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奈具岡遺跡2025年08月05日 00:52

奈具岡遺跡(なぐおか いせき)は京都府京丹後市にある弥生時代中期の拠点集落遺跡である。

概要

奈具岡遺跡では竹野川右岸に丘陵上にあり、弥生時代中期の竹野川中流域における拠点集落とされている。100基以上の建物跡が検出されている。平成4年、7年、8年の発掘調査で東端の2つの斜面で総数96棟の弥生時代中期の玉作工房が見つかった。工房は東西2地点でみつかり、中期中頃には碧玉に似た緑色凝灰岩を材料とする工房がある。100年ほど後に水晶を材料とする工房群が出現した。中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類が見つかった。国内最古級であり、九州北部より先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示す。

発掘調査

昭和56年に試掘調査が実施された。その結果,3丘陵にまたがる台地全域に遺物の存在がみとめられ50000㎡を越す大遺跡と知られた。主要な出土遺構として、弥生時代後期および古墳時代中期の住居社各1基があり,出土遺物には弥生時代後期後半から平安時代後期に及ぶ土器が検出された。発掘調査は昭和59年4月16日にはじまり,同年6月20日に終了した。標高30.0~30.5mの比較的平坦な場所に築造された方形周溝墓3基を検出した。鼓形器台、くの字口縁饗、有段口縁壷が検出された。尾根頂部の平坦面に 11基の土坑が分布した。

玉類

奈具岡遺跡から水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具が出土した。6点の翡翠、80点のガラス製玉類を確認した。材料はカリガラス、銅バリウムガラスと考えられる。

遺構

  • 竪穴建物35以上
  • 工房
  • 柱穴
  • 土坑
  • 方形周溝墓
  • 土坑墓
  • 方形貼石墓
  • ピット群

遺物

  • 玉作関連遺物(水晶原石+剥片+小玉未製品+完成品)
  • 鉄製工具(鏨+錐など) - 鉄製品
  • 砥石
  • 算盤玉
  • 棗玉
  • 小玉
  • 管玉
  • 鉄製品
  • ガラス滓
  • 水晶製玉作関係弥生土器
  • 水晶
  • 緑色凝灰岩製玉作関連遺物
  • 弥生土器
  • ガラス製玉+石器
  • 土製品

指定

  • 2004年6月8日 - 重要文化財(美術品)

展示

所在地等

  • 名称:奈具岡遺跡
  • 所在地:京都府京丹後市弥栄町溝谷奈具岡
  • 交通:

参考文献

  1. 大賀克彦(2005)「那具岡遺跡再整理報告書ー翡翠・ガラス製品」
  2. 川西 宏幸(1985)『京都府弥栄町奈具岡遺跡発掘調査報告書』古代學協會

古代の動物2025年08月05日 15:39

古代の動物(こだいしのどうぶつ)は古代史に現れる動物である。

概要

古代にどのような動物がいたかは、完全には解明されていないが、時代により生息していた動物が異なる。気候の大幅な変動で植物相と気温が変わり、動物も変わったと思われる。

旧石器時代

旧石器時代にはナウマン象やマンモス(北海道)、ヘラジカ、オオツノジカがいたことは化石で証明されている。旧石器時代には本州にもヒグマがいた。ヘラジカは寒冷地に住む動物で、北海道と本州に生息していた。

縄文時代

縄文時代ではイノシシ、シカ、ウサギ、タヌキ、クマ、イヌがいた。縄文人は弓矢や落とし穴を使って、シカやイノシシなどの動物を捕獲していた。犬は縄文時代から現れる。縄文犬と呼ばれる。縄文時代になると大型動物は絶滅した。 陸上で暮らす哺乳類の中で、最も多く食べられたのは鹿と猪である。東北から九州にかけてすべての遺跡で骨が出土する。西日本ではイノシシ、東日本ではシカの割合が高い傾向がある。ほとんどの遺跡で鹿と猪の骨が占める割合は5割を超えている。縄文時代にはイノシシの土偶が数十例出土しているのに対して,シカの土偶は非常に少ない。 三内丸山遺跡ではムササビと兎が陸獣の大部分を占める。鹿と猪が長期間の捕獲により局地的に枯渇したと考えられる。 海獣の利用は地域差が大きい。オットセイ、アシカ、トド、クジラ、ジュゴンなどである。クジラは大型のものは少なく、ゴンドウクジラ、イルカが多い。縄文時代の家畜はイヌだけであって、イヌは主として狩猟用であった。

弥生時代

シカ、イノシシ、イヌ、シカ、イノシシ、イヌ、鴨、雉などがいた。 魏志倭人伝 (三国志 魏志東夷伝倭人条)によると「其地無牛馬虎豹羊鵲」(その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし)と書かれている。虎、豹、羊はいなかった。牛は五島遺跡(大浜遺跡)から牛の骨が出土しているので、弥生時代に牛がいた証拠となる。また阿良貝塚からは小型の牛の骨が出土している。西本豊弘(1994)によれば、弥生時代の拠点集落においては家畜豚60%、野生猪20%、鹿20%の割合であった。 馬はいなかったようである。鹿と猪は縄文時代から引き続き日本列島に生息していた。弥生時代は農業が本格的に行われ、農耕中心で、狩猟は農作業の繁忙期以外に片手間で行われようになった。また家畜の肉を食べるようになった。イヌとブタが肉を食べるための家畜となった。西日本の弥生遺跡では豚が多量に食べられた。 弥生犬は縄文犬よりサイズが大きい。縄文時代のイヌは埋葬されたが,弥生時代のイヌは埋葬されていない。

古墳時代

古墳時代から家畜の牛や馬が出土するようになる。運搬用の家畜、農耕用の家畜、軍事用の家畜として利用された。死んだ家畜が食べられることもあった。犬は弥生時代以降、継続して食べられていた。

参考文献

  1. 森浩一(1992)『人と動物の物語1 日本古代の牛をめぐつて』同志社時報,pp.148-150
  2. 西本豊弘(2010)『事典・人と動物の考古学』吉川弘文館
  3. 西本豊弘(1995)「縄文人と弥生人の動物観」国立歴史民俗博物館研究報告,巻 61,pp.73-86
  4. 西本豊弘(1991)「弥生時代のブタについて」国立歴史民俗博物館研究報告,巻 36,pp. 175-194
  5. 西本豊弘(1993)「弥生時代のブタの形質について」国立歴史民俗博物館研究報告、巻50, pp.1-15
  6. 西本豊弘(2003)「縄文時代のブタ飼育について」国立歴史民俗博物館研究報告、巻108, pp.49-70
  7. 石神裕之(1999)「古代文芸と鹿・猪の意識について: 考古学的視点を織りまぜて」三田国文、No30,pp.14-30
  8. 愛知朝日遺跡ミュージアム(2022)「弥生人といきもの2022」企画展パンフレット