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対馬国2023年05月12日 16:35

対馬国(つしまこく)は現在の対馬である。東シナ海と日本海の接続部にある対馬海峡に浮かぶ島である。

概要

魏志倭人伝に記載される国のひとつで、狗邪韓国から海を渡ったところにあるとされる。魏志倭人伝の対馬国の記述は簡潔であるが、正確な記述である。「水行」は海沿いの航路を意味し、「渡海」は広い海を渡ることを言う。大官の卑狗と副官の卑奴母離は邪馬台国から派遣された現地の指導者である。対馬国に王がいるかは記載がない。李氏朝鮮時代の『海東諸国記』の記述とほぼ同じである。 魏志倭人伝の版により対馬国の表記が異なっている。紹熙本では「對海國」、紹興本では「對馬國」とする。「魏略逸文」では「対馬国」となっている。紹熙本の表記は誤植と推測される。 対馬国は倭国の1国として登場し、邪馬台国に服属していると記される。位置は博多から120km、壱岐から70km、金海から50kmである。

大意

狗邪韓国から海を渡り千余里で対馬国に至る。その長官を卑狗(ひこ)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。周囲は400里ほどの離れ小島である。土地の山は険しく、深い森林がある。道路は鳥や獣が通る道のようである。戸数は千余戸ほどである。良田は少ない、海産物を食べて自活し、船に乗って南北から米を仕入れる。(注)市糴は米などの穀物を売買することである。

原文

  • 始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶㠀 
  • 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 
  • 食海物自活 乗船南北市糴 

弥生時代

弥生中期では浅茅湾一帯に遺跡が分布する。箱式石棺墓が多い。朝鮮半島からもたらされた青銅器が数多く出土する。また北部九州の青銅器の出土も多い。

国邑はどこか

対馬国の国邑に相当する遺跡は長い間分からなかった。しかし三根遺跡において大規模な集落遺跡が始めて発見された。三根遺跡山辺区は対馬西岸の三根湾に注ぐ三根川流域にあって、広さ約4万平方メートル。対馬市教委はこれまでに7000から8000平方メートルを発掘調査した。その結果、100以上の柱穴と、高床建物跡3,4棟分、竪穴住居跡2棟分が出土した。また弥生土器や古墳時代の三根遺跡において大規模な集落遺跡が始めて発見された。三根遺跡の山辺区は対馬西岸の三根湾に注ぐ三根川流域にあって、広さ約4万平方メートル。対馬市教委はこれまでに7000から8000平方メートルを発掘調査した。その結果、100以上の柱穴と、高床建物跡3,4棟分、竪穴住居跡2棟分が出土した。また弥生土器や古墳時代の須恵器、朝鮮系の土器などの破片1万点以上と鉄製釣り針や袋状鉄斧が出土した。弥生から古墳にかけての集落遺跡とみられている。 さらに対馬市峰町大久保の「ヌルヘノ 口 遺跡」からは弥生から古墳時代前期とみられる土器片が複数出土した。別の場所から同時代に朝鮮半島北部で作られたとみられる「 楽浪系土器」の破片1点と、朝鮮半島南部で作られたとみられる「 三韓土器」の破片1点が見つかっている(参考文献1)。

王墓

西谷氏は対馬国の王墓として、下ガヤノキ遺跡を候補に挙げている。「下ガヤノキ遺跡F地点」の箱式石棺の中から弥生後期前半の内行花文鏡2面、年代形式不明の鏡2面が出土している。これらの遺物は石棺墓の副葬品であった可能性が高いとされ、そうした場合は石棺墓が王墓と示唆される。

対馬の主要な遺跡

古墳

  • 根曽古墳群
  • 朝日山古墳
  • 出居塚古墳

参考文献

  1. 「対馬のヌルヘノ口遺跡から土器片」読売新聞、2022年11月3日
  2. 西谷正(2014)「邪馬台国周辺諸国の実像」歴史読本、KADOKAWA

塔の首遺跡2023年05月12日 16:48

塔の首遺跡(とうのくびいせき)は対馬北端の長崎県対馬市上対馬町にある弥生時代後期の墳墓群である。

概要

対馬市の上古里川の西、比田勝港の北東、西泊湾を望む岬上の丘陵の稜線上に所在する稜線上に存在する箱式石棺群である。箱式石棺内に広形銅矛を副葬することは、他の遺跡には見られない特徴である。対馬を代表する有力者の埋葬施設である。

調査

1971年長崎県教育委員会の委嘱で上対馬町教育委員会・長崎県教育委員会・別府大学・長崎大学・九州大学による調査が行われた。第1号石棺はすでに大部分が消滅していた。 第2号石棺は箱式石棺で厚い砂岩板石で築いている。内法で長さ1.5m、北幅0.45m、南幅03mである。 第3号石棺は、砂岩の板石材を多用し、両側壁に銅釧7(左腕4、右腕3)のほか、広鋒銅鉾6が分けて置かれ、別に頭部に土器1、多数のガラス製小玉管玉が副葬されており広鋒銅鉾は時期確定の資料となった。広形銅矛が弥生後期前半には出現していたこと、対馬では広形銅矛を副葬する場合もあったこと、さらに弥生土器と朝鮮半島系土器との年代比較が可能になったことなど、注目すべき重要な副葬品である。敷石を配して整美な形態をとる。 第4号石棺は、最高所にある箱式石棺である。稜線に直交し、内法の長さ1.95m、幅0.45mである。

遺構

箱式石棺墓5基が確認されている。2,3,4号の石棺墓以外はほとんどが破壊されている。

出土遺物

九州大学に保管されている。朝鮮半島系の遺物と、北九州系の遺物が共伴して出土する。

第2号石棺

  • 銅釧1 - 正円に近い径7.3cm、幅0.7cm
  • 水晶棗玉1
  • ガラス玉1400点以上
  • 土器3(足元に副葬)
    • 灰白色の硬い焼きの楽浪・帯方郡系陶質の把手付壺1点
    • 小型甕 1点
    • 赤焼土器 1点

第3号石棺

  • 銅釧 - 楽浪郡の製品、左腕4点、右腕3点
  • 広形銅矛2点 – 奴国産
  • 小壺 – 頭部
  • ガラス製小玉 8000点以上
  • 管玉
  • 歯冠 7点、20歳代女性を埋葬か。
  • 銅矛 – 第1号は長さ89.1cmと長大、第2号は83.8cm。奴国産か。

第4号箱式石棺墓 – 板石組、内法で長さ1.95m、幅0.45m。

  • 方格規矩鏡 1面
  • 鉄斧 1点
  • ガラス製小玉
  • 土器 - 弥生後期前半から中頃のもの、軟質の漢式土器を伴う。

第5号箱式石棺墓

  • 大型壺 1点 -弥生時代後期後半のもの

指定

  • 1977年に国指定史跡に指定。

アクセス等

  • 名称: 塔の首遺跡
  • 所在地:長崎県対馬市上対馬町古里
  • 交通: 対馬空港から車で約2時間10分/比田勝港から徒歩約5分。

参考文献

  1. 大塚初重(1995)「日本古代遺跡辞典」吉川弘文館

黒姫山古墳2023年05月12日 17:07

黒姫山古墳(くろひめやまこふん)は大阪府堺市にある5世紀中葉の前方後円墳である。鉄製甲冑類の出土量として日本最多である。

概要

百舌鳥古墳群古市古墳群の中間にある全長114mの前方後円墳である。平地に立地し、前方部は西向きである。墳丘のまわりに幅15メートル前後の周濠がある。中世には、墳丘に大規模な盛り土がされていた。

調査

昭和22年に調査され墳丘に二重に円筒埴輪列が検出された。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:2段
  • 墳長 116m
  • 後円部 径66m 高11m
  • 前方部 幅67m 長63m 高11.6m
  • 造出:あり 北側にのみ付設

遺構

後円部の埋葬施設は盗掘により破壊されていた。 前方部に墳丘主軸に並行して副葬品埋葬用とみられる河原石積竪穴式石室がある。 石室は内法4.03m、東端幅0.75m、西端幅0.83m、高さ1.03m。

出土遺物

遺物は堺市立みはら歴史博物館で展示されている。

  • 鉄刀 14、
  • 鉄剣 10、
  • 鉄鉾 9
  • 長頸鏃:細身56
  • 横矧板鋲留 12
  • 三角板鋲留 11
  • 眉庇付冑:横矧板鋲留 3
  • 小札鋲留5、
  • 長方形小札 鋲留1
  • 横矧板鋲留 8
  • 肩甲 12
  • 草摺 4
  • 須恵器杯(身) 1
  • 滑石製紡錘車 1

アクセス

  • 名称:黒姫山古墳
  • 所在地: 〒587-0002  大阪府堺市美原区黒山302
  • 交通: 河内松原駅徒歩10分/近鉄南大阪線「河内松原駅」より近鉄バスに乗り換え「下黒山西」下車

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版

ガヤノキ遺跡2023年05月12日 19:51

ガヤノキ遺跡(がやのきいせき)は長崎県対馬市峰町にある弥生時代から古墳時代にかけての遺跡である。現在は「下ガヤノキ遺跡」という。

概要

対馬市三根集落の中心部に位置しており、その存在は古くから知られていた。三根には弥生時代中期から後期にかけて墳墓遺跡が多く、当時の対馬の中心地と言われる。 遺跡は箱式石棺と積石塚からなる。出土遺物は金属器を中心として多彩であり、弥生時代から古墳時代にかけての対馬の墳墓の特徴がみられる。 時期は弥生時代の中期後半から古墳時代後期に及び、墳墓(6基)や埋納遺構(2基)の合計8遺構が確認されている。北部九州の弥生土器と、伽耶系の金海式土器(漢式土器)が共伴するのが対馬の特徴である。現在、長崎県立美術博物館に所蔵される広形銅戈は1927年(昭和2年)道路開発に伴い中広銅矛とともに発見された。

調査

  • 1932年(昭和7年)、中山平次郎氏による調査、
  • 1948年(昭和23年)、東亜考古学会による調査
  • 1994年(平成6年)、九州大学考古学研究室による調査

遺物

1994年(平成六年)丘陵の南麓で石棺が発掘された。

  • 弥生土器(甕)
  • 漢式土器
  • 前漢鏡
  • 鉄剣
  • 鉄刀
  • 鉄斧
  • 鍔(つば)形銅器・
  • 金銅釧(くしろ)・
  • 碧玉製の管玉・土器
  • 中広形銅矛・
  • 銅剣・
  • 石剣
  • 銅戈
  • 管玉
  • ガラス小玉・

アクセス等

  • 名称:ガヤノキ遺跡
  • 所在地:対馬市峰町三根ガヤノキ
  • 交通:

参考文献

石上神宮2023年05月12日 20:19

石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市にある神社である。

概要

日本最古の神社の一つとされる。物部氏の総氏神である。 崇神天皇7年、勅命により物部氏の祖 伊香色雄命が、石上布留高庭(現在地)に武甕雷神(たけみかづちのかみ)を祀り、石上大神と称えたのが創建とされる。日本書紀崇神7年8月に伊香色雄命を神班物者とする記事がある。物部の八十平瓮を祭神としたところ国内の疫病が収まったという。我が国の霊剣は草薙剣を除いて当宮に祀られることになっている。

祭神

  • 布都御魂大神:神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る霊威を称え布都御魂大神という。佐土(さじ)布都神とも いい、神代に武甕雷神がおびていた霊剣であり、平国之剣(くにむけのたち)ともいわれる。天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿る霊威を称えるとも言われる。天璽十種瑞宝は、饒速日命が天津神から授けられた十種の神宝をいう。

宝物

  • 七支刀
    • 国宝。古代の遺品で、社伝では「六叉鉾」 と称されていた。現在は刀身に記された銘文により「七支刀」と称する。『日本書紀』に百済から献上された「七枝刀」と考えられている。
  • 鉄盾
    • 重要文化財。神庫に「日の御盾」と称して収蔵されてきた伝世品で、2面ある。1面は東京国立博物館に委託されている。製作年代は、5世紀後半と推定される。
  • 色々威腹巻
    • 重要文化財。腹巻は行動性を重視した形式の甲で、当神宮のものは白・紫・紅・萌黄という鮮やかな色の糸でつづり合わせている。足利尊氏が奉納したものと伝えられる。奈良国立博物館に委託されている。
  • 硬玉勾玉
    • 重要文化財。濃緑または淡緑の翡翠を加工した勾玉で合計11個. 古墳時代前期の副葬品に見られる勾玉と類似する。
  • 碧玉管玉
    • 重要文化財。合計で293個。古墳時代前期。
  • 琴柱形石製品
    • 重要文化財。
  • 弧状管玉
    • 重要文化財。乳灰色の硬玉で作られた弦月状の管玉
  • 硬玉棗玉
    • 重要文化財。軟玉製で、合計で9個あり、紋様の有無・緑色の濃淡など多様。
  • 環頭大刀柄頭
    • 重要文化財。環形の装飾をした大刀の柄頭
  • 銅鏃
    • 重要文化財。古式の柳葉形のやじりで、長さは7.2cm、良質の白銅製。
  • 銅境
    • 重要文化財。草花文鏡と萩菊双雀鏡の2面。作されたのは平安時代後期と推定
  • 金銅垂飾品
    • 2個の環を直角に組み合わせてその上に小さな環をとりつけたもの。長さ4.6cm、
  • 金銅鐶
    • 重要文化財。銅製を鍍金したものが2個、銅製を鍍銀したものが1個の計3個。

建築

  • 拝殿
    • 国宝。拝殿としては現存最古。建築様式は鎌倉時代初期の建立。白河天皇が、当神宮の鎮魂祭のために、永保元年(1081年)に宮中の神嘉殿を寄進したとされる。入母屋造、檜皮葺。
  • 本殿
    • 明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立する。
  • 楼門
    • 重要文化財。鎌倉時代末期、第96代後醍醐天皇、文保2年(1318年)に建立されたと伝わる。
  • 摂社 出雲建雄神社拝殿
    • 国宝。元は内山永久寺の鎮守の住吉社の拝殿を大正3年に現在地に移築。内山永久寺は鳥羽天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院。
  • 神庫
    • 禁足地の南西の隅に建っている二戸前の校倉造の建物。現在の神庫は嘉永4年(1851)に再建されたもの。

アクセス等

  • 名称:石上神宮
  • 拝観料:無料
  • 拝観時間:御門内での参拝は日の出より日没まで
  • 所在地:〒632-0014 天理市布留町384
  • 交通:JR天理駅より天理市コミュニティバス「いちょう号」(東部線)下山田系統 「石上神宮前」バス停下車、徒歩10分

参考文献

国宝2023年05月12日 21:19

国宝(こくほう,National Treasures/National heritage)は日本国内にある建造物、美術工芸品、文書などの文化財のうち、世界文化から見て価値が高く、類まれな日本国民の宝として国が指定したものをいう。

概要

日本の制度

1950年以前は古社寺保存法および国宝保存法によって指定されていた(旧国宝)。1950年(昭和25年)8月施行の「文化財保護法」(昭和25年5月30日法律第214号)により規定されるのが現行の国宝(新国宝)である。 国宝は重要文化財の1種である。旧国宝はいったん重要文化財と見なし、その中からより価値の高い文化財を選んで、改めて国宝として指定した。

国宝の指定

(文化財保護法第27条1項により、文部科学大臣は、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定することができる。さらに重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することができる(文化財保護法第27条2項)。国宝の指定は文化審議会の文化財分科会の審議・議決答申を受けて文部科学大臣が指定し(文化財保護法第153条)、官報に告示される(文化財保護法第28条)。

国宝の指定件数

2022年(令和4年)2月1日現在で国宝は1,130件である。 国宝指定の内訳

国宝の指定解除

国宝が「価値を失つた場合その他特殊の事由がある」ときは、国宝の指定を解除できることとされている(文化財保護法第29条第1項)。しかし国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もない。

修理勧告・命令

文化庁長官は、国宝がき損している場合、保存のため必要があると認めるときは、所有者又は管理団体に対し、修理に関して命令又は勧告ができる(文化財保護法第37条第1項)。勧告または命令によって修理を行うときは、全部又は一部を国庫負担とすることができる(文化財保護法第37条第3項)。命令に従わない時は、国が自ら修理を行い、又は滅失、き損若しくは盗難の防止の措置取ることが出来、修理又は措置をおこなう管理者を文化庁職員の中から任命する。

売却の申し出

国宝を含む重要文化財を有償で譲渡しようとする者は、譲渡の相手方、予定対価の額等書面で、文化庁長官に国に対する売渡しの申出をしなければならない。

輸出の禁止

法的には、国宝は重要文化財の一種である。保存や修繕に関する国の補助金は重要文化財と変わらない。国宝・重要文化財指定物件及び重要美術品等認定物件は,文化財保護法及び関係法令により,原則として海外への輸出(持ち出し)は禁止されている(文化竿保護法第44条)。

古美術品輸出鑑査証明

貴重な国民の財産である文化財が誤って海外に流出することを防ぐため,古美術品を海外に輸出しようとする際には,古美術品輸出鑑査証明を受ける。輸出鑑査証明の有効期間は一年である。

+海外の国宝制度

文化財の輸出規制はフランス、イタリア、中国、韓国などで規定があり、輸出を原則禁止している。その対象は,フランスは「国宝」及び歴史的記念物に指定された文化財,イタリアでは「文化的動産」や法律上特定された文化財,中国では「貴重な文化財等」である。いずれの国も例外規定として展覧会などの特別な目的に限って一時的な持ち出しを認めている。

韓国の国宝

大韓民国の文化遺産保護制度の一つ。大韓民国文化財保護法によって定められた文化財を指す。1962年に文化財保護法が制定され、1962年12月20日に116点の文化財が「大韓民国指定国宝」(대한민국의 국보)に指定された。その後、順次、新たな文化財が追加指定された。 朝鮮総督府において当時、朝鮮の文化財の中に保存する価値があると選定したものに、連続番号を付与し、朝鮮の宝物、古跡、名勝、天然記念物などを指定して管理を開始したことが始まりである。 指定番号1番はソウル崇礼門(ソウル崇禮門)である。

英国

英国のNational heritageは国家的に重要であるとして政府機関によって登録された遺産である文化財である。400のモニュメントや建造物が登録されている。ストーンヘンジのような考古学遺跡から、アイアンブリッジなどの産業遺産に至る広範囲にわたる建造物を扱っている。 National Treasuresは英国では、女優のJudi Denchやコメディアン・小説家のStephen Fryを指すようだ。英国にはNational Treasuresという題のTVドラマがあった。

フランス

歴史的記念物に関する法律

第14条【指定動産物】(抄) 1.本来の意味での動産(meubles)であれ,不動産定着物(immeubles par destination)であれ,動産物(objets mobiliers)は,その保存が歴史的,芸術的,科学的,又は技術的観点から見て公益性を有するならば,省令(arrêté ministériel)によって指定することができる。 第15条【指定手続】(抄) 1.動産物の指定は,その動産物が国家,県,市町村,又は公共施設に属する場合は文化担当の国務大臣(ministre d’Etat)の行政決定(arrêté)によってなされる。指定は関係者(intéressés)に通知される。

流通制限を受ける製品及び警察・憲兵・税関の業務補完性に関する法律

公共及びフランスの博物館のコレクションに属する財物、並びに歴史的、芸術的又は考古学的観点から国家遺産にとって重大な価値を有する他の財物同様に、記念物に関する法律又は古文書に関する法律を適用して登録された財物は、国宝と看做される。

シゲノダン遺跡2023年05月12日 21:28

シゲノダン遺跡(しげのだんいせき)は長崎県対馬市にある弥生時代中期から後期の遺跡である。

概要

佐保川西岸の舌状突端部、段畑状の狭小な平坦部に位置し、段畑の崖面に銅鉾の鋒部が露出していたことから発見された。当時国内では出土例がなかった朝鮮系の青銅器が発見され、遺物は国指定重要文化財となった。国立歴史民俗博物館の所蔵となっている。 1967年の発見により長崎県教育委員会の依頼で九州大学が調査したが、新たな遺物の発見はなかった。遺跡の性格は祭祀、儀礼と関わる品を埋納する祭祀施設である。

調査

畑の耕作中に偶然に発見した。

遺構

青銅器埋納遺構。板石(0.7m×0.3m)び下の窪みに中に銅矛(75cm)を中心にして多数の青銅器と鉄器を分けて埋納する。

出土

出土品は舶載青銅器、国産青銅器、鉄器が一括で出土した。中国産(貨泉)、朝鮮半島産(把頭金具、馬鐸、鰐形銅器)、国産(変形細形銅剣、中広銅矛、鉄製品)の祭祀具がみられる。

遺物

銅製の把頭類をはじめ鞘先、鐔、馬鐸など朝鮮半島からの将来品や、銅剣、銅矛など儀器化された青銅器類と鉄剣、釶などの実用的な鉄製品の組合わせが特徴である。

  • 中広銅矛
  • 鉄剣 5
  • 鉄矛
  • 鉄鏃 3
  • 双獣付十字形把頭金具
  • 粟粒文十字形把頭金具
  • 異型細形銅剣
  • 銅製鍔金具
  • 銅製鞘先金具2
  • 舌付き馬鐸
  • 貨泉(銭貨、天鳳元年)14
  • 2
  • 鍔形銅器
  • 矛状鉄器
  • 刀子
  • 鉤状鉄器
  • 鉄製釣針

指定

  • 1980年6月6日(昭和55.06.06) 重要文化財 対馬シゲノダン遺跡出土品

アクセス等

  • 名称: シゲノダン遺跡
  • 所在地:長崎県対馬市(旧:下県郡豊玉村)豊玉町佐保シゲノダン328
  • 交通:

参考文献

  1. 長崎県教育委員会(1969)『対馬-シゲノダン・唐崎の青銅器を出土した遺跡の調査報告-』