小竹貝塚 ― 2024年12月19日 00:23
''小竹貝塚'’(おだけかいづか)は、富山県にある縄文時代の貝塚である。
概要
富山県中央の呉羽丘陵と射水平野の間にある。小竹貝塚は低湿地性貝塚のため、台地上で営まれた集落遺跡では腐ってなくなる有機質の生活道具が大量に出土した。福井県鳥浜貝塚と並ぶ日本海側最大級の貝塚である。 平成21年から22年の調査により貝塚以外に墓域、住居跡、加工工場のある定住集落と判明した。縄文前期において日本海側最大級の貝層である。国内最多となる縄文時代前期埋葬人骨が出土した。県内最古となる低地に立地する竪穴建物群である。国内最古のイノシシ形土製品。県内最古の丸木舟・繊維製品が出土した。貝塚は、縄文時代前期後葉を中心として約500年間継続した。
調査
小竹貝塚は昭和20年代に推定され、当時呉羽中学校教諭であった高瀬保氏らにより調査された。遺跡北東側の標高約2.0mの高台に竪穴建物・土坑群などの居住域があり、その西から南側には、貝層(最大厚約2m)が東西90m南北170mの範囲に広がる。昭和46年、富山県教委が本調査を実施し、貝層と人骨1体を確認した。墓域から91体の人骨が出土した。埋葬方法は屈葬が大半であった。伸展葬は1体だけであった。埋葬人骨は青年期(10歳後半から20歳台)が最も多い。体格や体つきも様々である。埋葬人骨の蕎麦に犬の骨があった。食用とは見られず、丁寧に埋葬されていた。
2008(平成20年)発掘
溝口優司が、出土人骨の検討を行い「最小個体数は、成人女性2個体を含む6個体となった。」と『小竹貝塚発掘調査報告書』(2014)で報告した。
2010年(平成22年)発掘
2010年10月14日、埋葬人骨は71体と発表した。『小竹貝塚発掘調査報告書』(2014)では、「埋葬位置が明らかな72体と土器棺4基、それ以外の散乱骨を足した最大161体、最小個体数で91体になると発表する。
弥生時代
遺跡南東部で検出した弥生時代後期前半(約2000年前)の溝から弥生土器・木製品(鍬未成品・板・棒など)とともに、モミ製の木盾の細片が2点出土しした。
遺構
- 貝層
- 埋葬人骨
- 土器棺
- 埋葬犬骨
- 竪穴建物
- 焼土
- 土坑
- 集石
- 炭化物集中地点
- 土器集中地点
- 板敷遺構
- 杭
- ピット
遺物
- 有茎尖頭器
- 縄文土器(前期+中期+後期)
- 石器(磨製石斧+石鏃+石匙+石錘+石錐+凹石+ケツ状耳飾+飾玉+剥片)
- 土製品
- 国内最古のイノシシ形土製品
- 石製品
- 木製品
- 繊維製品
- 樹皮製品
- 種実製品
- 漆製品
- 骨角貝歯牙製品
- オオツタノハ製貝輪- 南西諸島、伊豆半島以南で出土、交易で入手を想定。
- 人骨
- 動物遺存体
- 植物遺存体
- 翡翠垂飾り
- 漆塗り土器
- 漁労具
指定
時期
- 縄文時代
展示
- 富山県埋蔵文化財センター
- 91体の埋葬人骨が出土した小竹貝塚の出土品を展示
アクセス
- 名称:小竹貝塚
- 所在地:富山県富山市呉羽町北・呉羽昭和町
- 交 通:
参考文献
- 文化庁(2015)「発掘された日本列島 2015」共同通信社
- 公益財団法人富山県文化振興財団(2014)「小竹貝塚発掘調査報告」
- 富山市教育委員会(2013)「富山市小竹貝塚発掘調査報告書」富山市埋蔵文化財調査報告59
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