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吉備真備2026年03月22日 00:41

吉備真備(きびのまきび,695年 - 775年10月)はは奈良時代の学者・官僚・政治家である。下道氏の出身で、遣唐留学生として唐に渡り、儒学・律令制度・音楽などを学んだ。帰国後は朝廷で重用され、大学助、大宰大弐、参議などを歴任し、最終的に右大臣に昇った。奈良時代を代表する知識人の一人として知られる。

出自

吉備真備は695年(持統天皇9年)頃、下道朝臣国勝の子として生まれたと考えられている。生年は『続日本紀』宝亀6年(775年)10月条の記事から推定される。

下道氏は古代吉備国(現在の岡山県西部周辺)に勢力を持った氏族で、上道氏などとともに吉備地域の有力豪族の一つであった。『日本書紀』では下道氏の祖先を稲速別に求めている。

出生地については、吉備地方とする説と畿内とする説があり、確定していない。父の国勝が中央官人として宮廷警護を担う衛士府の武官であったため、畿内出生の可能性も指摘されている。

真備は若年期に大学寮に入り、儒学を中心とする官人教育を受けたとみられる。

遣唐留学

716年(霊亀2年)、真備は遣唐留学生に選ばれ、翌717年に遣唐使船で唐へ渡った。この遣唐使は多治比縣守を押使とし、阿倍安麻呂(のち大伴山守)が大使、藤原宇合が副使であった。

唐では長安を中心に学問を修め、儒学・歴史・法律・音楽などを学んだとされる。『新唐書』には、真備が鴻臚寺四門助教の趙玄黙に学んだことが記されている。

真備は約19年間唐に滞在し、735年(天平7年)に帰国した。帰国後は大学助に任じられ、唐から持ち帰った書物や制度知識をもとに教育や制度整備に関与した。

帰国後の活動

帰国後の真備は学識を評価され、朝廷で次第に昇進した。唐からは礼制関係書籍である『唐礼』、音楽理論書『楽書要録』などの文献や、音律調整に用いる銅律管などをもたらしたとされる。

また大学寮において教育に携わり、儒学や律令制度に関する知識の普及に貢献したとされる。

736年(天平8年)には外従五位下、737年には従五位下となり、朝廷の官人として活動した。

藤原広嗣の乱

740年(天平12年)、大宰府で藤原広嗣が反乱を起こした(藤原広嗣の乱)。広嗣は真備や僧玄昉が朝廷で重用されていることを批判して挙兵したと伝えられている。

反乱は政府軍によって鎮圧され、広嗣は処刑された。この事件は奈良時代の政治対立を示す出来事として知られる。

皇太子教育と昇進

真備は皇太子安倍内親王(のちの孝謙天皇)の教育にも関与し、東宮学士などの役職を務めた。743年(天平15年)には従四位下に昇進し、春宮大夫にも任じられた。

746年(天平18年)には姓を吉備朝臣と改め、「吉備真備」を称するようになった。

藤原仲麻呂政権と左遷

孝謙天皇の治世では藤原仲麻呂(恵美押勝)が権力を握り、750年(天平勝宝2年)に真備は筑前守として九州へ赴任した。

751年には遣唐副使に任命され、藤原清河を大使とする遣唐使に参加した。753年には唐の朝廷で朝賀儀礼に参加したと伝えられる。

754年(天平勝宝6年)には大宰大弐として九州に赴任し、対外防衛のための施設整備などに関与したとされる。

藤原仲麻呂の乱

764年(天平宝字8年)、藤原仲麻呂が反乱を起こした(藤原仲麻呂の乱)。真備は朝廷側の軍事指揮に参加し、反乱鎮圧に功績を挙げた。

その功により従三位に昇進し、以後は議政官として国家政策に関与した。

晩年

真備は議政官として政治に参加し、770年頃まで政務に関与した。晩年には右大臣に任じられ、奈良時代後期の政権中枢を担った。

775年(宝亀6年)10月に死去した。

人物と評価

吉備真備は奈良時代を代表する知識人の一人であり、遣唐留学によって得た知識を日本の政治・教育・制度に反映させた人物と評価されている。阿倍仲麻呂や玄昉とともに、奈良時代の国際交流を象徴する人物として知られる。

また儒学・礼制・音楽など多方面の学問に通じた官人として、日本古代国家における知識官僚の代表的存在とされる。

墓所伝承

奈良市高畑町の奈良教育大学構内には「吉備塚古墳」と呼ばれる古墳があり、かつて吉備真備の墓と伝えられた。しかし発掘調査の結果、この古墳は古墳時代のものであることが判明し、真備の墓ではないと考えられている。

岡山県倉敷市真備町にも吉備真備の墓と伝えられる場所があるが、確実な史料はなく、真備の埋葬地は明確になっていない。

記念施設

中国西安市には、真備が学んだとされる長安の国子監跡付近に吉備真備記念碑が建立されている。 また岡山県倉敷市真備町には、真備を顕彰するまきび公園や記念館が整備されている。

参考文献

  1. 宮田俊彦(1961)『吉備真備』吉川弘文館
  2. 『続日本紀』宝亀六年十月壬戌薨伝
  3. 塙保己一 編, 続群書類従完成会校(1952)『羣書類従 第2輯』 (神祇部 第2巻第16-28))
  4. 内藤湖南(1930)『日本文化史研究』弘文堂
  5. 『冊府元亀』巻971朝貢、玄宗開元五年十月「日本国、使を遣わして朝貢す。通事舎人に命じ鴻臚寺に就いて宣慰せしむ」
  6. 三善清行(914)『三善清行意見封事』
  7. 山尾幸久(1970)「百済三書と日本書紀」(『朝鮮史認識の展開』朝鮮史研究会論文集15 収録)龍渓書舎
  8. 『続日本紀』天平勝宝6年(754年)条
  9. 坂元義種(1967)「古代東アジアの国際関係--和親・封冊・使節よりみたる」ヒストリア (49), pp.1-25
  10. 考古学における画期的発見、吉備真備直筆の書が北京で公開、2019年12月25日,CRI Online
  11. 岡崎嘉平太伝刊行会編(1992)『岡崎嘉平太伝』ぎょうせい
  12. 『扶桑略記』
  13. 『公卿補任』
  14. 杉本直治郎(1940)『阿倍仲麻呂伝研究』育芳社
  15. 「吉備真備の筆跡か 中国留学中の墓誌発見」産経新聞、2019年12月26日
  16. 阿曽村邦昭(2018)『吉備真備』文芸社

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