雄(1961))。三角縁神獣鏡の多くは、同じ型から製造した同笵鏡が京都府の椿井大塚山古墳を中心として全国の古墳に分散して発見される。平塚市博物館にある三角縁四神二獣鏡も椿井大塚山古墳1 面、岡山県備前車塚古墳2面、兵庫県権現山51 号墳1 面の同笵鏡が確認されている。愛媛県文化歴史博物館の三角縁獣文帯四神四獣鏡は破片であるが、椿井大塚山古墳、桜井茶臼山古墳から出土している。 小林行雄、田中琢らの考古学者は武埴安彦(タケハニヤスヒコ)を椿井大塚山古墳の被葬者にあてている。日本書紀によれば武埴安彦は崇神のとき、葛城から生駒山麓、山城地方が 根拠地なので、支配領域は合っているが、伝承からは全国的な影響力の広がりを想定できない。 すなわち椿井大塚山古墳の被葬者は全国的な影響力をもつ権力者であったと推察する。同笵鏡の全国的な広がりは日本書紀や古事記に書かれない埋もれた歴史があることを思わせる。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:4段
  • 墳長 175m
  • 後円部 径110m 高20m
  • 前方部 幅76m 長80m 高10

外表施設

  • 葺石 あり

主体部

  • 室・槨 竪穴式石槨
  • 棺 割竹形木棺

遺物

  • 【鏡】中国:内行花文鏡2、画文帯環状乳神獣鏡1、方格規矩四神鏡1、三角縁神獣鏡類32以上。
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:十数、鉄刀:7以上(素環頭大刀1)、鉄槍:7以上。
  • 【武器・鏃】類銅鏃:200以上、銅鏃:19。
  • 【武具】その他:小札革綴冑1。
  • 【農工具】農具:鎌3、工具:斧10(短冊5)、刀子17、削刀子7、?7以上、錐8以上、鑿1以上、鉄製弧形尖頭器3、漁具:釣針1、扠十数(組合式2以上)。
  • 【その他】花弁形装飾付鉄製品(冠?)1、堅矧板状鉄製品(有機質甲の引合板の可能性あり)2。

築造時期

奈良県桜井市の箸墓古墳をピークとする定型化した前方後円墳の出現(3世紀後半の古墳時代前期)と同時代と推測される。

被葬者

  • 木津川の流域を本拠地にした大豪族の墓

展示

  • 京都大学総合博物館

指定

  • 2000年(平成12年)9月6日 「国史跡」に指定される。
  • 1992年(平成4年)6月22日 京都府椿井大塚山古墳出土品 一括(考古資料)重要文化財

アクセス等 

  • 名称 椿井大塚山古墳
  • 所在地 〒619-0205  京都府木津川市山城町椿井三階・太平
  • 交通:JR奈良線「棚倉」駅下車

参考文献

  1. 文化庁(1999)『発掘された日本列島'99』朝日新聞社
  2. 小林行雄(1957)『初期大和政権の勢力圏』史林 40 (4),pp.265-289
  3. 小林行雄(1961)『古墳時代の研究』青木書店
  4. 塚口義信(2016)『邪馬台国と初期ヤマト政権の謎を探る』原書房

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