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掘立柱建物 ― 2026年10月14日 00:05

掘立柱建物と竪穴建物、礎石建物の比較

掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)は柱を礎石などの基礎の上に置くのではなく、地面に掘った柱穴に柱を直接埋め込んで立てる構造の建物である。柱穴に柱を据え、その上に梁や桁などを組んで建物の骨格を構成する。床を地面と同じ高さにするもののほか、床を地面より高くした高床建物もある。

概要

床面を地面とほぼ同じ高さに設けるものと、柱を長くして床を地面から高くした高床建物とがある。高床建物では、床下に空間が形成される。弥生時代では高床倉庫などの倉庫として用いられたと考えられる例がある一方、建物の規模・配置・構造などから、居住・祭祀・集会などの機能が想定されるものもある。柱を立てていた穴(柱穴)が発掘調査で見つかるが、柱穴の断面や埋土を観察すると、柱材が残存していなくても、柱痕跡や柱抜取り痕などから柱の位置や太さを推定できる場合がある。遺構として検出される掘立柱建物跡は、複数の柱穴(ピット)が一定の間隔で規則的に配置されることから認識される。柱穴の規模・形状・埋土・重複関係などを検討し、柱筋や建物の平面形を復元できる。

掘立柱建物と高床建物との関係

掘立柱建物には、床を地面近くに設けるものと、柱を長くして床を高くした高床建物がある。また、柱間に壁を設けるもの、開放的な構造のものなど、建物の構造には多様性がある。そのため、「掘立柱建物」は建物の用途や形態を示す名称ではなく、主として柱の設置方法を示す建築構造上の名称である。

竪穴建物と掘立柱建物の違い

竪穴建物と掘立柱建物は、主として建物を構成する構造や床面のつくり方によって区別される。竪穴建物は、地面を掘り下げて床面を設けることを基本とするのに対し、掘立柱建物は、柱を地面に掘った柱穴に直接埋め込んで立てることを基本とする。

ただし、両者は必ずしも完全に対立する構造ではなく、竪穴建物にも柱を地中に埋め込む例がある。また、掘立柱建物にも地面に近い床面を持つものと高床のものがある。 違いを比較すると以下の通り。

  • 床面
    • 竪穴建物は地面を掘り下げて床面を設ける(半地下式)。
    • 掘立柱建物は床面を地表面付近に設けるものや、柱を長くして高床とするものがある。
  • 構造
    • 竪穴建物は掘り下げた床面と周囲の壁・屋根を組み合わせて空間を構成する。
    • 掘立柱建物は地中に直接立てた柱を基本として、梁・桁などを組み上げる。
  • 室内
    • 竪穴建物は炉・炉跡が確認される例が多いが、すべての竪穴建物に炉があるわけではない。
    • 掘立柱建物でも、建物の用途によっては火を用いる施設が設けられる可能性がある。

掘立柱建物の長所と欠点

掘立柱建物では、柱を地中に直接埋め込むため、礎石の上に柱を立てる建物と比べ、柱の地中部分や地際部分が腐朽する可能性がある。とくに地下水や降雨、土壌の状態などは柱材の保存状態に影響を与える。

一方、掘立柱建物は、礎石を用いる建物に比べて基礎工事を簡略化できるという利点もあり、柱を交換したり建物を建て替えたりすることも可能である。

発掘調査では、同じ場所に建物が繰り返し建て替えられた結果、柱穴が重複して検出される場合がある。こうした重複関係を調べることによって、建物の建て替えや集落の変遷を明らかにできる。

掘立柱建物跡の認定と復元

発掘調査では、柱材そのものが残っているとは限らないため、柱穴の配置から建物の存在を推定することが多い。柱穴が一定の間隔で並び、複数の柱筋が直交するなど、建物として整合的な配置を示す場合に掘立柱建物跡として認識される。

柱穴の大きさや形状、柱痕跡、埋土、重複関係などを検討することで、柱の位置や太さ、建物の規模、柱間寸法、建て替えの順序などを推定できる。柱穴が重複している場合には、古い建物を解体した後、同じ場所に新しい建物が建てられた可能性がある。

ただし、柱穴の配列だけから建物の用途や上部構造を一意に決定することは難しく、出土遺物、建物の規模、周辺遺構との関係などを総合して判断する必要がある。

掘立柱建物の出現時期

縄文時代前期

縄文時代前期には、掘立柱建物と考えられる遺構が確認されるようになる。当時は拠点集落の中心となる建物や、小規模なものが見られる。青森県青森市の三内丸山遺跡では大型掘立柱建物が現れる。直径約2メートル・深さ約2メートルの大きな柱穴に、太さ約1メートルのクリの木柱を6本立てた3×2列の構造の建物がみられる。用途は、見晴らし台、儀式や祭祀の場、大型のモニュメントなどとして使われたと考える説がある(柳原輝明(2022))。しかし、大型掘立柱建物などがどのような機能を持っていたかについては確定しているわけではない。 秋田県大館市の池内遺跡は1975年(昭和50年)〜1976年(昭和51年)の調査により、全国で初めて縄文時代の掘立柱建物の存在が確認された遺跡である。多数の竪穴建物が整然と並ぶ計画的な集落の中で、拠点となる中心的な役割を担っていたと考える説がある(秋田県埋蔵文化財センター(1999)、大館市教育委員会(1997))。

弥生時代

弥生時代の住居は竪穴建物が中心であった。弥生時代や古墳時代になると、高床式倉庫などに掘立柱構造が用いられた。弥生時代の掘立柱建物には、倉庫以外の機能もある。佐賀県吉野ヶ里遺跡では、高い柱を持つ大型の掘立柱建物跡が確認されており、その規模や構造、集落内での位置などから、物見櫓などの見張り・監視のための施設とする見解がある。

古墳時代

古墳時代にも掘立柱建物は各地で用いられ、居住施設、倉庫、祭祀関連施設などに加え、地域の拠点施設を構成する建物としても利用された。

飛鳥時代以後

飛鳥時代以降も掘立柱建物は広く用いられ、宮殿・官衙・寺院・居宅などさまざまな建物に採用された。一方、7世紀以降には宮殿や寺院などを中心に礎石を用いた建物(礎石建物)も普及し、掘立柱建物と礎石建物が用途や時期に応じて併存した。

平城京でも掘立柱建物と礎石建物の双方が確認されており、建物の用途や時期によって異なる構造が採用されていた。平城京でも、掘立柱建物と礎石建物の双方が確認されている。貴族の邸宅は掘立柱建物もあるが、すべてが掘立柱建物だったわけではない。

その後も掘立柱建物は長く用いられ、近世以降にもさまざまな建築でその構造がみられる。したがって、礎石建物の普及後に掘立柱建物が一律に消滅したわけではない。

近世以降

近世後期以降は礎石や基礎を用いる建築が普及する一方、掘立柱構造もさまざまな建物で継続して用いられた

出土例

参考文献

  1. 青木敬(2011)「掘立柱建物の検討視点」奈良文化財研究所紀要,pp.46-47
  2. 秋田県埋蔵文化財センター(1999)『秋田県文化財調査報告書282:池内遺跡』秋田県教育委員会
  3. 朝岡俊也(2025)「弥生時代の掘立柱建物と祖先祭祀」福岡 : 七隈史学会
  4. 大館市教育委員会(1997)「池内遺跡(遺構篇)」大館市教育委員会
  5. 埋蔵文化財研究会編(1991)『弥生時代の掘立柱建物』名著出版
  6. 柳原輝明(2022)「三内丸山遺跡大型掘立柱建物についての一考察」日本天文考古学会
  7. 山中敏史(2007)『古代官街の造営技術に関する考古学的研究』、
  8. 湯場﨑 辰巳(2019)「鹿児島県における弥生時代の掘立柱建物跡の基礎的研究 : 県本土の掘立柱建物跡の集成と考察」『縄文の森から』研究紀要11、pp.67-76、鹿児島県立埋蔵文化財センター
  9. 脇園大史、伊藤弘(2023)「三内丸山遺跡における大型掘立柱跡復元過程の検討」文化資源学 21 (0), pp.59-73