腰佩 ― 2026年10月08日 00:05
腰佩(ようはい)は腰帯から垂下して身につける装身具・垂下具の総称で、装飾板や魚形の佩飾品、砥石などを組み合わせたもので、場合によっては小刀・薬筒などの実用品を伴う。場合によっては小刀・薬筒などの実用品を組み合わせたものである。
概要
腰佩は古代東アジアにみられる腰帯から垂下する装身具・佩飾具で、日本では古墳時代から関連する資料がみられ、奈良時代にも用いられた。
古墳時代中期以降には、腰帯から垂下する装飾品と考えられる資料がみられ、魚形品や砥石などが知られる。腰佩には魚形の魚佩や、砥石を吊り下げた佩砥(はいれい)などがある(鹿野塁(2005))。 日本列島では、朝鮮半島からもたらされた佩砥、日本列島で製作された佩砥のほか、腰から吊り下げる用途とは異なる実用品としての砥石も出土している。後田遺跡(千葉県旭市)では金銅製魚佩が出土しており、原形を切断・加工して別用途に転用したものと考えられている。 懸垂用の紐条は消失している物が多く、全体の形状は明らかではない。
新羅では、腰佩は装飾品であるとともに、着用者の身分や階級を示す性格をもっていたと考えられている。日本でも奈良時代には、律令制の服制において玉佩(ごくはい)が礼服の構成要素として定められ、朝賀や即位の儀式などで着用された。玉佩を含む礼服は位階と結びついていたため、玉佩にも身分・格式を示す性格があったと考えられる。
腰から玉佩を吊り下げる服制については、中国・唐の服飾制度の影響を受けたものと考えられている。また、その起源については、遊牧民などにみられた刀子・道具類を腰から吊り下げる実用的な習慣が、宮廷服飾に取り入れられ、儀礼的な腰佩へと変化したとする見解がある。後田遺跡(千葉県旭市)の金銅製魚佩は日本列島における魚佩の具体例である。
海外事例
腰部に装身具を垂下する習慣は、中国では殷・周代までさかのぼり、南北朝・隋・唐代にもみられる。古代の朝鮮半島(新羅など)では身分を示す装飾として使われた。新羅では、腰佩が着用者の身分を示す装身具としての性格を持っていたと考えられている。
朝鮮半島の古墳からは、腰帯から垂下して用いたと考えられる佩砥が出土している。新羅古墳では全体の形が明らかなものがある。新羅の腰佩には、金製・銀製の垂下飾りを複数組み合わせたものがあり、魚形、短冊形、玉状など多様な飾りが確認されている。
金冠塚古墳の金製腰佩は新羅の典型的な腰佩である。銀製腰佩は出土地不明であるが、三国時代の腰佩の具体例である。
出土例
- 金製腰佩 - 金冠塚古墳、大韓民国慶州市新羅時代、5世紀末~6世紀初頭頃
- 金銅製魚佩 - 後田遺跡、千葉県旭市、古墳時代後期
- 銀製腰佩 - 出土地不明、三国時代・5~6世紀、東京国立博物館所蔵(TJ-5124)
参考文献
- 旭市教育委員会(2019)「千葉県旭市内遺跡発掘調査報告書平成 30 年度」旭市教育委員会
- 鹿野塁(2005)『古墳出土の砥石』『古墳出土金工製品の日韓比較研究』財団法人大阪府文化財センター
- 町田章(1997)『古墳時代の装身具』至文堂
- 「養老の衣服令による文官礼服」風俗博物館

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