Bing

入墨2023年12月31日 10:09

入墨を表した土製人形/森本遺跡/京都府立山城郷土資料館

入墨(いれずみ)は古代において墨・煤・朱などの色素で体や顔の皮膚を彩色し、または線刻により文様・文字・絵柄などを体や顔に描くことである。

概要

魏志倭人伝に「男子は大小となくみなクジラのような顔で入墨を入れている」「中国にくると皆「大夫」を自称する」「南の會稽のように斷髮文身して鮫の害を防ぐ」「国によって入墨の位置は異なる」「身分によって入墨に違いがある」「のちに入墨は装飾のようになった」と書かれている。 三国志馬韓伝に「男子は時々入墨する」と書かれる。また韓伝弁辰に「風俗は倭に似ており、男女とも入墨する」と書かれる。つまり倭の風俗は弁辰に似ている。

「大小となく」の解釈

「大小となく」の解釈には年齢説と身分説とがある。年齢説は「大人も子供も(入れ墨する)」という意味とする。 身分説は吉岡郁夫(2021)に代表され、身分に関わらず入れ墨をしているとする説である。 一般的には世界各地の文身習俗では、通過儀礼で大人になった証として入れ墨を入れるという。埴輪の男子は線刻がみられる事例がある。これは入れ墨とみられる。魏志倭人伝の後半に身分により入れ墨が異なると書かれるので、身分説の方が分かりやすい。

女子の入れ墨

倭人伝には「男子は」と書かれるが、女子は入れ墨をしたかどうか書かれていない。「男子は」と書かれているので、女子は入れ墨しないとも解釈できる。しかし女性の埴輪には顔に色ぬりをしたものがある。線刻の埴輪は。入れ墨はあったとしても、男子とは異なっている。 千田稔(2014)の解釈は、女子は「彫り物ではなく、塗り化粧つまりペイントの表現」とする。すなわち化粧のための色塗り(ペインティング)と理解される。群馬県の上野塚廻り古墳群出土埴輪は王位継承儀礼での巫女の顔面彩色である(千田(2014))。

古代の入墨

縄文時代の土器の顔面把手や土偶に描かれた顔、弥生時代Ⅴ期から古墳時代の近畿を除いて茨城から福岡までの土器や木の板、石棺の蓋などに鼻を中心とした平行弧線が描かれており、これは入墨の可能性がある。 津寺(加茂小)遺跡の黥面文身土偶は昭和63年に行われた校舎の建て替え工事に伴う発掘調査で、弥生時代後期の溝から出土した。高さ3.5cm。頸部以下は欠損している。両目の上下に弧状線数本描き口の脇や顎・頸にも数本の線刻がみられる。 これら『魏志倭人伝』に記載された、倭人の習俗である黥面文身(入墨)を表現したものとみられる。

刑罰の入墨

日本書紀には刑罰として死罪の代わりに入墨を入れる例が示される。住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇連浜子に対し、死罰を免じて罰として黥面をさせ、当時の人は「阿曇目」と呼んだと記される。大系日本書紀は「阿曇部や鳥養部が行なっていた入れ墨の慣習を、中国風の思想から説いた起源説話であろう」とする。また履中天皇が淡路島に狩猟のため行幸したところ、イザナギ神が、随行の河内の馬飼部の人々の目のふちの入墨の血の生臭さに堪えられないと神託したために、以後は馬飼部の入墨をやめさせたとする。

琉球諸島とアイヌ女性の入れ墨

奄美群島から琉球諸島にかけての島嶼部で女性は「ハジチ」と呼ばれるイレズミを指先から肘にかけて入れる習慣があった。記録は16世紀以降であるが、それ以前から入れ墨は行われていたと推測される。宮島幹之助(1893)は明治23年に琉球婦人が手の甲に入墨をしているところを目撃した。琉球の入墨の文様は身分により異なるという。友人の後藤千代吉はアイヌの婦人が手の甲、口の周囲、眉間に入墨をしているところを見たという。 手の部分のイレズミは、女性が既婚であることを表し、施術が完成した際には祝福を受けるなど、通過儀礼の意味合いも持っていた。島ごとに施術される範囲や文様が異なっており、ハジチがない女性は来世で苦労するという伝承が残る島もあった。

海外古代の入墨

紀元前4,000年頃エジプトで発見された土器(人形)にタトゥーの痕跡が認められている。女性を模した「点」、「線」、「菱形」模様が施されており、後に発見されたミイラに見られるタトゥー模様のパターンと符合する。1991年、オーストリアのアルプス山中で見つかった旧石器時代の男性遺体に7個所から8個所の入れ墨があったという。アルプスの山中で発見されたことから、アイスマンと呼ばれる。

入れ墨の健康効果

スウェーデンとハンガリーの研究者は、ボディペイントには昆虫を遠ざけ、病気から人々を守る効果があることを証明している(Gábor Horváthet al(2018))。身体へのペインティングには実用的意味があったとみられる。

原文

  • (三国志魏志 倭人伝 原文)「男子無大小、皆黥面文身、自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫、夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身、以避蛟龍之害、今倭水人、好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾、諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。」)
  • (三国志魏志 馬韓伝原文)其男子時時有文身。
  • (三国志魏志  韓伝 弁辰伝原文)男女近倭、亦文身。
  • (日本書紀 巻第十二履中天皇元年)詔之曰「汝、與仲皇子共謀逆、將傾國家、罪當于死。然、垂大恩而兔死科墨。」即日黥之、因此、時人曰阿曇目。
  • (日本書紀 巻第十二履中天皇五年)先是、飼部之黥皆未差。時、居嶋伊奘諾神、託?曰「不堪血臭矣。」因以、卜之、兆云「惡飼部等黥之氣。」故自是以後、頓絶以不黥飼部而止之。

出土例

参考文献

  1. 吉岡 郁夫(2021)『いれずみ(文身)の人類学』雄山閣
  2. 千田稔(2014)「入れ墨が示す海洋民たちの記号」『謎の女王卑弥呼の正体』,KADOKAWA,pp.196-209
  3. Gabor Horvath1,al(2019)"Striped bodypainting protects against horseflies",Royal Society Jan 16;6(1)
  4. 黥面文身土偶, 津寺(加茂小)遺跡, 岡山市埋蔵文化財センター
  5. 宮島幹之助(1893)_琉球人ノ入墨ト「アイヌ」ノ入墨

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/09/16/9618083/tb