根塚遺跡 ― 2024年04月24日 10:06
根塚遺跡(ねつかいせき)は長野県長野県下高井郡木島平村にある縄文時代から弥生時代後期、平安時代・中世にかけての複合遺跡である。
概要
長野県の馬曲川扇状地の扇横部から扇端部における平坦な水田面のほぼ中央部に位置する水田面から高さ約10mの自然丘のひとつ東西105m、南北58mの根塚丘陵から数百点の土器と鉄剣2本が出土した。鉄剣とともに出土した土器は弥生時代の土器であった。短い剣(1号剣)は長さ53cmで一般的な形状であるが、長剣(2号剣)は長さ74cmのサーベル状である。柄頭に2つ、柄頭に1つ、合計3個所に渦巻き文の装飾がある。また墳丘墓の墳頂部に埋葬された木棺内から舶載の鉄剣一振りと多量のガラス小玉・管玉類が検出されている。
調査
平成8年の小規模な発掘で弥生時代後期の鉄剣が出土した。貴重な発見であったことから、全面的な発掘が行われた。縄文・弥生・古墳・平安・中世にわたる複合遺跡であることが判明し、北信地域で希有な遺跡であることが確認された。
刻書土器
3世紀後半の土器に「大」と読める文字が出土している。線刻される部位は鉢底部に近い体部であり、文字の方向は倒位か横位と考えられている。焼成後の線刻である。平成10年度の第3次調査で確認された「大」字様刻文土器も同様な筆順であった。筆順が朝鮮半島南部の伽耶地域の5~ 6世紀の刻書土器に類似性がある。
渦巻文を有する鉄剣
渦巻文を有する鉄剣は、国内では京都市八幡市のヒル塚古墳(4世紀後半)に出土している。2号剣のようにサーベルの巴先に渦巻文をもち、ゼンマイ状に巻き上げている。朝鮮半島南部に渦巻文をもつ鉄製品が出土している。慶尚南道金海市酒村面の良洞里古墳の出土品である。鉄製品が出土した遺構はいずれも土墳木椰墓で、第162号はA.D 2世紀後半代、第212号はA.D 2世紀末から3世紀初めに比定されている。第212号出土の鉄剣は、柄の部分を2分割して棒状部分を作出して渦巻に巻かれており、根塚遺跡2号鉄剣と同じ技法である。渦巻文装飾の文様構成や鉄素材の成分分析などから、発見された3本の鉄剣はいずれも朝鮮半島製であることが確認された。
遺構
弥生時代
- 墳丘墓
- 木棺墓
- 集石墓
- 集石
古墳時代
- 割竹形木棺墓
遺物
弥生時代
- 勾玉
- 鉄剣
- 管玉
- ガラス製小玉
- 弥生土器
古墳時代
- 鉄剣
- 鉄鏃
- 刀子
- 管玉
時代不明
- 鉄製品5(鉄剣など)
- 勾玉1
- 細形管玉73
- 中形管玉2
- ガラス小玉134
- 砥石
考察
大の文字は和歌山県の隅田八幡の人物画像鏡の「大」文字とよく似ている。ただし、後者は443年または503年とされるので、根塚遺跡の方が古いことになる。筆順は朝鮮半島の出土刻書土器と同じである。 2号鉄剣は朝鮮半島からの舶載品と考えられる。北九州あるいは近畿ではなく、信濃で出土したことは謎であるが、移入ルート(直接か、九州経由か)を研究する必要がある。 土器と鉄剣とを併せて考えれば、朝鮮半島南部と人の移動や行き来があったことはいえるのではないか。
指定
時期
- 縄文時代・弥生時代・古墳時代・平安時代・中世
展示
- 木島村ふるさと資料館
- 県宝指定の根塚遺跡出土品(渦巻文装飾付鉄剣など)を展示
アクセス等
- 名称:根塚遺跡
- 所在地: 長野県下高井郡木島平村往郷9230
- 交通: 北陸新幹線飯山駅 から徒歩 73分(5.3km)
参考文献
- 木島平村教育委員会(2002)「根塚遺跡」~墳丘墓とその出土品を中心にして~
- 上田市立信濃国分寺資料館(2007)「古代信濃の文字」
同笵鏡 ― 2024年04月24日 21:17
同笵鏡(どうはんきょう)は同じ鋳型を用いて鋳造した銅鏡である。
概要
笵は鋳型の意味である。当時、鋳型は蝋石などの石材を用いる石笵であった。 当時、魏の鏡工人は小型・中型鏡のみを製作していた。大型鏡を鋳造する必要が生じたとき、鏡背四分鋳型の周縁部に三角縁を巡らせて鋳型を平らに保持する方法が考案されたと、小野山節(1998)は説明する。古墳土の鏡のうち三角縁神獣鏡と呼ばれるものにこの種のものが多い。
同型鏡
砂型の鋳型では1面ずつ鋳造され、それらを同型鏡という。
名称
梅原末治が昭和21年に同笵鏡の名称を使用し、小林行雄(1961)の研究で定着した。
年号
「景初三年」や「正始元年」など、魏の国の年号を記した銘文があり、卑弥呼が魏の皇帝から「鏡百枚」を下賜された年と一致する。
森浩一説
- 森浩一は中国で作られた鏡であっても、中国の発掘調査で出土した例は一面もないと指摘する。古墳から出土した三角縁神獣鏡はすでに500面以上となりで、魏の皇帝から下賜された鏡の数を超えている。 しかし黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡の成分分析では、中国製の可能性が高いという科学的分析がある。
分有関係論
三角縁神獣鏡は同じ鋳型を使用して鋳造した同笵鏡・同型鏡が多数あるのが特徴である。同笵鏡の分有関係から、大和政権と各地の首長たちとの間を結び付ける道具として同笵鏡を利用したとす小林行雄の説がある(小林行雄(1961))。 小林は、三角縁神獣鏡は大型で、規格性があり、図像文様を分割する目印として乳を加えていること、同じ型で作った同笵鏡が多数存在することから、短期間のうちに多量の鏡を作る特別な事情があったと特鋳説を唱える。 複製物の所持や携帯は、オリジナルを管理する権力者の権威の代理執行であり。遠隔地にまで及ぶ銅鏡の分布は、中央の権力がその地域にまで及んでいたことを証明する。 西田守夫は三角縁神獣鏡が神獣鏡と画像鏡を基本に、獣帯鏡や盤龍鏡などの要素を部分的に取り入れていると説明した。
参考文献
- 泉屋博古館、高輝度光科学研究センター(2004)「三角縁神獣鏡の原材料産地を探る」 部
- 梅原末治(1946)「本邦古墳出土の同笵鏡に就いての一二の考察」『史林』30-3(118)、pp.18-39
- 小田富士雄(1982)「日・韓地域出土の同笵小銅鏡」『古文化談叢』古文化談叢 9 、pp.87-104、九州古文化研究会
- 小野山節(1998)「三角縁神獣鏡の鋳造法と同笵鏡」『史林』史学研究会 京都大学文学部内)
- 京都大学文学部考古学研究室(1989)『椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡』京都大学文学
- 小林行雄(1961)『古墳時代の研究』(「同笵鏡考」)青木書店
- 鈴木勉(2016)『三角縁神獣鏡・同笵(型)鏡論の向こうに』雄山閣
- 西田守夫(1968)「神獣鏡の図像」『MUSEUM』107号、東京国立博物館
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