貝輪 ― 2023年10月06日 22:38
貝輪(かいわ)は縄文時代や弥生時代に使われた貝を使ったアクセサリーである。 貝釧ともいう。
概要
「貝輪」「貝釧」は日本書紀には登場しない。縄文時代の貝輪は埋葬された人骨の腕に装着された状態で見つかることが多く、その大半は女性である。誰でも身に付けるものではなく、特別な地位にある人のためのアクセサリーであった、
縄文時代
縄文時代には二枚貝に穴をあけ、多数をつづり合わせて上腕にはめている。貝輪は貝殻の中央に、腕が通せるだけの穴をあけて完成する。貝輪の素材となった貝はどんな貝でもよいというわけではなく、「二枚貝」を中心に数種類のものに限られる。貝輪の素材は、1万年ほど続く縄文時代のなかで、時期によってその種類が大きく変化する。縄文時代の後期になると全国的に「ベンケイガイ」の貝輪が流行した。 オオツタノハ製の貝輪は、北海道から愛知県の遺跡から約200点出土する。暖かい所に生息する貝で、日本では東京都の伊豆諸島南部より南と、鹿児島県の大隅諸島より南の島々にしか生息しない。
弥生時代
弥生時代には九州北部などで巻貝類のカサガイやオオツタノハなどに穴を開けたものや、イモガイ、ゴホウラ、スイジガイなどを切って作った貝輪が盛行する。弥生時代ではオオツタノハやゴホウラ、イモガイといった、南西諸島でとれる巻貝を利用した腕輪が九州地方を中心に出土する。南海産の貝は貴重なものであり、これらは集落のなかでも特定の人しか身につけることができなかった。中には10個以上の腕輪を着装する例もみられる。
古墳時代
古墳時代は同様に巻き貝に穴をあけて腕にはめる形式となった。
産地
貝の多くは奄美群島以南に産するもので、沖縄諸島などではこれらを大量に加工したとみられる遺跡がある。
出土例
- 貝輪 - 田川内貝塚、熊本県八代市日奈久新田町、古墳時代(5世紀)
- 貝輪 - 吉胡貝塚出土、愛知県田原市、縄文時代、オオツタノハ
- 貝輪 - 神野遺跡、茨城県鹿嶋市、縄文時代後期
参考文献
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/10/06/9623482/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。