別所茶臼山古墳 ― 2025年08月10日 00:05
別所茶臼山古墳(べっしょちゃうすやまこふん)は群馬県太田市にある前方後円墳である。「円福寺茶臼山古墳」「宝泉茶臼山」「宝泉村5号墳」ともいう。
概要
群馬県太田市西部、大間々扇状地末端に広がる沖積地に立地する。大田市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇る。前方部を南方に向ける。周濠]は馬蹄形。周堤あり。墳丘中段に円筒埴輪が巡らされている。後円部墳頂付近の十二所神社、墳丘東側裾部の円福寺本堂および伝新田氏累代の墓によって原形が損なわれている。
調査
- 1962年、群馬大学が墳丘実測と部分的な発掘調査を行う。、
- 1979年、新田氏累代の墓の改修に伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
- 1991年、墳丘東側にある墓地の拡張に伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
- 1992年、円福寺本堂の建て替えに伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:3段
- 墳長 164.5m
- 後円部 径96m、高11.8m
- 前方部 幅75m、高7.3m
遺構
主体部は竪穴式系と考えられる。主体部は未調査の為、詳細は不明。
出土品
築造時期
5世紀前半頃に造られたと考えられる。
指定
- 2000年(平成12年) 国の史跡に指定
アクセス等
- 所在地:〒373-0041 群馬県太田市別所町402の西円福寺境内付近
- 交通: 東武伊勢崎線太田駅から15分
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
西弥護免遺跡 ― 2025年08月10日 00:07
西弥護免遺跡(にしやこめん いせき)は環壕集落と墳墓からなる弥生時代後期の遺跡である。
概要
阿蘇山外輪山の標高160mの台地にある遺跡である。環壕集落と墳墓が検出された。集落は楕円形の環壕に囲まれ、墓地はその外側にある。環濠の総延長は1km以上ある。弥生小型倭製鏡(内行花文鏡、銘文なし、完形8.6cm、1979年発掘)が出土した。総数580点以上の多数の鉄器が出土した。墓地は土坑墓と木棺墓であった。
発掘調査
出土鉄器の分析が行われ、低As、高Sbであったとする。新井宏(2014)は弥生時代の西弥護免遺跡の鉄遺物にはVとCd を多く含むが、韓国には見当たらないとする。西弥護免遺73号住居跡では,298点の鉄器および鉄片が出上した。放射化分析の結果、この鉄器は高As・低Sbのグループに属する鉄で,しかもかなり低いところに位置していると指摘された。出土鉄鏃(30号住居)は鉄鉱石を原料として製錬された鉄素材を鍛造して製作された鉄嫉と推測された。刀子(80号住居)は茎と環頭部の接続部分に鍛接痕が認められる。つまり茎と刃部を形づくったのちに、環頭部を鍛造している。すなわち環頭刀子が鍛冶生産されていることが示された。
遺構
- 環溝集落
- 甕棺
遺物
- 弥生土器
- 銅鏡(小型倭製内行花文鏡)
- 鉄鏃(30号住居)
- 刀子 22
- 環頭刀子
- 鉄斧
- 馨状工具
- 鎌
- 台石
- 砥石
指定
展示
所在地等
- 名称:西弥護免遺跡
- 所在地:熊本県菊池郡大津町大津417-3
- 交通:
参考文献
- 野島永(2010)「弥生時代における鉄器保有の一様相」京都府埋蔵文化財論集 第6集 ( 創立三十周年記念誌 )
- 新井宏(2014)「弥生時代には製鉄が行われなかったか」連続講演会
- 瀬丸敬二他(1980)『西弥護免遺跡調査概報』阿蘇実験考古学研究所文化財調査報告
- 黒田裕司(1984)「西弥護免遺跡出土の鉄器について」『埋蔵文化財研究会第16回研究 集会』発表要旨
敷石住居 ― 2025年08月10日 23:18
敷石住居(しきいしじゅうきょ)は、平たい石を床に敷き詰めた縄文時代の住居である。 「柄鏡形敷石住居」ともいう。
概要
関東地方と中部地方(東京、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬)を中心として、縄文時代中期終末期に出現し、後期中葉期に廃絶する。敷石をもたない柄鏡形構造をもつ例も存在する。 特徴は(1)床に石を敷くこと、(2)住居に付属して突出する出入口施設(「張出部」と呼ぶ)をもつことである。敷石は拳大から一抱えもある石である。住居の平面形態は柄の付いた鏡や鍵穴のような形であり、住居の出入口となる。囲炉裏を中心に平板石をきれいに敷き詰める事例がある。
累積寄与率
「柄鏡形敷石住居」は1924年(大正13年)10月、東京府南多摩郡南村(現・東京都町田)高ヶ坂字坂下の地の牢場遺跡で初めて発見された。川島義一(2023)による多重対応分析(カテゴリカル変数に対する主成分分析)では第一主成分であるDim1と第二主成分であるDim2の寄与率の合計値(累積寄与率)は26.7%と非常に低い結果となっている。川島義一(2023)は「柄鏡形敷石住居」は加曾利EⅢ(新)式期に突然出現したものではなく、それまでの多様な遺構属性の組み合わせを引き継ぎ、そこに張出部を設け、敷石・周礫を施したものと考えるべきであると指摘した。 従来の柄鏡形住居址の分類とは異なっており、川島義一(2023)は累積寄与率を用いて新たな視点を提供した。
住居内の暮らし
一見して敷石住居には床にゴロゴロと石があるので、暮らしにくいようにみえる。しかし、じつは住みにくくはないようだ。住居内に石を敷く目的は、地面からの湿気を防ぎ、冬の凍結や湿気を防ぎ、ぬかるみを抑えることにあった。丸石(川原石など)が多く、石の間に隙間が空くため、そこに泥や小石、敷物を置くことができた。
寝るときは植物素材の敷物を敷いていた。
乾かわしたヨシやスゲ、カヤなどの植物を厚く敷き詰めると、クッション性と保温性を確保でき、寝ることができる。石に直接触れると冷たいので、厚手の敷物は必須であった。
シカや猪、熊の皮を使う
シカやイノシシの皮は断熱効果が高いので、冬の寝具(掛け布団)となる。
害虫からの防御
石床は土の床より水はけがよく、腐敗や害虫の発生、侵入を防げる。
敷物を使用した証拠
縄文時代に敷物を使った証拠は、土器の底部についた敷物圧痕である。縄文時代の下宅部遺跡では219 点の資料のうち敷物圧痕は119 点にみられた(真邉彩(2014))。編物底(117 点)では広義のござ目編みが最も多く,次いで網代編みとなるように,基本的に2種類に限定されている。素材の候補としてイネ科タケ亜科の割り裂き材である可能性が指摘されている。
敷石住居の事例
- 牢場遺跡 町田市、縄文時代後期
- 中山敷石住居跡 群馬県吾妻郡高山、縄文時代の中期後半から後期前
- 柴原A遺跡 福島県三春町柴原字柴原、縄文時代の中期から後期
参考文献
- 山本暉久(2017)「柄鏡形(敷石)住居址研究の五〇年」昭和女子大学文化史研究 20号, pp.1-3
- 川島義一(2023)「鏡形住居の出現期の再検討:地域の遺跡群研究の視点から」國學院大學大学院紀要 48,pp.193-210
- 真邉彩(2014)「下宅部遺跡における縄文土器の敷物圧痕分析」国立歴史民俗博物館研究報告 第187 集
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