造酒童女 ― 2024年06月22日 01:01
造酒童女(さかつこ)は奈良時代以降の大嘗祭において白酒・黒酒の醸造に奉仕する童女である。「造酒児」とも書く。
概要
天皇が即位後に、在任当初の一度だけ行う大規模な新嘗祭が大嘗祭である。天皇位継承儀礼となったのは天武持統朝時代とされる。 造酒童女は大嘗祭における稲収穫儀礼の前半の主役である。斎田として決められた悠紀・主基両郡の大少領の未婚の娘から卜占によって選ばれた。采女の1種である。 齋田で抜穂の儀から白酒・黒酒の醸造、大嘗宮の御飯の奉春奉炊など神饌の行事に関わる重要な役を務める。御飯の奉春では「先春御飯稲」とされ、造酒童女は先に稲を春く。 神服院で神服が奉織され5000人に及ぶ大行列が巳刻(午前10時頃)、御稲と共に北野斎場から大嘗宮に向かう。全員は徒歩で進む中、造酒童女だけは夫四名が担ぐ白木の輿に乗る。到着すると造酒童女は御稲を春き、その後、神膳行立が行われる。
黒酒
米の比率を割弱で発酵させたものが「白酒」で、それに久佐木灰を加えたものが「黒酒」であるという。
聖婚儀礼説
岡田精司(1970)によれば天皇は「諸国の国津神の依り代としての采女(造酒童女)と同衾する」聖婚儀礼説を唱える。新帝は真床覆衾にくるまって「天皇霊」を身につけるが、その際、新帝と造酒童女とが同衾する。これは服属儀礼のひとつと見られる。すなわち大嘗宮の悠紀と主基のあいだに寝具が用意され、新帝と造酒童女との聖婚がおこなわれるという説である。真床覆衾から出たとき、新帝は完全な天皇になると考えられている。しかし岡田荘司説では「真床覆衾」論も聖婚儀礼説も否定されている。
考察
現在では聖婚儀礼説は否定されているというが、もともと秘儀であり文書は何も残っていないから、肯定否定の検証は難しい。『内裏式』新出の逸文(西本昌弘(2009))があるといっても、これは平安時代の文献であるから、儀式が当初から変わっていないという証拠でもない限り、飛鳥時代、奈良時代の行事にそのまま適用できるわけではない。聖婚儀礼説は、飛鳥時代頃ではあり得たのではないか。
参考文献
- 坂本太郎,井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
- 池浩三(1983)『家屋文鏡の世界』相模書房
- 岡田精司(1970)「大化前代の服属儀礼と新嘗」『古代王権の祭祀と神話』塙書房
- 平城宮跡資料館秋期特別展(2015)「地下の正倉院展 造酒司太筒の世界」奈良文化財研究所
- 西本昌弘(2009)「九条家本『神今食次第』所引の「内裏式」逸文について」史学雑誌 第118編11号 pp.39-63
最近のコメント