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環濠2023年09月05日 20:56

環濠(かんごう)は外敵の侵入を防ぐため、周りを柵や壕を巡らせた集落である。 「環壕」とも書く。

概要

弥生時代の環濠は軍事施設としての機能があることから、城の起源と考えられている。 「水田稲作の伝来」により、人々の生活が安定的に豊かになったが、一方ではムラ同士の激しい争いが起きた。収穫量や地形、生産技術の違いから、移動しながら分かち合って暮らしていた縄文時代にはなかった貧富の差が生まれた。稲作に適した土地や水の格差が生まれ、貯蔵した米(財産)をめぐる争いが起きた。身の安全と財産を守るために、環濠が作られた。

出土例

  • 環濠 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代
  • 環濠 - 稗田環濠集落、奈良県大和郡山市、弥生時代
  • 環濠 - 池上・曽根遺跡、大阪府和泉市/泉大津市、弥生時代

参考文献

城柵2023年09月05日 21:16

城柵(じょうさく)は外敵の侵入を防ぐため、居住区の周囲に巡らせた柵である。

概要

環濠集落には城柵があるものと、ないものがあるようだ。 吉野ヶ里遺跡には城柵があるが、池上・曽根遺跡では城柵がなかったらしい。池上・曽根遺跡の環濠は深さがあまりなく、生活用水のためのものだったようである。何度も掘り直されていることから初期には防御的機能があったことも考えられる。 なお、7世紀の本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設を城柵という。軍事拠点としての性格を有するが、防備機能は弱く、官衙としての性格が強いのが特徴である。

出土例

  • 城柵 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代

参考文献

物見櫓2023年09月05日 21:40

物見櫓(ものみやぐら)は外敵の侵入を検知するため、警戒または偵察のために設けられた施設である。

概要

『魏志倭人伝』では、「楼観」と表現する。人の出入りや敵の接近を見張り、何か異常があればいち早く仲間に伝えるための防衛施設である。原の辻遺跡では2間×2間の9本の柱で支える物見櫓である。

出土例

  • 物見櫓 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代
  • 物見櫓 - 原の辻遺跡、長崎県壱岐市、

参考文献