掻器 ― 2023年12月28日 09:55

掻器(そうき)は石素材の長軸の端部に2次加工により刃部を形成した石器である。
概要
世界的には『スクレイパー』とし掻器と削器は同じ分類となっている。 後期石器時代の石刃を素材としたスクレイパーには、石刃末端に刃を作るエンドスクレイパーと石刃側縁に刃をつくるサイドスクレイパーとがある。日本では杉原荘介が前者を掻器とし、後者を削器とした。 急角度な加工で、円形の刃がつけられた石器である。*用途 皮なめしのキズが観察され、皮鞣し用の石器と考えられる。掻器の刃は、分厚い円形であるため皮を傷つけにくい形状になっており、皮なめしに適している。刃部は45度前後以上の分厚い断面となるものが多い。 栃原岩陰遺跡では「拇指状掻器(サム・スクレイパー)」と呼ばれる石器が出土する。厚みがある石材を用い、急角度の加工で平面は丸みをおびている。大きさにばらつきはあるが、多くが2㎝程度である。金属顕微鏡を使った観察によれば、丸く加工した部分を刃にして、皮なめしなどに使っていたと見られる。 掻器についてS.A.セミョーノフは刃部を下にして立てた形で腹側面を見ると刃部の右側を主に使用していることや使用痕が刃部の縁辺と背面の特徴から右手で立て、腹面側を前に進める動作を繰り返し、獣皮の裏面を掻き取るために使用されていたと推定されている。 加藤晋平らは吉田遺跡(北海道)の掻器を検討し、刃部の左半分を多く使う掻器の方が多く、刃部縁端がほとんど摩耗していないことから、加工物に対して刃を鋭角に当て、掻くというより、削り取る作業に使用したと推定した。
分布
日本では石刃技法の発達した北海道および東北地方で典型的な掻器・削器が多い。関東や中部地方の後期石器時代では、厚い縦長剥片を素材とする寸詰まりの掻器や円形掻器が出土する例がある。
出土
- 掻器 東山遺跡、山形県、旧石器時代
- 掻器 伏見遺跡、茨城県鹿嶋市、旧石器時代
参考文献
- 杉原荘介(1965)「先土器時代の日本」『日本の考古学』 第1、河出書房新社
- 山中一郎(1976)「掻器研究法」『史林』 59(5) pp.779-819 加藤晋平, 畑宏明, 鶴丸俊明(1970)「エンド・スクレイパーについて」考古学雑誌 55(3) pp.44~74
削器 ― 2023年12月28日 09:59

削器(さっき)はナイフ状の厚い刃を持つ石器である。
概要
世界的には『スクレイパー』として掻器と削器は同じ分類となる。 剥片の縁辺に腹面に60度前後の角度で調整剥離を加えて厚い刃を作る石器である。 剥片や石刃など素材の側縁に二次加工を施した石器である。 後期石器時代の石刃を素材としたスクレイパーには、石刃末端に刃を作るエンドスクレイパーと石刃側縁に刃をつくるサイドスクレイパーとがある。日本では杉原荘介が前者を掻器とし、後者を削器とした。尖頭状削器や内湾した刃部をもつ抉入状削器,ノッチが連続する鋸歯状削器などがある。削器は石刃または剥片の側縁部に二次的な調整剥離を加えた石器であり、刃部断面形は掻器よりも薄くなる。
用途
動物解体用の切断・削り具、皮のナメシや木、骨などを削るために使ったと推定される。
出土例
- 削器 - 青谷遺跡出土、神戸市西区、サヌカイト製、弥生時代中期
- 削器 - 寺屋敷遺跡、岐阜県揖斐郡揖斐川町、旧石器時代
- 削器 - 立美遺跡、富山県南砺市立野新、後期旧石器時代末期
参考文献
- 杉原荘介(1965)「先土器時代の日本」『日本の考古学』 第1、河出書房新社
- 桑波田武志(2004)「石清水型削器小考」鹿児島県立埋蔵文化財センター (2) ,pp.1-10
威信財 ― 2023年12月28日 14:17
威信財(いしんざい、Prestige Goods)は権力者の権威や権力を示す財物をいう。
概要
下垣仁志による威信財の定義は「生存の継続には必要ないが、社会関係をの構築と維持に不可欠な、外部からもたらされ上位者から分配される貴重財」とする(参考文献1)。 威信財の理論に総合化志向と個別化志向がある。個別化志向は器物を交換する側面に着目する。総合化志向は威信財を使用した社会システムに着目する。 威信財は単なる貴重な宝物としてではなく、特定の社会段階において、威信財が親族関係や社会編成を結節するメカニズムを論じる。権力資源論では、富裕物資材として取り扱う。 1970年代の総合化志向ではマルクス主義人類学と文化人類学を融合させ、威信財の流通が婚姻関係と結びついて、そのメカニズムが社会体制の維持・再生産・発展を促進したと見る(参考文献1)。禹在柄は儀器的威信財から権力型威信財への転換を指摘する。
威信財の起源
威信財はオランダのC.デュボアが提唱した概念である。文化人類学では財を生存財と威信財とに分ける。フランスのゴドリエ(1976)はニューギニアのシアヌ族の動産(財)を次のように分けた。
- 生存財:農耕・採取・手工業による生産物
- 奢侈財:たばこ、塩、パーム油、タコの木の実
- 貴重財:貝殻、儀式用の斧、豚、極楽鳥の羽
威信財はこの分類の貴重財に相当する。貴重財の使い方は、親族関係者の婚礼、近隣集団を和平条約を結ぶ場面などで、通過儀礼や宗教儀式のために贈り物として流通する。政治的な目的で配布・流通し、個人の権威を表すものとなるのは、数が少ないあるいは入手するために大きな経済力が必要な貴重品のためである。威信財は重要な交易品であったり、入手するために社会的な競合が起きることがある。
威信財の階層性
財は明確に異なる階層化されたカテゴリーに分けられ、カテゴリー内ではある財は他の財と容易に交換できるが、下位カテゴリーの財を上位カテゴリーの財と交換するのは不可能である(ゴドリエ(1976)、p.187-189)とされている。財の階層性は社会の諸構造すなわち親族関係、宗教的関係、政治的関係の支配的役割を表現している。最も希少な財カテゴリーは社会的競合が最も激しい。社会的競合は、入手することが困難な財の占有と分配を通じて実現される。トロブリアンドと同様にティコピア経済は、生存経済ではなく、「貴重財」の生産と交換が重要な役割をもつ経済である。首長は経済の中で支配的な場を占める。土地・大型船・氏族の最も貴重な財に対する最終的な統制権をもつ(ゴドリエ(1976)、p.197)。
日本での威信財の実例
旧石器時代の精製石器、縄文時代の硬玉製大珠、弥生時代の中国製鏡、青銅武器や南海産の貝輪、古墳時代の三角縁神獣鏡・碧玉製腕飾、近世の陶磁器など。集団的威信財としては弥生時代の銅鐸、青銅武器形祭器などが該当した。
日本古代の銅鏡の分配関係は、貴重財(威信財)の分配を通じて、政治的関係の確立・強化の道具として機能したと考えられる。
安土桃山時代では茶道具が威信財となった。織田信長は茶道具を人心掌握に利用したのである。土地は希少財として恩賞とするには限りがあるが、茶道具は輸入したり、新規に制作することができる。 利休の鑑定により「価値がある」と判定すれば、昨日まで二束三文だった茶碗が、「恩賞として充分な価値」を持つようになる。織田信長は領地に代わる褒美として『茶器』を最大に利用した。 一国一城の価値が、中国から渡来した茶入一つと同じ価値を持つとされた例もある。武将の荒木村重が有岡城から逃亡する際、茶道具を抱え、側室とともに城を離れたという。信長の家臣である滝川一益は武田氏討伐の手柄恩賞として唐物茄子茶入「珠光小茄子」を切望した。信長は滝川に「上野一国と信濃二郡を下賜」したが、滝川は茶入をもらえなかったため落胆したと伝わる。
参考文献
- 下垣仁志(2019)「威信財とはなにか」『前方後円墳』(シリーズ 古代史をひらく)岩波書店
- 辻田淳一郎(2007)『鏡と初期ヤマト政権』すいれん舎
- 辻田淳一郎(2007)「古墳時代前期における鏡の副葬と伝世の論理」史淵 144, pp.1-33
- 禹 在柄(1997)「国家形成期の武器と武装」大阪大学博士論文
- M.ゴドリエ(1976)『人類学の地平と針路』紀伊國屋書店
上総国文尼寺 ― 2023年12月28日 18:59

上総国文尼寺(かずさこくぶんにじ)は千葉県市原市にある奈良時代の尼寺跡である。
概要
奈良時代の741年(天平13年)に聖武天皇の詔によって全国に建立された国立の寺院である。金光明四天王護国之寺という僧寺と、法華滅罪之寺という尼寺が同時に建てられた。 全国60箇所余りに建てられた国立の寺院のひとつで、当時の地方の仏教や文化の中心となった。敷地面積約12万平方メートルの大規模な伽藍であった。 上総国分寺は、全国でも規模が大きく、国分尼寺は当時の国内で最大の尼寺である。 上総国分尼寺の建立はなかなか進まなかったようであった。 上総国分尼寺跡は数度の発掘調査が行われ、伽藍配置ばかりでなく、尼寺を構成するいくつもの施設の存在が判明している。寺の施設には、尼僧の日常生活にかかる大衆院、事務を執る政所院、建物の修理をする大工や金工の工房である修理院、薬草や野菜、花などを栽培した薗院、花苑院、寺の雑役などに従事した人たちの居住する賎院があった。現在までに判明している主要な建物跡は、南大門、脚門であった中門と東西の門、金堂跡、経蔵、講堂、鐘楼、経楼、尼坊、政所院、回廊、門跡、北門、金属の加工を行った工房、修理院、賤院、校倉がある。
復元
中門と回廊は奈良時代の工法を再現する形で木造復元された、96本の回廊の柱は、樹齢100年以上のヒノキ(木曽桧)を使い、材の結合部として強度を要する大斗にはケヤキ、耐水性を要する部分にはヒバを使う。回廊には直径30cmの柱が96本使用され、梁行はりゆき1間けん、桁行けた行きが25間の規模である。壁には古代の窓の連子窓を取り付ける。中門や回廊、金堂の基壇には、土の崩れを防ぐため瓦が積まれ、基壇表面には、瓦と同じ材料で正方形の甎と呼ばれる瓦の一種が敷かれる。甎は回廊で8,833枚、金堂で3,622枚が使用された。
展示
- 上総国文尼寺展示館
アクセス等
- 名称:上総国文尼寺
- 所在地:千葉県市原市国分寺台中央3-5-2
- 交通: JR内房線五井駅東口より小湊鉄道バス国分寺台行き・山倉こどもの国行き等にて「市原市役所」下車、徒歩10分
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