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馬鐸2023年09月07日 22:24

馬鐸(ばたく)は馬の胸にさげる青銅製の鈴の一種である。

概要

馬鐸の内側の天井部から「舌」が下がり、全体が揺れると壁に当たり音が出る仕組みである。 馬の胸繋につける装飾品で、音を発する馬具である。 青銅製の扁円筒形で、形は銅鐸に似ている。 馬鐸や馬鈴などで飾られた「飾り馬」は、当時の豪族の儀式に用いられた。 中国、朝鮮が起源であり、日本の銅鐸はこの影響で作られたと考えられる。中国では馬鈴という。

出土例

  • 馬鐸 – 千葉県香取郡東庄町東今泉938出土、古墳時代・6世紀
  • 馬鐸 - 小丸山古墳、島根県益田市、島根県益田市乙吉町

参考文献

貨泉2023年09月08日 23:04

貨泉(かせん)は古代中国の「新」の王莽が天鳳1年(西暦14年)に鋳造した銅銭である。地皇4年(西暦23年)に新が滅んで、鋳造されなくなった。

概要

中央に四角い孔がありその右側に「貨」,左側に「泉」の2字を鋳出している。 弥生土器に伴出するものとされ、弥生時代の年代決定の有力な手掛りとされていた。 新は15年という短期間で政権が終わったため、一緒に出土した土器などの年代をはかる基準となる。しかし中国から大量に輸入された銅銭に混入する場合もあり、出土品の全てが弥生時代に日本にもたらされたものとは限らない。一度に複数枚が出土することはまれで、現状では、岡山県高塚遺跡出土の25枚が最多となっている。貨泉は国内で179枚見つかっている。直径2.27~2.32センチ、重さは1.45~2.53グラム。 弥生時代は貨幣経済があったとは考えられていないため、交易品や、権威を示す威信財、青銅器の材料などとして持ち込まれたと考えられている。

出土例

  • 貨泉 –入田稲荷前遺跡、兵庫県南あわじ市、弥生時代
  • 貨泉 - 澱池遺跡、大阪府貝塚市、中世の遺構面
  • 貨泉 –高塚遺跡、岡山県岡山市、弥生時代

参考文献

把頭飾2023年09月08日 23:32

把頭飾(はとうしょく)は剣の持ち手の飾りである。

概要

銅剣の柄頭につく盤状装飾と組み合わさる装飾で、剣で突く時に重力を加えるための加重器としての役割も果たしたと思われる。

出土例

  • 把頭飾の鋳型 –須玖タカウタ遺跡、福岡県春日市、弥生時代中期前半・紀元前2世紀ごろ
  • 青銅製把頭飾 - 須玖岡本遺跡、福岡県春日市、弥生時代中期~後期

参考文献

頚鎧2023年09月09日 14:56

頚鎧(けいがい)は短甲桂甲の甲に付属し、頸部や肩の上部を庇護する武具である。 「首鎧」(しゅがい)「頸甲」(あかべよろい)ともいい、「くびよろい」とも読む・

概要

古墳時代の甲を装着する時、頸部を保護する為につけられた鎧である。

出土例

  • 頚鎧 - 大鳥居宇山平遺跡、山梨県中央市大鳥居、4世紀後半から5世紀頃
  • 頸甲 - 豊富王塚古墳出土、山梨県中央市、古墳時代・5世紀、鉄製
  • 頸甲 - 肥後江田船山古墳出土品、熊本県和水町、東京国立博物館、古墳時代・5~6世紀
  • 頸甲 - 黒姫山古墳、大阪府堺市美原区黒山、5世紀中頃

参考文献

鉄鉾2023年09月09日 15:59

鉄鉾(てつほこ)は鉄製の鉾である。

概要

は、敵を突つき刺さすための武具である。長い柄を差し込んで使う。差し込んだ後あと、抜けないように鉾と柄をとめる目釘のための穴(目釘穴)を使って止める。

出土例

  • 鉄鉾 - 将軍山古墳、埼玉県行田市、古墳時代後期の6世紀末
  • 鉄鉾破片 - 妙見山古墳、京都府向日市、古墳時代前期
  • 鉄鉾 - 上田原遺跡、長野県上田市、弥生時代

参考文献

2023年09月09日 17:36

(たがね、chisel)は岩石や金属を加工するための工具である。

概要

古墳時代には石棺を作る際などに使われた。岩石や金属を切断したり削ったりするのに用いる鋼鉄製の手工具である。金属を加工するときは、「はつり」や金属版の切断したり、凹凸をつけたりするために使う。鋭い刃を持ち、反対側をハンマーで叩くことで

出土例

  • 鉄鏨 - 前橋天神山古墳出土、群馬県前橋市、古墳時代・4世紀 東京国立博物館
  • 鏨 - 高蔵寺5号墳、春日井市玉野町塚本、7世紀初頭

参考文献

  1. 早野浩二(2008)「古墳時代の鉄鐸について」愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター研究紀要 9,pp.31-42

桂甲2023年09月09日 17:52

桂甲/飛鳥寺塔心礎出土、飛鳥資料館

桂甲(けいこう)は鉄小札を革紐や組紐でつづり合わせて作った防御具である。

概要

中国で戦国時代以降に発達し、5世紀中葉に騎馬の術とともに朝鮮半島を経由して倭国に伝わった。小札はまれに金銅装があるものの、ほとんどは鉄製である。倭国では古墳時代後期以降に短甲から桂甲に変った。これは戦闘方法の変化によるとも言われている。5世紀代には短甲と桂甲が併存する。 一領分の桂甲には10種類以上の桂甲が使用される。桂甲には頚甲、肩甲、草摺、膝甲、籠手、臑当(すねあて)などの付属品がつく。 革紐や組紐の腐朽によって出土時に桂甲が原形を保つことはない。

埴輪

埴輪に「挂甲の武人」がある。群馬県太田市飯塚町出土で、国宝である。

出土例

  • 飛鳥寺塔心礎出土桂甲
    • その年代が限定される数少ない資料である。佳甲を構成する小札の分析, 横綴じの方法, 微し方やその素材の検討, 着用方法の復原的研究などの結果,飛鳥寺出土の桂甲は,基本的には古城時代の桂甲と同じであるが,腰の部分に外反する小札を用い,草摺部の腰前での重なりを多くとるという違いがあるとされる。飛鳥寺を創建した蘇我馬子が埋納したものとの説もある。挂甲は小札がばらばらになった状態で見つかることが多いが、本例は全体像を知ることができる貴重なものである。
  • 埼玉稲荷山古墳

参考文献