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会下山遺跡2025年08月08日 00:05

会下山遺跡(えげのやまいせき)は兵庫県芦屋市にある弥生時代中期から後期の高地性集落遺跡である。

概要

六甲山系南部の標高201mの「会下山」の尾根部に位置する。1954年(昭和29)、弥生土器の発見を契機に遺跡の存在が知られた。土器は広範囲な地域集団との交流を示している。集落の最も北側で、二重の堀跡がみつかっている。幅は約3~ 5.5 m、深さは約1.2 mある。敵や動物の侵入を防いだり、集落の境界を区切るためのものであったと考えられる。

調査

1954年(昭和29 年)、会下山遺跡の近くの芦屋市立山手中学校で、裏山(会下山)に植物実習園をつくるための道づくりが行われていた。この時、作業に参加していた生徒たちが偶然、弥生土器の破片を発見した。この発見を受けて、1956年(昭和31年)から1961年(昭和36 年)に発掘調査が行われた。 祭祀関係遺物をともなう竪穴建物1棟、大型の竪穴建物1棟を含む合計9棟の竪穴住居跡が見つかった。竪穴建物は屋根を支える柱が4本から5本ある。最も大きな竪穴住居は直径が8mから10 mあり、他の竪穴住居より少し高い場所につくられていた。この建物にはムラのリーダーが住んでいたか、またはムラ人たちが共同で使う施設の可能性もある。祭りを行ったと考えられる場所、火たき場跡、墓跡、柵跡、堀跡、ゴミ捨て場跡)などがある。 火たき場跡は穴の中で高温の火を使った跡が2ヶ所で見つかっている。野外の調理場やノロシの施設、土器を焼き上げるための施設などの説がある。 石器のほか鉄鏃、鋳造鉄斧などの鉄製品、さらに日本列島では珍しい漢式三翼鏃も出土した。焼土坑、土坑墓、柵列なども確認されている。石器は矢尻(石鏃)をはじめ、錐・石剣・ 石斧・叩石・ 石鎚・ 磨石・ 石錘、砥石・投石弾・軽石などがある。 山手中学校側から山道を登り,6トレンチ→5トレンチ→4トレンチ→1トレンチ→3トレンチ→2トレンチの順番に検証した。 穴の中で高温の火を使った跡が2ヶ所で見つかった。野外の調理場やノロシの施設、土器を焼き上げるための施設など、さまざまな説がある。河内(大阪府)、讃岐(香川県)など、遠い地域から持ち込まれた土器があり、遠方地域との交流がうかがえる。 青銅製漢式三翼鏃(芦屋市指定文化財)は中国で作られたものである。

遺構

  • 竪穴住居 9棟 平面円形
  • 祭祀場 2か所
  • 墓跡  4基
  • 焼土坑 - 長径4メートル
  • ピット
  • 段状遺構
  • 溝状遺構 2条
  • 柵跡

遺物

  • 土器(壺+甕+鉢+高杯+無頸壺)
  • 有茎式銅鏃 1
  • 漢式三翼銅鏃1
  • 石鏃
  • 高坏
  • 無頸壺
  • ガラス小玉
  • 鉄器(鉄片+釘)
  • 石鏃(サヌカイト製)
  • 剥片(サヌカイト製)
  • 弥生土器
  • サヌカイト製石鏃
  • サヌカイト剥片
  • 掻器
  • 石錐

指定

  • 1960年 - 兵庫県史跡指定
  • 2011年(平成23年)2月7日 - 国の史跡指定

アクセス等

  • 名称:会下山遺跡
  • 所在地:〒659-0087 兵庫県芦屋市三条町258番地
  • 交通:阪急電鉄神戸本線芦屋川駅から徒歩約15分

参考文献

  1. 芦屋市教育委員会(2017)会下山遺跡パンフレット

勝坂遺跡2025年08月08日 00:10

勝坂遺跡(かつさかいせき)は神奈川県相模原市南区にある縄文時代中期の集落跡である。

概要

勝坂遺跡は相模川の東岸沿いに走る標高70mの相模原台地の西縁端に位置する縄文時代中期の集落跡である。遺跡の東北は小高い丘陵であり、西側は急傾斜の崖であり、相模川の沖積地に接する。遺跡中央部は豊かな湧水がある小谷が入り込み、東側にA地点、西側にB地点、C地点、D地点の合計4個所で遺構と遺物が発掘された。全体は馬蹄形である。 遺跡は都市公園「史跡勝坂遺跡公園」として整備保存されている。公園内の管理棟では勝坂遺跡出土品やパネルの展示を行う。

発掘調査

考古学者の大山柏が1926年(大正15年)に発掘すると、11 個の土器や顔面取手を含む土器破片 593 個と、53 個の打製石斧を検出した。遺跡の西側で縄文時代草創期の住居跡遺構と石器及び土器が検出された。土器は古い特徴が見られる。敷石住居は縄文時代草創期から500年後の遺跡である。

勝坂式土器

大山柏が発掘したA地点の土器は装飾的な文様、他の縄文土器より文様が立体的である、顔面把手などの特徴から、後に山内清夫により「勝坂式」土器と名付けられ、縄文時代中期(約 4500年前)の標式土器となった。縄文時代中期中葉に横浜市域を含めた関東地方南西部に広く分布しており、この時代の遺跡からは類似の文様が描かれた土器片が大量に見つかる。同時に発見された多くの打製石斧を、土を掘る道具と考えた原始農耕論が提唱された。実際は土掘り道具であり、山芋や球根を取って食べたと推測されている。

遺構

  • 敷石住居1
  • 土器集中1
  • 集石
  • 竪穴建物
  • 土坑
  • 配石4+
  • 炉3
  • 屋外埋甕

遺物

  • 縄文土器(無文)
  • 縄文土器
  • 石器
  • 黒曜石
  • 打製石斧
  • 石匙
  • 磨石
  • 凹石
  • 石皿
  • 石錘
  • 石棒

指定

  • 1974年(昭和49年) 7 月 2 日、国指定史跡
  • 1980年(昭和55年)10月22日(追加指定)- 勝坂遺跡D区
  • 1984年(昭和59年)1月11日(追加指定)- 勝坂遺跡D区
  • 2006年(平成18年)1月26日(追加指定)- 勝坂遺跡A区
  • 2019年(令和元年)10月16日(追加指定)- 勝坂遺跡A区

展示

  • 旧石器ハテナ館
  • 相模原市立博物館

所在地等

  • 名称:勝坂遺跡
  • 所在地:〒252-0327  神奈川県相模原市南区磯部1780
  • 交通:JR下溝駅 徒歩 20分

参考文献

  1. 相模原市教育委員会(1993)『相模原市埋蔵文化財調査報告18:埋蔵文化財発掘調査概報集』相模原市教育委員会
  2. 相模原市教育委員会(2018)『国指定史跡勝坂遺跡総括報告書』相模原市教育委員会編