飛鳥岡本宮跡 ― 2025年05月28日 00:30
飛鳥岡本宮跡(あすかおかもとみやあと)は奈良県明日香村にある飛鳥時代の舒明時代の宮である。
概要
岡本宮の名称は飛鳥岡のほとり(本)に作られたことによるとされる。『日本書紀』によれば、飛鳥岡本宮は636年に火災で焼失したため、田中宮に移転した。 飛鳥岡本宮の所在地は「飛鳥板葺宮」と同地とする『扶桑略記』の記載がある。飛鳥岡は岡寺が建つ山域に比定できる。その西麓の「伝飛鳥板葺宮」で層が重なる宮殿遺構が検出されている。飛鳥宮跡は、飛鳥川東側の盆地中央部で3つの時期の宮殿が同じ場所に築かれている。時期が古い順に、(1)飛鳥岡本宮、(2)飛鳥板蓋宮、(3)後飛鳥岡本宮、(4)飛鳥浄御原宮の遺構が重なるため発掘が難しい。
調査
2023年11月に飛鳥宮跡で10基以上の柱穴が確認され、柱間の寸法は約2・7メートルと推定された。飛鳥岡本宮の遺構であり、今回のように長大な規模のものが検出されたのは初めてであった。 2024年3月にに奈良県立橿原考古学研究所の発掘で7世紀前半の舒明大王の「飛鳥岡本宮」の内部を区切るとみられる大型の溝が見つかった。溝は南西から北東へ長さ20mわたり直線に延び、幅約1m、深さ50cmが確認された。溝の中や塀の柱穴から赤く変色した土や炭が見つかった。これは火災で焼けた跡とみられ、630年に築かれ636年に火災で焼失したとする『日本書紀』の記述を裏付ける。 木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「本格的な溝であり、宮殿内に塀と溝を組み合わせた区画施設が存在したことが明らかになった。飛鳥岡本宮はかなり立派な宮であった」と語る。
遺構
- 溝
- 柱穴
遺物
考察
展示
指定
所在地等
- 名称: 飛鳥岡本宮跡
- 所在地:奈良県高市郡明日香村岡
- 交通: 近鉄 橿原神宮前駅又は飛鳥駅より 明日香周遊バス「岡天理教前」下車 徒歩5分
参考文献
- 「190回目の発掘で大規模遺構発見」、産経新聞、2024年、3月14日
- 「謎」多い飛鳥岡本宮の塀か、朝日新聞、2023年11月22日
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