備前車塚古墳 ― 2023年05月25日 23:03
備前車塚古墳(くろひめやまこふん)は岡山県岡山市にある古墳時代初期の前方後円墳である。
概要
尾根の頂端にあり、前方部を北西に向ける。二段築成、前方部前面の開きが顕著であり、三味線バチ形に開く古い形式である。 主軸長48.3m、後方部長24.5m、短辺23m、後方部高3 m、前方部長21.8m
調査
1956年後方部から竪穴式石室が発見され、内部から鏡13面、鉄刀1、剣1、鉾1、鉄鏃7、斧1、短冊形鉄斧1が検出された。 1967年、1968年の二度に渡り、鎌木義昌、近藤義郎らが発掘調査し、墳丘に葺石状の列石が上下二段にめぐらされており、後方部と前方部の前半部斜面に葺石があることが確認された。地山の岩盤を掘って構築されていた。
遺構
出土遺物
発掘された13面の鏡はすべて舶載鏡で11面は三角縁神獣鏡、1面が画文帯神獣鏡、1面は内行花文鏡であった。各地の古墳出土と同笵関係にある。
アクセス
- 名称:備前車塚古墳
- 所在地:〒703-8202 岡山県岡山市中区湯迫・四御神
- 交通: JR岡山駅から四御神行きバス、「東湯迫」下車、徒歩約20分
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 近藤義郎・鎌木義昌(1986)「備前車塚古墳」『岡山県史』 考古資料
- 鎌木義昌、近藤義郎(1968)「備前車塚古墳」考古学研究14巻4号
浦間茶臼山古墳 ― 2023年05月25日 23:04
浦間茶臼山古墳(うらまちゃうすやまこふん)は3世紀末に築造された岡山県岡山市浦間にある前方後円墳である。
概要
岡山市と瀬戸内市長船町の境界である吉井川の西方約1kmの丘陵上に位置する。古代吉備で最古の大型前方後円墳の一つである。前方部が三味線の撥形で最古の形式の前方後円墳である。葺石があり、最も古い埴輪である都月型埴輪が検出される。前方部の南東に陪塚と思われる大型円墳があったが宅地造成の際に破壊されている。
箸墓との関係
北條芳隆 (東海大学教授) の研究によれば、邪馬台国の女王卑弥呼あるいは台与の墓ではないかとも言われている奈良県桜井市の箸墓古墳の2分の1相似形の墳とされる。箸墓古墳の相似形墳のうち、畿内以外では最も規模が大きい。なお黒塚古墳、椿井大塚山古墳は箸墓古墳のちょうど2分の1に企画された前方後円墳と考えられている。
調査
- 1900年( 明治30年)頃 - 石槨盗掘される。多数の遺物が出土したという。
- 1969年( 昭和44年)頃 宅地造成により破壊の危機→国指定史跡
- 1983年( 昭和58年)宇垣匡雅氏らによる測量調査
- 1988年( 昭和63 年)発掘調査 ( 浦間茶臼山古墳発掘調査団 (団長 近藤義郎)
規模
- 墳長138 m、
- 後円部 径81m、高13.8m、
- 前方長61m , 高6.7m
- 後円部:3段
遺構
後円部上には主軸と直角に竪穴式石室が存在したらしいが、盗掘により不明である。長さ7 m、幅1.2 m、長大な割竹形木棺があったと推測される。安山岩の石材は、香川県北部または備讃瀬戸の島から採取されたものと推測されている。
遺物
副葬品のほとんどは盗掘により持ち去られていた。
- 特殊器台形埴輪
- 細線式獣帯鏡
- 都月型埴輪 - 直線と曲線からなる特徴的な文様が刻まれた最古式の円筒埴輪
- 無頸定角 16以上
- 箆被柳葉 3以上
- 無箆被柳葉 4以上
- 銅鏃 19
- 鉄鏃 42
- 鉄刀 5
- 鉄剣 12
- 鎌 8
- 鋤・鍬先2
- 鑿
- 錐 3
- 鉄斧 2
- 鉇
- たがね 8以上
- 刀子 4以上
- 銛
- ヤス 8
- 銛 3以上
- 小札状鉄板
- (伝 ) 朱、鏡、勾玉、銅鏃 (20 数点 )、鉄器多数
- 墳丘盛土中から弥生後期後半の土器。
築造時期
3世紀末~4世紀前半(古墳時代前期初)
指定
- 1973年昭和49年(1974年)11月25日 国指定史跡
アクセス等
- 名称:浦間茶臼山古墳
- 所在地:〒709-0607 岡山県岡山市東区浦間浅川
- 交通: 岡山表町発「寒河」行き宇野バスに乗り「山の端」下車。バス停留所辺りから北方に大型の前方後円墳が望観される。
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 安川満(2014)「浦間茶臼山古墳と古墳の出現」平成26年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第 2 回
- 垣匡雅(1987)「吉備の前期古墳ー1」『古代吉備』第9集
- 浦茶臼山古墳発掘調査団(1991)『浦間茶臼山古墳』真陽社
- 北條芳隆(1986)「墳丘に表示された前方後円墳の定式とその評価-成立当初の畿内と吉備の対比から-」『考古学研究』第 32 巻第 4 号
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