浅間古墳 ― 2026年09月05日 00:05
浅間古墳(せんげんこふん)は静岡県富士市に所在する古墳時代前期後半(4世紀中頃)築造の前方後方墳である。後方部の墳頂に浅間神社の社殿が鎮座することから「浅間神社古墳」とも呼ばれる(大塚初重、小林三郎(1996))。
概要
4世紀前半ごろにつくられた、全長約90.8m(約91m)の東海地方で最大規模の前方後方墳である。1957年の国史跡指定以後、本格的な発掘調査は行われていなかったが、保存管理や活用に向けた本格的な発掘調査が2026年度から開始されている。
富士市は史跡の適切な保存管理と未来への活用のための基礎資料とするため、発掘調査を、令和8年度から令和12年度までの5か年をかけて行い、令和13年度には総括報告書を作成する予定とされた。1957年(昭和32年)に国の史跡に指定されている。
2020・2021年のレーザー測量によって、南側(海側)と北側(山側)で墳丘の高さが大きく異なり、海側から見た際に大きく見えるように築造されたことが確認されている。 被葬者には諸説があるが、被葬者には諸説があるが、富士市教育委員会(2025)は被葬者を『水上・陸上交通を掌握したスルガの王墓』とする。
調査歴
- 1921年(大正10年)、『静岡県史蹟名勝誌』に前方後円墳で、埴輪が出土したと記載される。
- 1930年(昭和5年)『静岡縣史』第1巻に全長97mの前方後円墳と記載された、
- 1957年(昭和32年)内藤晃による初めての本格的な測量調査が行われ、全長103mの「前方後方墳」であると指摘し、葺石は存在し、埴輪は伴わないとされた、年代は古墳時代中期の初め頃と推定された。
- 1997年(平成9年)、静岡大学人文学部考古学研究室による測量調査が実施され、墳長約90m 、後方部長約60m・後方部高約10m の前方後方墳( 後方部二段・前方部一段築成)とされた。平面形態は非対称形で、南側が大きく、前方部が比較的短く、古い形態を残したものとされ、古墳時代前期後半(4 世紀中頃)の築造と推定された。
- 2019年、富士市教育委員会による、埋葬施設の有無・形状把握を目的とした地中レーダー探査を実施し、後方部に建てられた社殿の西側で地表から2.0 ~ 2.5mほどの深さに、内法長辺約7.4m、短辺約2.2m、幅1~3m程度の構造物に囲まれた竪穴系埋葬施設(もしくは粘土槨)が残存している可能性が示された(富士市市民部(2022))。
- 2020~2021年、富士市教育委員会による空中レーザー測量が行われ、全長90.8mに復元し、後方部側面に平坦部(テラス部)の存在を指摘した。後方部二段、前方部一段築成の前方後方墳とした(富士市市民部(2022))。
- 2026年(令和8年)7月20日からの発掘調査の目的の一つは、史跡指定地外に存在する可能性が高まった墳丘盛土・周溝などを確認し、古墳の範囲を確定することである。 またトレンチ調査で埋葬施設が存在すると推定される後方部墳頂付近から過去に採集されていた赤彩高坏について製作年代を分析し、古墳の築造年代は、4世紀中ごろ(古墳時代前期後葉)の可能性が高くなったと報道された(朝日新聞(2026))。
- 4世紀後半~7世紀の富士山噴火による火山噴出物に覆われた葺石が確認されたと報道された(朝日新聞、2026年8月30日)。
築造時期
- 古墳時代前期後半(4 世紀中頃)
被葬者
- 駿河湾の水上・陸上交通を掌握したスルガの王墓
展示
指定
- 1957年(昭和32年)7月1日 国指定史跡
アクセス等
- 名称 :浅間古墳
- 所在地 :静岡県富士市増川624-1
- 交 通 :JR東海道本線 吉原駅 バス 25分/岳南電車「神谷駅」1.4km(徒歩25分)
参考文献
- 大塚初重、小林三郎(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 富士市教育委員会(2025)『国指定史跡 浅間古墳保存活用計画 概要版』富士市教育委員会
- 富士市市民部(2020)「空中レーザー測量実施」埋蔵文化財ニュース
- 富士市市民部(2022)「空中レーザー測量実施」埋蔵文化財ニュース
- 「4世紀古墳から富士山噴火噴出物」朝日新聞、2026年8月18日
- 富士市(2026)「国指定史跡浅間古墳の発掘調査を始めます」2026年8月17日
- 「4世紀の古墳の葺石が当時のまま発見」朝日新聞、2026年8月30日
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