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鈴鏡2025年08月16日 00:22

七鈴鏡、御岳山古墳

鈴鏡(れいきょう)は本体の周縁に鈴をつけた古墳時代の銅鏡である。

概要

周縁に鈴を付けた古墳時代の青銅鏡である。古墳時代の後期に多い。中国や朝鮮半島での出土例はない。 鈴の数は3鈴から10鈴まである。9鈴は未発見である。五鈴鏡、六鈴鏡、十鈴鏡などの名称を付す。五鈴鏡と六鈴鏡が最多であり、約75%である。鈴の数の多いものは大型になる。 十鈴鏡と三鈴鏡は出土例が少ない。 別処山古墳の三鈴鏡は面径6.7~7.0cmで、重さ86.2g、鈴と鈴の間に穴を開けた半円形の鈕掛状の突起が3箇所つく。鏡背は無紋である。三鈴鏡は全国的に見ても出土例が少ない、非常に珍しい遺物である。

用途

埴輪の人物像として腰に鈴鏡をつけた、いわゆる巫女埴輪がある。ここから祭祀の道具として用いられたことが伺える。鈴舞など神事の所作に音響効果を与えたものと思われる。現代でも巫女が神楽舞(巫女舞)を舞う時に持つ神楽鈴がある。古来より鈴の音色には、邪気を払い、魔除の霊力、場を清める力があると考えられていた。神事のときに鈴を鳴らすようになったのは、神を招く役割があるとされる。

出土地

鈴鏡は関東と中部の古墳の副葬品に多い。製作地を関東に求める説もあるが古墳時代の鏡としては遅れて登場したため出土地が偏在化したと考えられている。鏡部分の形状、背の図像と文様から日本独特の仿製鏡とされる。高橋健自は上野国利根郡人目 保村 大字森下( 現群馬県利根郡昭和村森下化粧下3号墳)出土の五鈴鏡を論説し、朝鮮半島からの 出土が見られないことや、文様の崩れ具合から「鈴鏡を以て和製となす」と判断した。 製作年代については「漢武時代後期(六朝式) 」に位置づけた。富岡謙蔵は文様を「内行花紋、方格四神、獣形、花紋、乱紋、神人等」に分類し「六朝代に盛行せる獣形鏡」が多く見られることや、古い形式のものも小型化し、また粗雑な鋳上がりであることから「六朝以後に盛んに鋳造」されたものと判断した。

製作法

鈴は別鋳して合わせたものではなく、鋳型の鏡部分の外形に鈴の外形を彫り、中子をいれて同時に鋳る。中子の中に小石を入れ、中子を除去したあと、小石が鈴内に残存し丸となる。鈴の透孔は鏡の縁と平行となる。

舶載説

1920年、喜田貞吉は神功紀52年条の百済伝来の「七子鏡一面」を七鈴鏡と解釈し、鈴鏡の朝鮮半島伝来説を主張した。しかし半島に現物の出土がないことが弱点となる。1923年、梅原末治は鈴がついた青銅製品は朝鮮半島から出土されることを重視し、鈴鏡の着想は朝鮮半島由来であると指摘した。これも出土品がないので、確証はない。

出土例

  • 三鈴鏡 - 別処山古墳、栃木県下野市国分寺、古墳時代後期
  • 三環鈴 - 津頭西古墳、香川県綾南町、古墳時代・5世紀
  • 四鈴鏡 - 牛塚古墳、栃木県宇都宮市、古墳時代・6世紀
  • 五鈴鏡 - 群馬県利根郡昭和村森下出土、古墳時代・5~6世紀、青銅製
  • 六鈴鏡 - 上野古墳出土、茨城県筑西市、(東京国立博物館所蔵)
  • 七鈴鏡 - 御岳山古墳、東京都世田谷区等々力、古墳時代(5世紀後半)
  • 八鈴鏡 - 弁財古墳、京都府福知山市、古墳時代・6世紀
  • 十鈴鏡 - 伝群馬県玉村町小泉出土、さきたま史跡の博物館蔵、

参考文献

  1. 森本六爾(1928)「鈴鏡に就て」考古學研究 2巻第2号,pp.1-33,考古學研究會
  2. 大川麿希(1997)「鈴鏡とその性格」 月刊考古学ジャーナル (通号 421) pp.19~24
  3. 三木文雄(1940)「鈴鏡考」考古学雑誌30(1)、pp.60~72
  4. 梅原末治(1924)「鈴鏡に就いての 二三の考察 (上) 」歴史と地理、第13巻第2号
  5. 高橋健自(1907)『鏡と剣と玉』富山房