誤読だらけの邪馬台国 ― 2024年06月29日 00:42
誤読だらけの邪馬台国(ごどくだらけのやまたいこく)は1992年8月10日に出版された台湾人・張明澄の著書である。
概要
本書は多くの日本人が『魏志倭人伝』を誤読しているという趣旨で書かれている。ところが主張をひとつひつと検証すれば、張明澄が重大な誤読をしているように読める。主な論点を以下に検証する。
論点1 「至と到は意味が異なる」
張明澄によれば、「到によって着く地点は起点にならない」(p.46)という。到は点的な概念であり、そこにつけば終着点であり、次に進むことはないという。「至」は線的概念であり、中継点であるから次に進めると説明する(p.19-20,23-32,88)。
反論1
この反論は容易である。『魏志倭人伝』に「至」が登場する個所を調べる。
- (1)郡至倭 - 帯方郡 ⇒ 倭
- (2)始度一海千餘里、至對馬國 - 狗邪韓國 ⇒ 對馬國
- (3)名曰瀚海、至一大國 - 對馬國 ⇒ 一大國
- (4)東行至不彌國百里 - 奴國 ⇒ 不彌國
- (5)南至投馬國 - 不彌國 ⇒ 投馬國
- (6)南至邪馬壹國 女王之所都
- (7)郡至女王國 - 郡 ⇒ 女王國
- (8)復在其東南、船行一年可至
また「到」を使用する個所は以下の通りである。
- (9)乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
- (10)東南陸行五百里 到伊都國
「到」を使用する(9)の狗邪韓國、および(10)の伊都國は最終目的地ではない。狗邪韓國からは海を渡り對馬國に行っている。伊都國から「東南至奴國」すなわち伊都国の東南に向かい奴国に着く」と書かれている。
最終目的地のはずの「女王國」(=邪馬台国)には(6)、(7)で「至」を使用している。
これらの理由から張明澄の説は妥当とはいえない。
『漢字海』をみると「到と至はともに目的地に到達したという意味であり、到は到達したことに重点を置き、至は到達するという行為に重点を置く」と説明される。つまり「目的地に到達」したという意味は同じであり、その先にどこに行くかは問題とされていない。従って張明澄の説明は誤りである。現代の中国語で、3世紀の中国語を解釈するのは問題がある。
論点2 「「乍南乍東」について「乍南乍東者先南行後転而東行」と裴松之は注釈した」か
「乍南乍東者先南行後転而東行」の意味について、張明澄は「乍南乍東は先ず南行し、後に転じ東行すと裴松之の注に書かれている(p.22)とする。
反論2
『三国史』汲古閣, 順治13年[1656](図)で論点 2を検証すると、「乍南乍東」の個所に裴松之の注は書かれていない。つまり裴松之の注に「乍南乍東者先南行後転而東行」は書かれていないので、張明澄の説明は誤りである。存在しないものを「ある」とするのは致命的な誤りである。
論点3 「一大国は一大という名の国である。一支国の間違いとするのは確かな根拠がない(p.34)」
反論3
一大国は一支国の間違いとするのは、確かな根拠がある。すなわち『翰苑』が引用する「魏略」には「一支国」となっている。また『梁書』『北史』には該当個所が「一支国」となっている。よって「一大国」は『魏志倭人伝』の版本の誤植である。「一支国」は對馬國と末盧国との間にある国であるから、「一支国=壱岐」としても矛盾はない。
論点4 「末盧国は佐世保である」(p.43,44)
張明澄によれば『三国史集解』では末盧国を佐世保と説明している。壱岐国と末盧国までの距離は壱岐国と対馬までの距離と等しくどちらも「千餘里」である。次に末盧国からは南に水行と陸行ができなければならないからである。
反論4
『魏志倭人伝』記載の距離は精度のよい数字ではないから、それを根拠として末盧国は佐世保であると判断するのは、根拠に乏しい。『魏志倭人伝』記載された距離の精度が良くないとする理由は以下のの通り。すなわち『魏志倭人伝』は狗邪韓國と對馬國、對馬國と一支国、一支国と末盧国の距離をすべて「千餘里」としているが、これらの距離は地図でみれば分かるようにそれぞれ異なる。金海から対馬までは地図上の実測で50kmである。当時の里に換算すると、1里=414mであるから、120.8里となる。対馬から壱岐までは航路によるものの海を回り込むことから93kmとなり、224.6里である。「千餘里」には満たない。末盧国から南に水行と陸行の必要性であるが、末盧国から伊都国へは陸行しているので、南に水行できなけれなならない必要性は無い。北から寄航できる港があればよいわけである。末盧国の上陸場所はその王都の桜馬場遺跡、あるいは中原遺跡の付近と推測される。現在の唐津市に近い場所である。
考察
上記のように張明澄の主張は「誤読だらけ」であって、その説を信じるべき理由は見当たらない。そもそも張明澄は3世紀の中国語を理解せず、現代中国語により『魏志倭人伝』を解釈してしまっていることは問題である。
参考文献
- 張明澄(1992)『誤読だらけの邪馬台国』久保書店
- 戸川芳郎(1959)『漢字海』三省堂
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