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石屋古墳2026年08月18日 00:05

石屋古墳(いしやこふん)は島根県松江市にある古墳時代の方墳である。

概要

宍道湖と中海を結ぶ大橋川の南岸、標高約30mの丘陵上、松江市の市街中心部から東南東へおよそ4kmから5kmの郊外に位置する。葺石は地元で大海崎石と呼ばれる安山岩がほとんどであった。自然丘陵を切り削し盛土して築成した一辺約40m、高さ約7.8mの大型方墳で、南北両辺に長方形の造出部を設けている。墳丘は2段築成で斜面に葺石がある。 本古墳の成立時期は、出土土器から西暦5世紀の後半と判断された(松江市教育委員会(1985))。ただし出土した力士埴輪は5世紀中葉と見られているので、微妙なズレが見られる。

調査

昭和53年1月25日、松江市東津田地内において住宅団地造成工事(ひがし東光台団地)が開始されたとき、松江市文化財審議会委員の恩田清氏が現地を訪れたとき、大型の古墳があり、埴輪の破片が散乱するところを発見した。県教育委員会と工事業者とで現地立会して古墳と確認した。昭和53年7月10日から7月31日まで調査し、8月末に資料をまとめ、文化庁から翌年4月6日に国の史跡に指定された。 墳頂部の埋葬主体は未調査のため内容は不明であるが、造り出し部の形象埴輪群のなかに金崎古墳出土品と同型式の須恵器が含まれており、古墳時代中期(5世紀頃)に属する古墳と見られる。 方墳が多く築造された出雲地方でも最大級の規模をもつ方墳である。

埴輪

中央平坦部から多数の形象埴輪の破片が出土した。種類としては、人物埴輪、馬埴輪などがある。埴輪片に混じって須恵器の壷、器台の破片、土師器の高郭丸底坩、埴輪の破片が散布していた(松江市教育委員会(1985))。 造り出し部分に形象埴輪を樹立する(松江市教育委員会(1985))。第1段の平坦面に葺石の根石にそい、円筒埴輪や朝顔形埴輪が間隔をあけずに並べられていた。造り出し部の先端の北側は、「空濠」部分である。埴輪の基部は約10cm地山を掘ってすえられている。、完形の円筒埴輪はなかったが、最低2段の凸帯を有し器表面の刷毛目調整は水平方向と垂直方向に施し、比較的古い製作技法によっていた。赤色や緑色の顔料が残る埴輪片も確認されており、彩色埴輪の実態を考えるうえでも注目される。 島根県古代出雲歴史博物館による埴輪の整理復元が行われた。その結果、最古の2個体の力士埴輪を復元できた。また武人埴輪、正装男子、倚座人物埴輪、家型埴輪、円筒器台形埴輪、蓋形埴輪が確認された。力士埴輪は下半身部分(高さ約80センチ)をほぼ復元した。右腰にまわしとみられる帯状のものが残っている。力士埴輪の高さは推定120センチを超える可能性がある。 重要なことは、人物埴輪の配置が明らかになったことである。複数種類の人物埴輪を組み合わせた埴輪群の最古例として、従来は保渡田八幡塚古墳の例が注目されていたが、石屋古墳の再整理によって、さらに古い人物埴輪群の存在が明らかになった。造り出し上に配置された形象埴輪群の構成を復元する手掛かりが得られた。

考察

古墳の築造時期は「倭の五王」の時期と近い。円筒埴輪に加え、人物、動物、家などをかたどった形象埴輪が使われる時期である。 最古の力士埴輪が出土しており、第11代・垂仁天皇の時代(相撲の天覧試合が行われたとされる伝承)との繋がりが指摘されている。『日本書紀』では垂仁の前で野見宿禰と当麻蹴速が相撲をとったという伝承が記載されている。 『日本書紀』の垂仁七年は紀元前23年とされるが、これは虚構といえる。石屋古墳出土の埴輪の力士の製作年代は400年代の半ばと見られている。 一部には、記紀に記された天皇紀年をそのまま採用せず、考古学的・系譜的検討から垂仁を5世紀頃の人物として位置づけようとする見解もある。イリヒコの名をもつ大王には崇神大王(ミマキイリヒコ)や垂仁大王(イクメイリヒコ)などが知られており、3世紀後半から4世紀頃に実在した可能性のある「大王(おおきみ)」と見る見解がある(井上光貞(1960))。しかし垂仁の実在性については、考古学的な確証はなく、神話・伝説上の人物(架空性がある)とする見方が有力である。しかも5世紀とは時代がずれているので、『日本書紀』の人物の実在性の証明は困難である。

規模

  • 形状 方墳
  • 築成 2段築成
  • 規模 1辺40m、高7.85m

外表施設

  • 円筒埴輪 円筒埴輪・朝顔形埴輪
  • 葺石 葺石あり

遺構

遺物

築造時期

  • 5世紀中葉頃に築造

被葬者

  • 当地の航海権を掌握した豪族の墓所

展示

指定

  • 1979年4月6日 国の史跡 史跡名勝天然記念物

アクセス等 

  • 名称:石屋古墳
  • 所在地 :島根県松江市矢田町・東津田町
  • 交 通 :JR松江駅からバス15分、馬橋下車徒歩10分

参考文献

  1. 松江市教育委員会(1985)「史跡石屋古墳」
  2. 井上光貞(1960)『日本国家の起源』岩波書店