Bing

続縄文時代2024年03月09日 12:14

続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)は本州以南で弥生時代の時期になっても、北海道では縄文文化が続いた時代をいう。

概要

弥生時代において、北海道では当時の稲の品種と技術によっては寒冷気候を乗り越えることができず、稲作はできなかった。そのため縄文時代と同様の狩猟、漁撈、採集に経済基盤を置く縄文式の生活伝統を維持した。縄文土器をそのまま使用し、石器や骨角器も同じように使用した。続縄文時代は前半(紀元前4世紀~紀元1世紀ころ)と後半(紀元2~6世紀ころ)の2つに分けられる。約1000年間にわたって続縄文時代は続いた。 続縄文時代に2つの変化が見られた。恵山式土器文化と後北式土器文化である。オホーツク海沿岸地域では続縄文時代の前期から中期にかけて、宇津内IIa式・宇津内IIb式と呼ばれる土器が見られる。併行して本州から金属製品を導入し、ネックレスの材料になる琥珀はサハリンから取り入れて独自の文化の続縄文文化を形成した。続縄文時代の後は擦文時代となり、弥生時代はなかった。7世紀頃に本州からの影響により鉄器主体の文化となる。

続縄文時代

山内清男は1939年(昭和14年)に縄文紋式以降の北海道の文化圏を「続縄文式」と命名し、「続縄文文化」という概念を提唱した。これを続縄文時代という。 山内は続縄文文化とアイヌ民族との関係に注目し、北海道では縄紋時代からの狩猟、漁業の生活が続いた。続縄文式期を二分し、第一期は弥生式と並行し土器の底が平らで上げ底である。第二期は古墳時代に相当するとした。

土器

  • 続縄文時代初頭の土器は常呂川河口遺跡・329b号土坑出土の土器、常呂川河口遺跡出土の土器に見られる。
  • 続縄文時代前期の土器は栄浦第二遺跡・87号土坑出土の土器、栄浦第二遺跡・84a号土坑出土土器が代表的である。
  • 続縄文時代中期の土器はオホーツク海沿岸地域の宇津内IIb式土器と呼ばれる型式の土器や常呂川河口遺跡・459号土坑出土の土器が代表的である。

参考文献

  1. 高瀬克範(2014)「続縄文文化の資源・土地利用」国立歴史民俗博物館研究報告185,pp.15-61