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高地性集落2024年03月15日 00:26

高地性集落(こうちせいしゅうらく, Highland village)は弥生時代中期から後期に、平地から数十メートル以上の標高差のある山頂や丘陵の尾根に作られた集落である。

概要

この時代には水田耕作の発達により低地性の立地が多い時期であるが、高地性集落が登場したことは、その背景を巡って様々な説がある。焼畑説、洪水回避説、祭杷場説、軍事的施設説などいろいろな説が提唱されている。平野や海など周囲を眺望できる山頂や丘陵の尾根上などに形成されている。

目的

。高地性集落役割についてはいろいろな説があるが、見張り台やのろし台、逃げ城といった役割が想定されている。石鏃などの武器の出土が目立つことから、戦いに備えた集落が多い。水稲農耕には向いていない場所に集落が営まれている。大阪湾に面した高地や瀬戸内海沿岸の地では、高台に空濠や土塁をめぐらし、その内側に住居を構えた例も見られる。 比高の高い台地や山頂に防衛的あるいは畑作農耕を営む目的で形成され、集団間の軍事的緊張に備えた防御的集落説が有力である。

命名

小野忠熈(1970)は論文「考古地理学からみた弥生式高地性集落の機能」により、高地性集落の名を定着させた。

立地

高地性集落の出現場所は瀬戸内海から近畿地方までの範囲に分布する。北部九州には高地性集落は見られない。高地性集落遺跡の多くは平地や海を広く展望できる高い位置にあり西方からの進入に備えたものであり、焼け土を伴うことがあるが、「のろし」の跡と推定されている。紀元前1世紀から紀元3世紀にかけて、北部九州から瀬戸内沿岸、畿内にかけて地域間で軍事衝突を伴う政治的紛争が絶えなかったという推測がされている。 「倭国乱」と高地性集落は関係があると考えられている。

高地性集落の事例

  • 紫雲出山遺跡 - - 香川県
  • 会下山遺跡 - 兵庫県
  • 湊中野遺跡 - 佐賀県
  • 八堂山遺跡 - 愛媛県
  • 伯母野山遺跡 - 兵庫県
  • 古曽部・芝谷遺跡 - 大阪府
  • 高尾山遺跡 - 大阪府
  • 貝殻山遺跡 - 岡山県

参考文献

  1. 高橋誠一(1975)「弥生時代の集落立地」人文地理 27(2),pp.113-144
  2. 小野忠熈(1970)「考古地理学からみた弥生式高地性集落の機能」地理 15(2),pp.34-39
  3. 小野忠熈(1984)『高地性集落論』学生社
  4. 若林 邦彦(2013)『「倭国乱」と高地性集落論・観音寺山遺跡』新泉社

有孔円板形土製品2024年03月15日 00:26

有孔円板形土製品(ゆうこうえんばんけいどせいひん)は円形で扁平な無紋の土製品である。「土製有孔円板」ともいう。

概要

関東地方の縄文時代晩期前半の遺跡からの出土が多い。東関東を中心とする。 厚さ1cmから2cmで円の径は10cm前後である。 円板中央に丸い孔をあける。中央の孔を中心に小孔がめぐるものがある。 土器片を素材として整形、穿孔、研磨により円盤形に仕上げた土製品である 栃木県小川町三輪仲町遺跡や栃木県氏家町の勝山遺跡で完形品が出土している。

用途

用途は紡錘車・蓋・土錘・装身具など諸説のほか、呪術や祭祀的な性格をもつ土製品とする説がある。

縄文時代後晩期には用途を明確にできない遺物が多い。漁網や釣り糸専用の撚り装置部品(吊り下げ型回転式錘)とする説もあるが、海から遠い場所の出土も多いため、合理的な説明がつかない。

事例

  • 千葉県西広貝塚 - 有孔円板形土製品61個出土
  • 三輪仲町遺跡 - 栃木県小川町、有孔円板形土製品
  • 藤井寺市船橋町出土 - 大阪府柏原市大正・古町、藤井寺市、東京国立博物館

参考文献

  1. 上総国分寺台遺跡調査団(1977)『西広遺跡』「有孔円板土製品」
  2. (財)栃木県文化振興事業団埋蔵文化財センター(1994)『三輪仲町遺跡』栃木県埋蔵文化財調査報告143

玦状耳飾2024年03月15日 00:44

玦状耳飾(けつじょうみみかざり)は扁平な円または楕円形で中央に円孔があり、一端に切れ目がある耳飾りである。

概要

縄文時代早期末から出土し始め、縄文時代前期に全国的に流行し、この時期の一般的な装飾品として用いられるようになった。 前期末から中期始め頃までに北海道から九州まで広がりを見せた。滑石、蛇紋岩など軟質の石製品が多い。 日本の製品は縄文時代早期に環状のC字形のものがあり、前期には扁平化して平面形が縦円状や三角形状となり、孔が小型化し、切り込みが長くなる。中期に入り横長化や縦長化が進行する。

名前の由来

1917年大阪の古府遺跡で埋葬人骨の耳の位置で出土し、耳たぶに装着する耳飾りと推定された。古代中国の玉器の玦と形状が似ていることから、名がついた。その後、墓壙内の頭部推定位置で2個一対で出土する事例が増えている。

材料

材質は磨って薄く成形した板状の石(蛇紋岩・滑石ほか)が多いが、少数ながら土製や 骨角製(鹿の角)もある。滑石など滑沢のある石材で作られる。

使い方

ピアスの一種として、耳たぶに穴をあけ、その穴に飾りの切れ目の部分から通し、全体を半回転させることで切れ目の部分が下にくるようにして装着させていたと考えられる。 一般的な装飾品であるが、誰もが着用していたわけではなく、栃木県の根古屋遺跡では179体の人骨のうち玦状耳飾を伴っていた人骨は、わずか2体だけであった。ここから、玦状耳飾は特定の人しか装着することができなかったものと見られる。個人的な趣味による装着ではなく、縄文社会のルールにしたがってつけていたと考えられる。

起源論争

同形の耳飾は、東アジア一帯で出土し、中国から各地へ伝わったと考える説もある。中国の玦を起源とする説もあるが、紀元前5000年以前には遡らないため、日本で独自で生成発展した可能性も推定できる。

研究史

大阪府藤井寺市国府遺跡で出土し、鈴木文太郎は京都帝国大学(1917)で「石製玦状の耳輪を耳辺に存するもの」と説明した。1918年の報告では「玦状耳飾」と説明する。 1933年には樋口清之が「玦状耳飾考」を発表した。

出土例

  • 玦状耳飾 宿戸遺跡、岩手県九戸郡洋野町、縄文時代早期中葉

参考文献

  1. 藤田不二夫(1995)「玦状耳飾」(加藤晋平編『縄文文化の研究 7 道具と技術』第2版)雄山閣出版
  2. 京都帝国大学(1917)「河内国府石器時代遺跡発掘報告」京都帝国大学文科大学考古学研究報告
  3. 京都帝国大学(1918)「河内国府石器時代遺跡第二回発掘報告」京都帝国大学文科大学考古学研究報告
  4. 樋口清之(1933)「玦状耳飾考」考古学雑誌 23(1)

中野区立歴史民俗資料館2024年03月15日 22:52

中野区立歴史民俗資料館(なかのくりつれきしみんぞくしりょうかん)は中野区の歴史と民俗を展示する資料館である。

概要

中野の文化遺産を保存し展示活用していくことを目的に、名誉都民の山﨑喜作氏から1984年に寄贈された2600平方メートルの土地に建設された。1989年(平成元年)「山﨑記念中野区立歴史民俗資料館」として開設された。江古田村の名主であった山﨑家のあった場所で、資料館に併設されている「山﨑邸」の茶室・書院は江戸時代後期の建築である。

展示

  • 特別展示室(1階)・
  • 企画展示室(2階)
  • 常設展示室(2階)
    • 旧石器時代から現代に至る中野の歴史を、さまざまな資料や模型で解説する。
  • 縄文式土器、「金塚」、製粉用石臼、道標など。

諸元

  • 名 称:中野区立歴史民俗資料館
  • 開 設:1989年(平成元年)
  • 休館日:月曜日、第3日曜日、年末年始
  • 開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時半まで)
  • 観覧料:無料
  • 所在地: 中野区江古田四丁目3番4号
  • 交通:西武新宿線「沼袋」駅から徒歩10分江古田駅・練馬駅より路線バス「江古田二丁目」バス停下車 徒歩3分