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天神段遺跡2023年05月26日 19:17

天神段遺跡(てんじんだんいせき)は鹿児島県曽於郡大崎町野方にある旧石器時代から近世まで(古墳時代を除く)の複合遺跡である。

概要

天神段遺跡は大隅半島の中央にある標高200nの台地上にある。約3万年前の姶良カルデラの噴出物(通称シラス)層と約1万2800年前の薩摩火山灰の間の層から多数の石器が出土した。旧石器時代の発掘調査では礫群やナイフ形石器,台形石器,細石刃核,細石刃,敲打具等の遺物が多数発見された。旧石器時代の活動は3期にわかれる。最下部の15層は礫群1基、炭化物集中区1か所、石器数点がみつかった。11層・12層から礫群10基、狩猟用とみられるナイフ形石器と三陵尖頭器、台形石器が出土した。ナイフ形石器や台形石器は小型が多い。9層・10層の厚さ30cmから礫群1基、細石刃核、細石刃、土器破片、石鏃が出土し、旧石器時代の終末期から縄文時代草創期まで続くことが判明した。 石材は南九州各地からもたらされた。活動範囲の広さが分かる資料である。 縄文時代早期の遺構及び遺物が確認された。特に,313 基検出された集石遺構は,1遺跡としては県内最大数である。 また,竪穴住居状遺構や土坑等の遺構も多く検出され,当時の集落の様相を解明する良好な資料となった。 さらに,土器に関しては南九州における早期の型式の多くが確認されている。 平栫式土器及び塞ノ神式土器が多量に出土している。 玉髄、水晶、頁岩、黒曜石などを素材として小型台形石器やナイフ型石器を作っている。2cmから2.5cmの小型の石器が多い。

接合資料

遺跡全体で400組以上の接合資料がえられた。細石刃核の製作技術は2つに分類されることが判明した。1つは黒曜石から小型の細石刃核を作るもの、2つはこぶし大の頁岩を分割し細石刃核を作るものである。

調査

平成19年度から平成5年度まで7年間に渡り調査した。

遺構

  • 竪穴式住居状遺構
  • 落とし穴
  • 連穴土坑
  • 集石遺構
  • 土坑
  • 土器埋設遺構
  • 石器埋設遺構

遺構

  • 礫群

遺物

  • 岩本式土器
  • 前平式土器
  • 志風頭式土器
  • 加栗山式土器
  • 吉田式土器
  • 石坂式土器
  • 石鏃
  • 石斧
  • 礫器
  • 磨石
  • 石皿
  • 軽石製品
  • 炭化種子
  • 炭化鱗茎
  • 下剥峯式土器
  • 辻タイプ土器
  • 桑ノ丸式土器
  • 押型文土器
  • 中原式土器
  • 手向山式土器
  • 天道ヶ尾式土器
  • 平栫式土器
  • 塞ノ神式土器
  • 苦浜式土器
  • 条痕文系土器
  • 耳栓状土製品
  • 円盤状土製品
  • 石鏃
  • 石匙
  • 楔形石器 異形石

ナイフ形石器文化期

  • ナイフ形石器
  • 台形石器
  • 三陵尖頭器
  • ハンマー類
  • チップ
  • フレイク

細石刃文化期

  • 細石刃
  • 細石刃核
  • ハンマー類
  • チップ
  • フレイク

築造時期

  • 24,180年前 - 炭化物の年代測定による

指定

  • 平成28年4月19日 有形文化財指定

アクセス等

  • 名称:天神段遺跡
  • 所在地:鹿児島県曽於郡大崎町野方
  • 交通:

参考文献

  1. 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター (2018)『天神段遺跡』鹿児島県教育委員会
  2. 文化庁(2018)『発掘された日本列島 2018』共同通信社

岩戸山古墳2023年05月26日 19:22

岩戸山古墳(いわとやまこふん)は福岡県八女市にある北部九州最大の前方後円墳である。

概要

福岡県の南内陸部の八女丘陵上に展開する八女古墳群のひとつ。古墳は東西を主軸とし、後円部は東に向けられる2段造成である。被葬者は「磐井」といわれ、日本書紀の中で「ヤマト政権に対する反乱」とされている筑紫地方の豪族である。八女丘陵上の古墳群は磐井一族とその構成員層のものと考えられている。東北角の周庭外方に接続する一辺43mの造出があり、多数の石人・石馬を勘案すれば『筑後国風土記』の記載する筑紫君磐井の墳墓と考えて問題はない。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:2段
  • 墳長 138m
  • 後円部 径88m 高13m
  • 前方部 幅98m 長50m 高13m
  • 外表施設 円筒埴輪円筒Ⅴ式
  • 形象埴輪
    • 琴・
    • 鐙・
    • 弓、
    • 家、
    • 鶏・
    • 馬、
    • 顔・
    • 足・
    • 頭部飾、
  • 葺石 あり
  • 造出なし
  • 周濠 楯形
  • 周堤 あり。

調査

  • 1808年(文化5年) 江戸後期に後円部墳頂部から二体の石製品が出土した記録がある。
  • 1924年(大正13年)大神宮造営に伴い、円筒埴輪、須恵器、石製品が出土した記録がある。
  • 昭和初期、森本六爾が墳丘部調査、後円部裾野調査で周堤から扁平石人の発見記録がある。
  • 1946年、九州考古学会により周堤で円筒埴輪列を確認した。
  • 1963年、集中豪雨による緊急調査で円筒埴輪列と4点の石製品を発見した。
  • 1969年(福岡県教育委員会)と1971年(九州大学)にかけての調査で、墳丘規模や構造が判明した。

遺構

埋葬施設は未確認である。矢野一貞が作成した『筑後将士軍談』の墳丘絵図に後円部と前方部の上段斜面にほり崩しの窪みが描かれている。「共に石窟跡」と注記され、横穴式石室があったと矢野一貞は推測した。森貞次郎はこれに批判的で、六世紀前葉に一般的なくびれ部方向に開口する横穴式石室を推測している。 1991年から1995年に九州大学工学部の水永秀樹さんを研究団長とする電気探査で埋葬施設を探索した。成果によれば、横穴式石室は後円部中央付近の「現地面からの深さ3mから7mの範囲に存在し、石室の大きさは幅3m、高さ4m、長さ10m程度」で、南西方向に向いているという。横穴式石室の深度に疑問はあるが、南側くびれ部分の一段テラスに開口する可能性が高いとされる。

遺物

  • 岩戸山古墳の石製表飾
    • 最大の特徴は種類、量、サイズである。デザイン性の高さもある。

大塚恵治講演「継体天皇と筑紫君磐井」

  • 岩戸山古墳の石人・石馬に三葉文杏葉の陽刻や振り環頭の太刀形陽刻がある。これらは継体大王との密接な関係性が推測される。
    • 磐井は博多湾内に朝鮮半島向けの港湾施設(糟屋屯倉)を設けており、有明海・玄界灘・東シナ海に影響力があった。特に朝鮮半島南部に独自の交流網を構築していた。

指定

アクセス等

  • 名称:岩戸山古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者: 『筑後国風土記』によると筑紫君磐井の墓とされる。
  • 築造時期: 6世紀前半(古墳時代後期)
  • 所在地: 福岡県八女市大字吉田字甚三谷
  • 交通: 西鉄久留米駅より八女行きバス「福島高校前」下車

岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷

  • 所在地: 八女市吉田1562 - 1
  • 開館時間:午前9時から午後5時15分
  • 休館日:月曜日

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  3. 柳沢一男(2014)『筑紫君磐井と「磐井の乱」』新泉社

綾塚古墳2023年05月26日 21:54

綾塚古墳(あやづかこふん)は、福岡県京都郡みやこ町に所在する古墳時代後期の横穴式石室古墳である。

概要

観音山から延びる丘陵の先端部に築かれる。墳丘の大きさは直径40m、高さ7m、山側部分をU字形に削って濠を造り、その土を盛り上げて墳丘を築いた。2段築成円墳である。 巨岩を使った横穴式石室は「五条野丸山古墳」(見瀬丸山古墳)、福岡県の「宮地嶽古墳」に次いで全国第3位の規模である。 幅4.5mの周濠が巡る。 後室は正方形で、奥壁に並行して長さ2.5m、幅1.6m、高さ1.2mの家形石棺が安置される。 豊前地方で家形石棺のある唯一の古墳である。被葬者は強大な権力を持っていたと考えられる。縄掛突起は、両小口に各1個、両側面に各2個あり、全部で6個ある。現存長21mの複式の横穴式石室が南に開口する。

調査

規模

  • 直径40m、高さ7m の円墳

構造

石室は、橘塚古墳と同様に花崗岩の巨石を用いて築かれた複室構造の横穴式石室である。

遺構

遺物

出土遺物は盗掘により不明である。

築造年代

  • 6世紀後半から7世紀初頭の構築

指定

  • 1973年4月14日、国史跡に指定

アクセス

  • 名称:綾塚古墳
  • 所在地:〒824-0822  福岡県京都郡みやこ町勝山黒田2229
  • 交 通: 行橋駅より車で約40分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社

王塚古墳2023年05月26日 21:55

王塚古墳(おうづかこふん)は福岡県に所在する6世紀中ごろの前方後円墳である。わが国で最も優れた装飾壁画がある。 「戸塚王塚古墳」とも言われる。

概要

遠賀川の上流である穂並川の右側台地上に位置する、本墳は全長82mの3段築成で埴輪が巡る。昭和初期の土取り工事で、後円部の主体部が発見された。初期の横穴式石室で、複式構造である。後室には石屋形がある。2体並葬の棺床を作り、その前面に石製の燈明台が左右にとりつく。 古墳は盗掘を受けていなかった。 1934年の工事で半分以上が破壊されている。福岡県による調査が行われた。 後室は奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、その上を割石で積み上げ、上部を天井石で覆って造られている。正面には2体用の石枕がある石屋形が据えられる。 壁画保存のため春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開される。

装飾

鉱物顔料により赤、黄、緑、黒、白の5つの色で彩られた壁画が石室内全面に施されており「装飾古墳の王者」と呼ばれる。絵具に粘土が使用されている。石室内の全面に動物、靫、盾などの具象文様と三角形、蕨手、円などの幾何学文様が描かれる。奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。羨道は赤一色に塗られ、前室の奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。

文様

騎馬像、同心円文、三角文、珠文、双脚輪状文、わらび手文、靫、盾。

調査

1969年(昭和44年)に「装飾古墳保存対策研究会」が発足した。考古学、建築学、土木工学、保存科学、気象学など16名の学術研究者により調査研究が行われた。1982年(昭和57年)には、小林行雄京都大学名誉教授を委員長とする「王塚古墳保存調査委員会」が発足した。

遺構

  • 周濠があることが確認された。

遺物

指定

  • 1937年6月15日(昭和12.06.15)  史跡名勝天然記念物
  • 1952年3月29日(昭和27.03.29)  特別史跡

アクセス等

  • 名称:王塚古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者: 不明(ヤマト王権とつながりのある在地の大豪族)
  • 築造時期:6世紀中頃
  • 全長:86m
  • 前方部幅:60m
  • 高さ:9.5m
  • 所在地:〒820-0603  福岡県嘉穂郡桂川町大字寿命311番地
  • 交通: JR筑豊本線「桂川駅」より徒歩約8分

王塚装飾古墳館

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. (財)和歌山市文化体育振興事業団(1984)『車駕之古址古墳 範囲確認調査概報』和歌山市文化体育振興事業団調査報告書 第 9集

宮地嶽古墳2023年05月26日 21:56

宮地嶽古墳(みやじだけこふん)は福岡県にある7世紀前半の円墳である。 巨大な石室と豪華な副葬品で知られる。

概要

被葬者は、宗像一族の首長墓であるとされる。、福岡県福津市の宮地嶽神社境内にある古墳時代終末期の円墳である。石室は参拝可能な石室としては最大である。

調査

遺構

墳丘形状は大型で、直径は34メートル、横穴式石室の長さが約22メートル。内部の横穴式石室は全長23m、最人幅2.8m、天丼までの高さは最大3.1m。

規模

  • 直径 - 58;34m

出土遺物

金銅装馬具、金銅刀装具、緑に輝く瑠璃玉、緑瑠璃板、金銅透冠、ガラス板など、300点が発見された。金銅装の豪華な馬具は、各種文様を薄肉彫りするなど装飾性に富む。頭椎大刀は、推定全長2.8mという巨大刀である。歩揺を垂下した冠は、透彫りによって流雲文の間に竜を配置した。宮地嶽古墳の正面の山すそから出土した瑠璃壷と銅壷は八世紀の火葬した骨を入れる骨壷と考えられる。埴輪はない。

指定

  • 昭和27年3月29日(国宝指定)

展示

出土品は宮地嶽古墳出土品として九州国立博物館東京国立博物館に保管展示される。

アクセス

  • 名称:宮地嶽古墳
  • 所在地: 811-3309 福津市宮司元町7-1
  • 交通: 福間駅下車、駅前よりバス(タクシー)約5分、徒歩約25分(約2km)

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 池ノ上宏・花田勝弘(1999)「筑紫・宮地嶽古墳の再検討」(『考古学雑誌』第85巻 第1号)
  3. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社

鋤崎古墳2023年05月26日 21:57

鋤崎古墳(すきざきこふん)は福岡県福岡市西区今宿字鋤崎 に位置する4世紀末から5世紀初頭に築造された前方後円墳である。

概要

鋤崎古墳付近 は糸島平野と早良平野を結ぶ交通要衝の地にある全長 62mの3段築成の古墳である。各斜面に葺石を貼り円筒埴輪列を巡らしている。今宿古墳群の首長墓に位置づけられる。出土した鉄刀は朝鮮半島南部との交流のもとに日本列島で成立したとみられる福岡市教育委員会(2002)。仿製鏡の副葬は中国に先行した可能性が指摘されている福岡市教育委員会(2002)。副葬品の組み合わせから、最初の首長は女性の可能性が指摘される。石室内の玄室に、材料の異なる3基の棺が設置されている。

調査

1981~83年に福岡市教育委員会が調査した。

遺構

主体部は後円部の玄武岩割石積の竪穴式石室で、内部に箱式石棺・埴質棺・木棺痕跡の計3つの棺が検出された。古式の横穴式石室が未盗掘で検出され、横穴式石室の出現と変遷をの第一級資料である。[百済]]の墓制の影響により成立したと想定される。

遺物

銅鏡6面、素環頭鉄刀2、勾玉管玉、矛、中国鏡、長方板皮綴短甲、鉄製武器、農工具、玉類、銅釧、くし等が出土した。銅鏡6面は中国鏡2面&(内行花文鏡、双頭龍文鏡)、仿製鏡4(四獣鏡2、捩文鏡1、珠文鏡1)である。

指定

  • 国指定史跡 2004年

展示

石室は埋め戻されているが、石室の実物大のレプリカは福岡市博物館にある。

アクセス

  • 名称:鋤崎古墳
  • 所在地: 福岡県福岡市西区今宿青木字鋤崎
  • 交通: JR筑肥線 今宿駅より徒歩25分/ JR筑肥線「周船寺駅」よりタクシー利用

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 福岡市教育委員会(2002)「鋤崎古墳調査報告書」福岡市埋蔵文化財調査報告書第730集

那珂八幡古墳2023年05月26日 21:58

''那珂八幡古墳'(なかはちまんこふん)は4世紀はじめに築造された福岡平野最古の前方後円墳である。

概要

福岡平野の中部に位置し、東の御笠川、西の那珂川に挟まれ、御笠川右岸に沖積台地にある。標高は6mから9mである。墳丘は地山整形と盛土で築造され、その周囲に馬蹄形に周溝がめぐる。前方部前面の周濠は不明。周堤はなし。

調査

1971年(昭和46年)に九州大学考古学研究室が銅戈鋳型と同時期の遺構・遺物を発見すべく発掘調査したところ、神社がある独立丘陵が帆立貝形古墳であると判明した。1985年、福岡市教育委員会が調査した。後世の改変をかなり受けているが、くびれ部が反るように広がる前方後円墳と判明した。後円部から見つかった2基の主体部のうち1基から、三角縁神獣鏡などの初期古墳の遺物が出土した。これまで那珂八幡古墳は「纒向型」とみられていた。今回の調査により那珂八幡古墳は、従来75mとされていた全長は約86メートルに伸び、後円部と前方部の比率が5対3となることが確認された。前方部の端の幅も30メートル程度で想定の約45mより狭く、纒向型と異なっている。福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄氏は「近畿の古墳をまるごとコピーしたものではない」と話す。一帯は魏志倭人伝に出てくる奴国の中心部で、同古墳に埋葬された人物は奴国に関わる有力者と考えられる。九州大学の溝口孝司教授(考古学)は「古墳時代の初期は近畿が地方を支配していたわけではなく、近畿と各地の首長たちによるネットワーク連合という形だったのではないか。各地域の古墳に独自性がある可能性がある」と話す(参考文献1)。

規模

  • 墳長 86m
  • 後円部 径48~50m 高8m
  • 前方部 長推定12m以上 高現状2m

遺構

第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬である。第1主体は未調査。

遺物

三角縁神獣鏡は、福岡市博物館に展示される。

  • 三角縁五神四獣鏡 – 直径 21.8cm
  • 硬玉勾玉 1 - 長さ1.9cm、厚さ0.67cm
  • 碧玉管玉 2、
  • ガラス小玉 1。
  • 土師器
    • 高坏 3 – 祭祀に関わる土器と見られる
    • 器台 1 – 古椎土器併行期

築造時期

指定

アクセス等

  • 名称:那珂八幡古墳
  • 所在地:福岡市博多区那珂一丁目44
  • 交通: JR鹿児島線 竹下駅より徒歩6分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 「ヤマトに服属」定説に一石か』西日本新聞、2019年2月14日
  4. 福岡市教育委員会(1986)『那珂八幡古墳 福岡市埋蔵文化財調査報告書第141集』