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吉島古墳2025年02月14日 00:30

吉島古墳(よしまこふん)は兵庫県たつの市新宮町に所在する3世紀後半の前方後円墳である。日本最古級の古墳として知られる。吉島松山古墳とも言われる。

概要

揖保川右岸から河岸平野を一望する標高約250メートルの尾根上に築造されている。後円部を平野側に向け、前方部端には5メートル程の尾根筋を切断した痕跡がある。埴輪・葺石はみられない。後円部に古墳主軸に斜交する竪穴式石室があり、長さ5.3m、幅1.2mで割石と河原石により築かれる。出土した鏡6面は、いずれも舶載鏡である。本古墳は、播磨地方で最も古く築造された前方後円墳であり、前期初頭古墳の典型を示す。

調査

1897年(明治30年)に発掘されて竪穴式石室と銅鏡等が出土した。土器片が墳丘封土中から発見された。竜虎獣帯鏡は京都府一本松塚古墳、天王日月唐草文帯四神四獣鏡は山城大塚山古墳出土鏡と、三角縁四神四獣鏡は京都府椿井大塚山古墳と同笵関係にある。東京国立博物館で吉島古墳出土鏡を保管する。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長30m
  • 後円部径 径16m 高2.5m
  • 前方部 幅11.4m 長14m 高1m

遺構

  • 石室 長さ6m、幅1m。高さ80cm。割石小口積。
  • 室・槨 竪穴式石槨
  • 棺 割竹形木棺

遺物

  • 尚方作獣帯鏡1
  • 長宜子孫内行花文鏡1
  • 三角縁華文帯四神四獣鏡2
  • 三角縁四神四獣鏡1
  • 三角縁盤竜鏡1
  • 長宜子孫内行花文鏡1
  • 波文帯竜虎獣鏡1
  • ガラス小玉66以上

築造時期

築造時期は、古墳時代前期初頭の3世紀後半頃と推定される。

指定

  • 1978年(昭和53年)5月22日、国の史跡に指定。

アクセス等

  • 名称:吉島古墳
  • 所在地:〒679-4305  兵庫県たつの市新宮町吉島854-19
  • 交通: 播磨新宮駅から徒歩35分 /2.6km

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 近藤義郎 編(1983) 「吉島古墳(新宮町文化財調査報告 4)」新宮町教育委員会

日向林遺跡2025年02月14日 00:40

日向林遺跡(ひなたはやしいせき)は長野県上水内郡にある旧石器時代の遺跡である。 「日向林A遺跡」と「日向林B遺跡」とがあり、両者は隣接する。

概要

薬師岳トンネルを抜け、信濃町に入ってすぐにある水穴集落南側、野尻湖から1kmである。野尻湖の西岸から南岸にかけて、30を超える旧石器時代の遺跡があり、「野尻湖遺跡群」と言われる。石器の組成は黒曜石、玉髄とで93%に及ぶ。そのほか、斑晶質安山岩、蛇紋岩、硬質頁岩、珪質凝灰岩などである。

調査

1993年(平成5年)、1995年(平成7年)に高速道の建設で発掘され、旧石器時代の生活の場とみられる環状ブロック群が発見された。「日向林B遺跡」から約9200点の旧石器時代の石器が発掘され、国の重要文化財となった。野尻湖のナウマンゾウの活動時代より後の時代で約3万年前より古い時代の石器となる。刃先だけを磨いた斧形石器が60点出土した。野尻湖周辺の石斧は「世界最古の磨製石器」との評価であり、当時の集団構成や形態、また狩猟活動と生業の実態を復元できる重要なものとされている。

石斧の重要性

長野県埋蔵文化財センターの谷和隆と大竹憲昭はナウマンゾウが多く生息した信濃町で、ゾウ狩りのために多量の石斧が使われたと考えている。石器の刃先を顕微鏡で観察し、木などの固いものを加工したり、毛皮の加工に使われたと結論づけた。材料は蛇紋岩ではなく、透閃石岩であった(長崎潤一(2011))。

広域移動

後期旧石器時代前半期の集団はかなりの広域を移動していたとみられている。日向林遺跡では黒曜石、珪質頁岩、玉髄など野尻湖周辺では算出されない石材を用いている。黒曜石の産地分析では長野県和田峠産であることが判明している。現在の道のりでも150km前後の距離である。玉髄は近い場所でも茨城県常陸大宮市付近であるから、現在でも350km前後の距離である。いかに遠隔地への移動がされていたかが分かるものである。

遺構

A遺跡

石器集中(ブロック)8

B遺跡

  • 石器集中(ブロック)31

遺物

A遺跡

  • ナイフ形石器
  • 貝殻状刃器
  • 掻器

B遺跡

  • 斧形石器
  • 台形石器
  • 掻器状石器
  • 貝殻状刃器
  • 槍先形尖頭器

展示

指定

  • 2011年(平成23年)06月27日 - 重要文化財「長野県日向林B遺跡出土品」

考察

長崎潤一(2011)によれば、環状ブロックが一回性の居住により形成されたとの仮説の場合、それぞれの集団が移動する経路上に姫川上流があり、そこで石斧の材料を入手し、各地を移動後にした後に日向林遺跡に石斧を廃棄したことになるとする。石器器種の均質性、剥片石器の剥片剥離工程、ブロック間の石器接合などから、一回性の居住を支持する研究者は多い。 しかし、谷和隆(2005)は比較的長期に及ぶ滞在によって最終的に形成された遺構であるとする。環状を形成するブロック間に石器の接合関係が多く確認されている点や、各種の石材や各産地の石材が比較的均等に配置される点を挙げている(谷和隆(2005))。 日向林遺跡での環状ブロックにおける斧形石器60点は数が多っすぎて、一回性居住説では説明しにくいと考える。反復居住として、一時移動してから戻ったときに取り出して使うために斧形石器60点をまとめて埋めたのではなかろうか。

アクセス等

  • 名称:日向林遺跡
  • 所在地:長野県上水内郡信濃町大字富濃字日向林2253-5
  • 交通: JR信越本線古間駅から徒歩で約15分

参考文献

  1. 財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター(2000)『長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書48:日向林B遺跡・日向林A遺跡・七ッ栗遺跡・大平B遺跡』長野県埋蔵文化財センター
  2. 長崎潤一(2011)「長野県日向林B遺跡の石斧について」史観164 、早稲田大学史学会 編,pp.88-103
  3. 島田和高(2009)「黒耀石利用のパイオニア期と日本列島人類文化の起原」駿台史學,第135号,pp.51-70
  4. 谷和隆(2005)「局部磨製石斧と環状ブロック群」『日本旧石器学会第3回講演・研究発表シンポジウム予稿集』pp.29-32
  5. 鹿又喜隆(2011)「地蔵田遺跡出土石器の機能研究と環状ブロック群形成の解釈」『地蔵田遺跡 旧石器時代編』,pp.182-189

田租2025年02月14日 22:32

田租(でんそ)は律令制において田地に課された租税である。

概要

班田収授法により、人民に口分田を与え、そこで収穫した稲の3~5%を納める税である。701年に制定された大宝律令にも継承され、律令制の根幹原則となる。口分田を支給された者は租として、収穫の3%から5%のイネを納めなければならない。税は稲の物納であつた。 田租は男女、年齢(6歳以上)、位階、良賤によらず一律に口分田を耕作するものに「戸」を単位に課税された。田の収量を考慮せず、一律に課税されたため、収穫量の少ない田では厳しい税率となった。

養老律令

「田は、長さ30歩、広さ12歩を段とする。10段を町とする。段の租は稲2束2把とする」「田は、長さ30歩、広さ12歩を段とすること。10段を町とすること。」「段の租は稲2束2把である。」支給される面積は六歳以上の男子が2段(約2,400㎡)で、女子はその3分の2である。田租は、国土の収穫がある早晩に準じて、9月中旬から輸納を始める、11月30日以前に納入を終えることとされていた。

参考文献

  1. 久武綾子(1985)「古代の家族経営」

富木車塚古墳2025年02月14日 23:19

'富木車塚古墳(とのきくるまづかこふん)は大阪府高石市西取石にかってあった前方後円墳である。

概要

信太山丘陵北西麓の台地先端部で、大阪府高石市西取石に築造された古墳である。 復元全長48mの前方部を西に向け、低い形の前方後円墳である。 埋葬施設は6カ所あり、くびれ部から祭祀に関係する須恵器が大量に出土した。後円部には全長7mの横穴式石室があり、亀甲型陶棺、木棺があった。後円部南西には内法長1.6m、幅0.38mの粘土槨があり、副葬品として鉄刀、鉄鏃、須恵器、粘土槨上方から須恵器(高坏、坏蓋)が出土した。後円部西側には組み合わせ式木棺が埋置されていた。棺内には赤色顔料が認められた。中央の埋葬施設は、土壙内に組み合わせ式木棺を安置したもので、副葬品として玉類が豊富であり、また装着状態を示して出土している。先端寄りの埋葬施設は土壙内に組合せ式木棺が安置されていた。長さ2.8メートル・内法長2m、幅0.7メートルを測る。副葬品として金環、太刀、鉄鏃、銀製中空玉が検出される。 1959年(昭和34年)に発掘調査が実施されたのち、昭和40年代後半の宅地開発で消滅した。墳丘周囲に周濠はない。

発掘調査

古墳の規模

  • 形状:前方後円墳
  • 築成:前方部:なし、後円部:なし
  • 墳長:45m(復元48m)
  • 後円部:径25m 高5m
  • 前方部:幅12(復元18) 長25m 高3.2m

遺構

  • ①横穴式石室、
  • 粘土槨
  • 亀甲式土師質陶棺・木棺 
  • 遺骸を有機質のものでくるんだ
  • 箱形木棺

遺物

後円部第Ⅰ

  • 耳環
  • 玉類
  • 鉄刀片
  • 鉄鏃
  • 石突
  • 挂甲
  • 轡・
  • 木製壺鐙
  • 杏葉
  • 辻金具
  • 飾金具ほか
  • 須恵器
  • 板状鋲留鉄製品
  • 筒状鋲留鉄製品
  • 鞴口

後円部第Ⅱ

  • 鉄刀
  • 石鏃
  • 須恵器

後円部第Ⅲ

  • 琥珀棗玉
  • 鉄刀
  • 土師器

前方部第Ⅰ

  • 鹿角装環頭大刀
  • 鉄鏃
  • 刀子
  • 須恵器

前方部第Ⅱ

  • 耳環
  • 玉類
  • 鉄刀
  • 鉄鏃
  • 鉄製利器
  • 須恵器

前方部第Ⅲ

  • 耳環
  • 玉類
  • 鉄鏃
  • 鉄製利器
  • 須恵器

時期

  • 6世紀前半と推定されている。

指定

アクセス等

  • 名称:富木車塚古墳
  • 所在地:大阪府高石市富木918-2・3
  • 交通:

参考文献

  1. 阪市立美術館(1960)『大阪市立美術館学報3:富木車塚古墳』大阪市立美術館