上野原遺跡 ― 2024年03月21日 00:11
上野原遺跡(うえのはらいせき)は児島県国分市にある縄文時代早期前葉の集落跡である。
概要
鹿児島県のほぼ中央部、標高250mのシラス台地上にある。縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡である。約10,600年前に定住したムラとなり、約8,600年前に儀式を行う場ができ、約7,200年前に住居跡はなくなり、狩り場となった。約3,200年前に再び定住し、竪穴住居跡や掘立柱建物跡がみつかる。「国内最古で最大級の定住化した集落跡」といわれる。日本列島における縄文時代の始まりの様相を示す遺跡として重要である。
調査
1996年度の調査で桜島のP-13火山灰層の下から、竪穴住居跡52基、集石39基、連穴土坑16基、土坑約260基、道跡2条が検出された。初期縄文の安定した長期定住生活がうかがえる。P-13火山灰は約10,600年前の爆発と考えられる。なお鹿児島大学理学部の小林哲夫助教授は「噴火年代は9200~9400年前(14C年代)、暦年代では約1万300~1万600年前」と書かれている(小林哲夫、溜池俊彦(2002))。
遺構
- 竪穴建物52
- 集石39 ,集石140
- 連穴土坑16
- 土器埋納土坑12
- 石斧埋納6
- 磨石集積3
- 落とし穴79
- 掘込369
- 土坑270
- 道路2
遺物
- 縄文土器(平栫式(深鉢+壺)
- 塞ノ神式土器
- 山ノ口式土器
- 前平式
- 加栗山式
- 吉田式
- 石坂式
- 下剥峯式
- 桑の丸式
- 押型文
- 中原式
- 平拵式
- 塞ノ神式
- 土偶
- 耳飾
- 土製品
- 石斧
- 石鏃
- 石皿
- 深鉢形土器
- 壷形土器、
- 鉢形土器、
- 石器、
- 耳飾
考察
火山灰の痕跡から縄文時代早期は約10,600年前、すなわちBC8600年頃であることが判明した、これは縄文時代早期の定点となる。縄文時代の始まりは約13000年前なので、そこからすでに2400年が経過したことになる。この頃は温暖化が進み、、海水面が上昇し、地形や植生が代わり、定住生活が始まるようになる。
指定
- 平成10年6月30日 - 国指定重要文化財、鹿児島県上野原遺跡出土品
- 平成11年1月14日 - 国指定史跡、上野原遺跡
展示
- 上野原縄文の森展示館
- 鹿児島県立 埋蔵文化財センター
アクセス
- 名 称:上野原遺跡
- 所在地:〒899-4318 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1-1
- 交 通:JR国分寺駅 車20分、(8.7km)/最寄バス停はないようである
参考文献
小林哲夫、溜池俊彦(2002)「桜島火山の噴火史 と火山災害の歴史」第四紀研究41(4),pp.269-278
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