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円筒埴輪2023年12月23日 09:01

朝顔形円筒埴輪/埼玉県立さきたま史跡の博物館

円筒埴輪(えんとうはにわ, Cylindrical haniwa)は円筒形の埴輪である。

概要

円筒埴輪は弥生時代の末期に吉備地方で墓に供えられた特殊器台特殊壺を起源としていると考えられる。 3世紀から4世紀はじめに前方後円墳に配置された。 墳丘に掘った穴に基底部を埋めて建てられる。数量が多く、古墳時代に最も普及した埴輪である。 当初は朝顔形円筒埴輪と土管状の円筒埴輪が基本となる組み合わせであった。朝顔形円筒埴輪は円筒の上部が開き、あたかも朝顔の花が咲いているような形状をしている。円筒埴輪は顔形円筒埴輪と土管状の円筒埴輪とを総称していう。

円筒埴輪の起源

円筒埴輪は近畿地方に先行となる形態が見つからず、明治以来の考古学研究者の悩みの種であった。1990年代に岡山宮山・都月坂1号墳などの調査によって、吉備地方の特殊器台の裾部を省略して円筒埴輪の形態が成立したことが明らかになった。これにより飲食物を亡き先代首長に捧げる儀式を象徴し、そこから聖域を厳粛に囲うための象徴的な意味に転じたと考えられるようになった。

大和と吉備の連合政権の証

奈良県の3世紀の箸墓古墳西殿塚古墳は最古級の前方後円墳であるが、最古の円筒埴輪と特殊器台が樹立されており、大和と吉備の連合政権から大和政権が成立した証とみることができる。あるいは吉備政権が3世紀に東征し、唐古・鍵遺跡の勢力を従えて、奈良盆地の纒向遺跡に移住し、初期ヤマト政権を打ち立てたと考えることもできる。その考古学的証拠といえる。ここに九州系の土器は見られないことから、九州からの東征(神武東征)はなかったと想定できる。次の段階では円筒埴輪と壺型埴輪だけになり、次に円筒埴輪と朝顔型円筒埴輪の併用となり、6世紀末には消滅する。

円筒埴輪の形状

朝顔形埴輪は器台の上に壺を載せた形になっており、特殊器台・特殊壺の組み合わせ、すなわち器台上部に壺を載せた状態が一体化されたものと考えられる。円筒埴輪は4世紀から6世紀にかけて古墳の周囲に登場する。初期の円筒埴輪には、器台の名残から壺がのせられている例があることは特殊器台と特殊壺が原型であったことが分かる。 。

円筒埴輪の役割

初期の古墳では墳丘と埋葬施設を円筒埴輪が囲む。円筒埴輪は連続して列にして並べられているため、古墳を区画して、荘厳化する意味と古墳の中に侵入できなくするための柵のかわりの役割をしていたと考えられる。

復元例

復元例として、京都府私市丸山古墳がある。890本の円筒埴輪が連続的に並べられている。 また森将軍塚古墳には154個の埴輪が墳丘周囲に並べられる。

円筒埴輪の変化

円筒埴輪の形状変化は5期に分けられている。

  • 第Ⅰ期
    • 第1次調整として縦方向のハケ、第2次調整として縦方向のハケとナデが加わる。
  • 第Ⅱ期
    • 第1次調整として縦方向のハケ、第2次調整はA種横方向のハケ
  • 第Ⅲ期・
    • 第1次調整は縦方向のハケ、第2次調整はB種横方向のハケ
  • 第Ⅳ期
    • 黒斑がなくなる(窯の導入)
  • 第Ⅴ期
    • 第1次調整の縦方向のハケのみ。底部調整あり

円筒埴輪の製作法

帯状にした粘土を積み重ね低い筒状の輪を作る。それを設計した高さまで積み重ねる。表面をハケ目で調整し、数本の断面方形の突帯を箍のように巡らせて複数貼る。突帯の間に円形、三角形、方形などの形状の透穴を設ける。これは特殊器台の透穴が起源である。焼成法は2通りある。野焼きと穴釜である。表面に黒い斑点があるものは、野焼きである。

出土例

  • 奈良県天理市檪本町 東大寺山古墳出土の円筒埴輪。
    • 基底部高25.0。東京国立博物館蔵。
  • 三重県石山古墳では墳丘の頂上に家形埴輪を置き、周囲に円筒埴輪を配置する。後円部墳頂、前方部頂までの墳頂の平らな場所、墳丘テラス面、墳丘裾廻りを円筒埴輪が巡らせる。
    • 合計2000本の円筒埴輪が配置される。
  • 奈良県桜井市高田のメスリ山古墳
    • 高さ2.1mと最大の円筒埴輪がある。合計106点の円筒埴輪が垣根のように密に並べられている。四隅や要所に大型の円筒埴輪と高坏形埴輪を上にのせた円筒埴輪が配置される。初期の円筒埴輪として非常に古い特徴をもつ。形象埴輪は出土しない。

参考文献

  1. 高橋克壽(1996)『埴輪の世紀 歴史発掘9』講談社
  2. 近藤義郎・春成秀爾(1967)「埴輪の起源」『考古学研究』13(3) 、考古学研究会編集委員会 編、pp.13~35
  3. 川西忠幸(1978)「円筒埴輪総論」『考古学雑誌』64(2)、pp.95~164

ナデ2023年12月23日 10:52

ナデ(なで)は土器の成形法のひとつで、指や布で土器の表面を平滑にすることである。

概要

土器の器面を指や布でなでて器面をなめらかに仕上げる調整方法である。 弥生土器や土師器のように土器を手で回したり、ロクロの原形となった回転台にのせて行う方法と、須恵器のように、ロクロを使って行う方法(回転ナデ)がある。実際は手でなでるわけではなく、何らかの板状工具を使用していると考えられている。この工程により、ほぼ完全に土器の器面を平滑にすることができる。 縄文時代後期の土器は、縄文を入れた後に、区画の残りを丁寧にナデで消す技法が流行した。磨消縄文といわれるこの技法は、関東から西北九州にかけての地域に広く分布する。

ナデ調整

ナデ調整には、単に、器面をなめらかに仕上げるために行われる場合と、描いた文様をナデにより消すために行われる場合とがある。後者はハケ調整によってできた線を消す工程である。ヘラケズリ調整やハケメ調整、ヘラミガキ調整の前にナデ調整を行っている場合と、そうした調整のあとに行っている場合がある。ロクロナデはロクロを使用したナデ調整である。「ヨコナデ」は単に横方向になされたナデ調整である。「ユビナデ」は指頭をイメージさせる「ナデ」方である。「ヘラナデ」はヘラ状の工具を用いて行うナデ調整である。

事例

  • ナデ - 弥生土器、佐賀工場団地内遺跡、佐賀市高木瀬町、弥生時代
  • ナデ - 縄文土器、扇田道下遺跡、秋田県大館市、縄文時代

参考文献