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神仙思想2024年04月08日 00:04

神仙思想(しんせんしそう,英divine thought)は古代中国で発生した民間思想であり、遠くの山に神が住むという思想である。

概要

はるか東海にある蓬莱山や西方の果ての崑崙山に神仙が住むと考えられた。 神仙は不老不死や飛昇などの特殊な能力をもつと考えられていた。『抱朴子』によれば、不老不死になるためには修行によって生を養う養生術と、丹(金丹)という薬をつくってて服用するという錬丹術が書かれる。崑崙山に住む西王母は、全ての仙女(女仙)を統括する。3000年に一度だけ開花し実を結ぶする桃(仙桃)や仙薬を保有しており、これらを食べると長寿になれるという伝説である。東方の蓬莱山 上に住む東王父は男仙を統率する。「東王公」「東父」ともいう。山東半島のはるか東の海中に蓬莱山などの神仙境があるとされる。 中国では漢代(BC202年からAD220年)を中心に流行した。富貴、長生、子孫繁栄などの現実的な利益を求め、常世国や神仙境への憧れがあった。

道教と神仙思想

神仙思想は道教思想の基礎となっている。道教は、神仙思想・老荘思想・黄老思想・五斗米道など数多くの思想を取り入れて成立した多神教である。 不老長生とは、肉体を健全にし、生命の永遠を願うため、道教はこれを目的とした。道教では不老長生を得るための手段の一つとして、種々の儀礼を行う。儀礼には、道教の戒律を受けた道士によって行われるものと、法師など道士以外の人々により行われるものがある。

鏡の題材

漢式の神獣鏡は神仙思想を図像にしたもので、西王母と東王父が描かれている。神獣鏡は中国の漢代後半から六朝初期に盛行した。

徐福伝説

秦の始皇帝は不老不死を願って仙薬を求め、徐福を蓬莱山に派遣した。徐福の目指した蓬莱山は日本のことであり、徐福が日本に来たという伝説が残る。不老不死の仙薬を探すために、3000人の童男童女を引き連れて船出し、日本の熊野にたどり着いたとされる。司馬遷が『史記』に記載しているため、徐福は実在した人物と考えられている。新宮駅から東100mに「徐福の墓」がある。

弥生時代における神仙思想

唐古鍵遺跡から出土した褐鉄鉱の塊の中空部分に勾玉を収めたものは中国では「壺石」「鳴石」「鈴石」と呼ばれる。辰巳和弘はその粘土の塊を「兎餘粮」「太乙兎餘粮」として仙薬と珍重されたものと紹介する。これを服用すれば、空を飛び、寿命を延ばすことができると『抱朴子』に書かれるからである。

日本書紀

  • 日本書紀巻第六 垂仁 九十九年秋七月戊午朔
  • 田道間守、於是、泣悲歎之曰「受命天朝、遠往絶域、萬里蹈浪、遙度弱水。是常世國、則神仙祕區、俗非所臻
  • (大意)(垂仁は逝去し)田道間守は常世の国から帰国した。持ち帰ったのは非時の香菓である八竿八縵(橘を串に刺したものと、葉付きの枝)であった。常世の国は遠く波を越え、川を渡った。常世の国は神仙が隠れるところである。

魏志倭人伝に見え隠れする神仙

神仙思想における蓬莱山が山東半島のはるか東の海中にあるという地理的情報は『魏志倭人伝』の邪馬台国の位置と関係があるのではないだろうか。『魏志倭人伝』の行程を(放射状説を取らないで)そのまま解釈すれば、山東半島のはるか東の海中になるからである。

参考文献

  1. 横手裕(2002)『中国道教の展開』世界史リブレット96、山川出版社
  2. 大形徹(2005)「神仙思想の成立に関する研究」文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書
  3. 藤田 友治(2002)『古代日本と神仙思想』五月書房
  4. 津田敬武(1916)「古墳發掘の所謂神獸鏡を論じて佛敎渡來以前の宗敎思想に及ぶ」『考古学雑誌』 1巻1号,pp.273~280
  5. 辰巳和弘(2005)「神仙思想の伝来と倭化」万葉古代学研究所年報(3),pp.82-92

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