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深大寺城山遺跡2026年08月29日 00:25

深大寺城山遺跡(じんだいじしろやまいせき)は東京都調布市に所在する縄文時代から中世までの複合遺跡である。

概要

深大寺城山遺跡は国分寺崖線周辺に広がる。武蔵野台地の南縁(国分寺崖線)は、古くから豊富な湧き水が得られる場所であり、多摩川の氾濫から安全な高台(段丘縁辺部)には縄文時代の住居跡が確認されている。 神代植物公園の城山地区整備や宅地造成などに伴い、発掘調査や報告書作成が行われてきた。調査は神代植物公園城山地区や中央電気通信学園の敷地などで行われた。特に深大寺城山遺跡は中央電気通信学園(現在のNTT東日本「NTT中央研修センタ」の前身)や神代植物公園城山地区の敷地内に広がる遺跡である。

縄文時代

1952年(昭和26年)の発掘調査で2軒の竪穴住居がみつかり、縄文土器の破片や、狩猟・加工に使われた石器、炉穴が出土した。石器は石鏃、打製石斧、磨製石斧、凹石(くぼみいし)・石皿(いしざら)、スクレイパー(掻器・削器)、礫などである。当時は湧水が豊富で豊かな落葉広葉樹林が広がっており、これらの狩猟具や植物加工用の石器がまとまって出土することは、縄文人が安定して採集狩猟生活を送っていたと推察されている。

弥生時代

弥生時代には深大寺城山遺跡がある崖のすぐ下には豊かな湧き水と、湿地帯(低地)が広がり、住居は高台の深大寺城山遺跡に構え、農耕を目の前の低地で行った。多摩地域で最初に確認された弥生時代の竪穴住居跡とされる(調布市市史編纂委員会(1999))。

弥生時代の竪穴住居跡は、1辺約4mの隅丸方形を呈し、北壁際に炉を設けていた。住居跡からは甕形土器、壺形土器、台付甕などが出土した。甕は口径10.5cmで口縁部に鋸葉状の刻みがあり、胴部に刷毛目整形を施す。甕形土器と台付甕は弥生時代末期の前野町式土器の特徴をもつ。前野町式土器は弥生時代終末期から古墳時代初頭(3世紀頃)にかけて南関東を中心に分布する土器ケ形式である。台付甕は食物の煮炊きに使う甕の底に、「台(脚)」が付いているのが特徴である。火の熱効率を高める工夫とする見解があり、東海地方から伝わった土器形式とされる。台付甕は東海地方(愛知県の尾張・三河や静岡県など)の弥生文化で非常に発達した器種とされている。弥生時代中期後半から後期にかけて、東海地方からの集団の移動や、技術・物流の交流にともなって南関東(武蔵野台地や多摩川流域)へ流入、あるいは模倣された器種である。

古墳時代

深大寺城山遺跡から古墳時代の集落跡や土器などの遺物が出土する。壺形土器は古墳時代初頭の特徴を有する。

中世

16世紀前半の戦国時代には、中世には深大寺城が築かれた。深深大寺城は深大寺城山遺跡に隣接する都立神代植物公園の水生植物園内にあり、16世紀前半の戦国時代に築かれた平山城である。

調査

アクセス等

  • 名称:深大寺城山遺跡
  • 所在地:東京都調布市深大寺元町2-19
  • 交通:京王線「調布駅」北口から京王バス「深大寺」行きに乗車(約15?20分)、終点または「深大寺」バス停下車 徒歩約3分

参考文献

  1. 調布市市史編纂委員会(1999)「調布市史 上巻」調布市