弥生時代の東北水田稲作 ― 2024年03月25日 23:58
弥生時代の東北水田稲作(やよいじだいのとうほくすいでんいなさく)は弥生時代に日本の東北地方で水田稲作が行われた証拠である。
概要
弥生時代の日本の東北地方で水田稲作が行われていた証拠はいくつかある。長らく「東北地方北部に弥生時代はなかった」とされてきた。ところが1981年に青森県南津軽郡田舎館村で発見された垂柳遺跡により、東北地方北部にも弥生時代の稲作文化が存在していたことが証明された。水田には多数の足跡痕が残っている。遺物は土器・石器のほかに大量の炭化米や種子が出土している。垂柳遺跡の放射性炭素年代分析は、BC320年とBC470年を示していた。 垂柳遺跡以降にも砂沢遺跡、富沢遺跡など多くの弥生時代の水田遺構が発見されている。富沢遺跡では第30次調査で弥生時代の水田遺構が検出された。木製農具による水田経営の限界に近い高度な技術とされた。富沢遺跡では8B層から弥生時代の水田跡が見つかっている。富沢遺跡の農工具は、農耕具としての鋤2点(弥生時代中期1点、弥生時代中期末~5世紀中頃1点)と、鍬2点(弥生時代中期)及び、農具としての大足1点(平安時代)。工具としての斧柄1点(弥生時代中期)の6点があった。
砂沢遺跡
砂沢遺跡は弥生時代としては日本の最北、東日本最古級の水田跡6枚が見つかっている。水田跡は6面であるが、調査範囲を拡げると面積は増加すると推定されている。出土土器は砂沢式土器で、縄文時代晩期から弥生時代の標識土器とされている。-名称:砂沢遺跡
- 時期:弥生時代前期
- 所在地:青森県弘前市大字三和字下池神141
- 遺構:水田6、水路状溝8、溝2、土坑3、ピット213、埋設土器1
- 遺物:弥生土器、土製品、石器、石製品
- 展示:弘前市立博物館
- 発掘年:1984年(昭和59年)
- 報告:弘前市教育委員会(1991)『砂沢遺跡発掘調査報告書』弘前市教育委員会
- 交通:JR鶴泊駅から徒歩59分(4.3km)
富沢遺跡
- 名称:富沢遺跡
- 時期:弥生時代中期
- 土器に付着する炭化物の年代を測定した結果、約2200年前
- 所在地:仙台市太白区長町南三丁目6-1
- 遺構:畦畔・水路・水田面・杭列
- 遺物:木製農耕具、
- 展示:地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)
- 発掘年:1987年
- 報告:仙台市教育委員会(1984)『仙台市文化財調査報告書67:富沢水田遺跡』仙台市教育委員会
- 交通:長町南駅から徒歩5分
垂柳遺跡
- 名称:垂柳遺跡
- 時期:弥生時代中期
- 所在地:青森県南津軽郡田舎館村垂柳・高樋
- 遺構:水田656、畦畔、水路12、大畔4、足跡、埋設土器1
- 遺物:土器(田舎館式)、植物遺存体(コメ(炭化米)、種子)、炭化材、石鏃、石錐、石匙、 スクレイパー、剥片、石核、磨製石斧、石錘、磨敲凹石
- 展示:
- 発掘年:1981年
- 報告:青森県埋蔵文化財調査センター(1985)『青森県埋蔵文化財調査報告書88:垂柳遺跡発掘調査報告書』青森県教育委員会
- 交通:弘南鉄道弘南線田舎館駅より徒歩約10分
清水森西遺跡
- 名称:清水森西遺跡
- 時期:弥生時代中期初頭
- 所在地:青森県弘前市大字十面沢字清水森130-2
- 遺構:大型竪穴建物跡、土坑1基、遺物集中区1基、埋設土器1基
- 遺物:100粒以上の炭化米、土器、石器、玉、石鏃
- 展示:
- 発掘年:2023年
- 報告:
- 交通:
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