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井上古墳群 (行方市)2026年09月16日 00:05

井上古墳群 (行方市)(いのうえこふんぐん)は茨城県行方市(旧・行方郡玉造町)に所在する古墳時代の古墳群である。1号墳から9号墳がある。1号墳は「山の神古墳」ともいう。

概要

茨城県の霞ヶ浦北西岸地域の台地上に所在する古墳群である。井上古墳群は、当初7基が確認され、その後の調査資料では8号墳・9号墳も記載されている。近隣には中世の居館跡である井上長者館跡(井上長者曲輪)が所在する。 1号墳は直径約30mの円墳、2号墳から6号墳までは円墳、7号墳は形状不明、8号墳は全長45mの前方後円墳、9号墳は直径25mの円墳である(玉造町遺跡調査会(2002))。近隣には中世の居館跡とされる「井上長者館跡(井上長者曲輪)」が所在する。付近の上山地区大峰遺跡から旧石器時代の石核や柳葉尖頭器が出上している。

井上古墳群1号墳

1号墳は2001年(平成13年)7月24日~8月7日に、宅地拡張造成および土砂崩れの危険回避を目的として調査された。調査のきっかけは2001年(平成13年)6月5日に土地所有者から土砂崩れの恐れがあり、また将来的には住宅の増築を計画しているため、掘削する旨の埋蔵文化財の所在の有無及びその取り扱いについての照会が玉造町教育委員会へ提出されたことによる。 調査の結果、従来は前方後円墳と考えられていたが、今回の調査の結果、直径30mの円墳でと確認された。井上古墳群第1号墳は、墳丘は築造時の約4分の1程度が残存していた。家屋が存在するため、全面的な調査はできなかった。出土した土師器甕・坏は5世紀末~6世紀初頭の所産とみられ、古墳の築造時期も6世紀初頭と推定されている。周壕は周壕は、上幅約3~5m、底部幅約1~2m、深さ約10~70cmと推定された(玉造町遺跡調査会(2002))。 遺物は古墳封土中、表土層、南側削平部分、西側の盛土などから円筒埴輪、土師器、小型甕(3分の1が残存する)、土製丸玉や、水鳥を表現したとみられる土製品片と思われる土製品片等が出土した。

井上古墳群4号墳

井上古墳群の北部に位置する。円筒埴輪5個体分の破片列を検出した。埴輪はすべて墳頂部から裾部へ向って倒壊した状態であった。配列間隔は約50~60cmで均一である。箱式石棺は調査以前に古墳から除去されていた。第4号墳から直刀、鹿角刀、刀子、管玉ならびに人骨が発見された。鹿角刀は直刀形式であり残存部は全長36cmである。鹿角刀は、古墳時代(5-6世紀頃)に作られた、鹿の角(鹿角)を柄や鞘などのパーツに用いた刀剣類およびその装具である。直刀形式とは刀身に反りがなくまっすぐに伸びた直線的な形状が特徴の上古刀である。管玉は11個発見された。円筒埴輪は、約2分の1~3分の2程度が残存するもの4個体を復元できた。

住居跡

1号墳の調査では、墳丘下から弥生時代の住居跡4軒、古墳時代の住居跡1軒が確認された。 1号住居からは杯、甕が出土した。甕はほぼ完形で口縁部が薄く赤彩されている。1号住居跡は隅丸方形で、南北5m、東西5mであった。3号住居は辺約4.5mの隅丸方形であった。焼土が検出された。

井上古墳群の意義

井上古墳群は常陸国風土記の舞台となった地域に位置しており、7世紀頃の地域の歴史や在地首長層の動向を知る上で重要な遺跡と見られている。

考察

4号墳出土の人骨は獨協医科大学の馬場教授のグループによって分析され、埋葬されたのは「井上古墳群第4号墳ではやや若い若年層|ではないかとされた。埋葬された者は首長か首長の子どもにあたる人物であった可能性が指摘されている(玉造町教育委員会(1986))。埴輪は4号墳だけで出土した。

遺構

  • 円墳(墳丘・周堀)
  1. 住居跡(弥生から古墳時代)

遺物

  • 円筒埴輪
  • 鳥状土製品
  • 人物埴輪腕
  • 土師器
  • 弥生式土器 - 杯、甕
  • 直刀
  • 鹿角刀
  • 刀子
  • 管玉

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :井上古墳群
  • 所在地 :茨城県行方市井上2053-1ほか (1号墳)
  • 交 通 :

参考文献

  1. 玉造町遺跡調査会・玉造町教育委員会(2002)『井上古墳群第1号墳発掘調査報告書』玉造町教育委員会他
  2. 玉造町教育委員会(1986)『井上古墳群第4号墳発掘調査報告書』玉造町教育委員会

両宮山古墳2026年09月15日 00:39

両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)は岡山県赤磐市に所在する古墳時代の前方後円墳である。

概要

標高100~300mの丘陵に囲まれた盆地状の平野部の西端に位置し、本宮高倉山の南東麓の扇状地の斜面に築造された。両宮山古墳群の中心となる古墳である。岡山県では造山古墳、作山古墳に次ぐ岡山県内で第3位の規模である。「吉備の三大古墳」の一つに数えられる。前方部を南東方向に向ける。墳丘は3段築成である。墳丘の主軸を斜面の方向に合わせている。 墳丘長は206m、後円部径116m、前方部長さ90m、前方部幅145mである。高さは25mである。 前方部と後円部のくびれ部両側に円形の造出しがある。両宮山古墳に付随する古墳と考えられる和田茶臼山古墳が内濠の外側に位置する。 埋葬施設は未調査である。出土遺物には弥生土器、土師器、須恵器、瓦などがある。これらには古墳築造時のものだけでなく、周濠が後世に利用されたことに伴う遺物も含まれる。

二重周濠

墳丘の周囲には内濠、中堤、外濠がめぐり、二重の周濠をもつことが確認されている。現在、内濠はため池として利用されている一方、外濠は埋没して水田などとなっている。外濠は、後円部側で幅約13m、前方部側で約20mと推定される。二重の周濠は吉備では例が少ない。二重周濠は、墓域の拡大や墳墓の荘厳化、墓域の隔絶などの意義が指摘されており、畿内の大王墓を中心にみられる。

埴輪

発掘調査では堆積土から埴輪片が出土しているが、墳裾や内濠などの調査では埴輪列を確認できず、2005年の報告書は「葺石・埴輪は伴わない」と判断している。このため、出土した埴輪片が両宮山古墳の築造時に設置されたものかどうかは明確ではない(岡山県赤磐市教育委員会(2005))。 両宮山古墳と和田茶臼山古墳には葺石・埴輪が見られず、南側の正免東古墳と森山古墳には葺石・埴輪が認められるという特異な状況が指摘されている。宇垣匡雅は、葺石・埴輪の設置が古墳構築の最終段階になされたと考え、「なんらかの特殊な事情が発生して通常どおりの葬送儀礼が実施されなかった」可能性を指摘している。墳丘は三段築成とされるが、岸本直文は段築が完成形として整えられていない点を重視し、工事が中途で停止した可能性を指摘している(岸本直文(2012))。

調査

1924(大正13)年に梅原末治氏によって学会誌で報じられた。第1次調査は2002年(平成14年)1~3月に行われた。第2次調査は平成15年1月に着手し同3月に終了した。第3次調査は平成17年1月に着手し、平成17年3月に終了した。第4次調査は平成25年から27年度にわたる3か年の発掘調査が行われた。第5次調査は平成27年1月14日から3月13日まで行われた。第6次調査は2015年(平成27年)12月1日から2016年(平成28年)2月29日まで行われた。第5・6次調査の成果をまとめた報告書が2018年(平成30年)に刊行された。

見所

後円部を山側、前方部を平野側に配し、斜面を利用して築造されており、平野部を一望できる位置にある。周囲の平野部から目立つ位置にある。墳丘の周りには今も水を湛える濠が残り、大規模な古墳でありながら、築造時の葺石や埴輪が確認されていない点が注目される。

遺構

  • 前方後円墳
  • 二重周濠
  • 三段築成
  • 中堤
  • 円形造出し

遺物

  • 弥生土器(高坏・壺・甕)、土師器、須恵器、瓦など
  • 土師器、
  • 須恵器、

展示

指定

  • 1927年(昭和2年)4月8日 国の史跡指定。
  • 1978年(昭和53年)2月8日 追加指定
  • 2006年(平成18年)1月26日 追加指定

アクセス等 

  • 名称  :両宮山古墳
  • 所在地 :岡山県赤磐市穂崎・和田
  • 交 通 :

参考文献

  1. 岡山県赤磐市教育委員会(2005)『赤磐市文化財調査報告1:両宮山古墳』岡山県赤磐市教育委員会
  2. 岡山県赤磐市教育委員会(2018)『赤磐市文化財調査報告12:両宮山古墳』岡山県赤磐市教育委員会
  3. 岡山県赤磐市教育委員会(2026)『赤磐市文化財調査報告14:史跡両宮山古墳墳丘裾保存整備工事報告書』岡山県赤磐市教育委員会
  4. 岸本直文(2012)「墳丘と周濠」『古墳時代(下)』講座日本の考古学8 青木書店

仲ツ山古墳2026年09月14日 00:05

仲ツ山古墳(なかつやまこふん)は大阪府藤井寺市に所在する古墳時代の前方後円墳である。「仲津山古墳」「仲津山陵」ともいう。

概要

全長290m、後円部径170m、高さ26.2m、前方部幅193m、高さ23.3mの前方後円墳である。 宮内庁により、『日本書紀』などで応神の皇后とされる仲姫命の陵墓「仲姫命陵古墳」に治定されている。 仲ツ山古墳はユネスコ世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産となっている。

古市古墳群では規模が2番目、全国では9番目の規模の古墳である。円筒埴輪の特徴から4世紀末葉の築造と考えられている。墳丘は三段築成である。くびれ部の両側に、壇状の施設である造出しがもうけられる。幅の狭く深い周濠の外側に、基底部で幅約45-50mに及ぶ幅の広い堤がめぐる。発掘調査により、墳丘の外堤外法面(斜面)に葺石が葺かれていたことが明らかになっている。周堤部分は周囲の土地よりも相当に高い位置になっている。周堤は国史跡となっている。

年代観の変遷

かつては、宮内庁が応神天皇の皇后である仲姫命の陵(仲津山陵)に治定していることや、古市古墳群における大王墓の系譜などから、5世紀前半頃の築造と考えられていた。 一方、円筒埴輪の形式・特徴を重視する編年研究では、津堂城山古墳に続く4世紀末葉頃に位置づける見解がある。 そうすると宮内庁が応神陵に治定している誉田御廟山古墳よりも、埴輪編年では仲ツ山古墳の方が古く位置づけられるため、両古墳の伝承上の関係と考古学的年代観との間に齟齬が生じている。王権のほかの有力大王の墓とする議論が行われている。

調査

発掘調査では円筒埴輪と葺石が発見された。

遺構

  • 前方後円墳
  • 周濠
  • 周堤

遺物

  • 円筒埴輪列
  • 葺石
  • 形象埴輪

展示

指定

  • 2019年(令和元年)7月6日 世界文化遺産へ登録「百舌鳥・古市古墳群」
  • 2021年 周堤が国の史跡(「仲姫命陵古墳周堤」)に指定

アクセス等 

  • 名称  :仲ツ山古墳
  • 所在地 :大阪府藤井寺市沢田4丁目
  • 交 通 :近鉄南大阪線・土師ノ里駅から南西へ約300m

参考文献

  1. 宮内庁(2022)「仲姫命 仲津山稜駐車場整備に伴う立会調査」『書陵部紀要』第73号

井出丸山古墳2026年09月13日 00:05

井出丸山古墳(いでまるやまこふん)は静岡県沼津市井出に所在する古墳時代後期の円墳である。愛鷹山南麓の、井出古墳群と石川古墳群との間に広がる尾根の先端、標高約42mに位置する。墳丘は径10~15mで、横穴式石室をもつ。平成4年の発掘調査で、全長6m、幅1m、高さ1mの無袖式横穴式石室が確認された。石室からは須恵器、耳環、切子玉、管玉、ガラス玉、刀、鉄鏃などが出土した。築造年代は6世紀後半と推定されている。

概要

愛鷹山の南の井出古墳群と石川古墳群との間に広がる尾根の先端、標高約42mに所在する径10~15mの円墳である。茶畑の改良工事に伴って天井石が抜き取られた状態で発見された。

調査

平成4年の発掘調査で、一部墳丘が壊されていたものの、全長約6m、幅約1m、高さ約1mの無袖式横穴式石室が見つかった。石室の奥と手前の2か所に盗掘などによる掘り起こしの跡があり、一部の副葬品は失われていた。石室内からは、須恵器、耳環、切子玉、管玉、ガラス玉、刀、鉄鏃などが出土した。石室は開口している。 築造年代は6世紀後半とされている。被葬者は特定されていないが、副葬品などから、この地域の有力者の墓と考えられている。

遺構

  • 円墳
  • 無袖式横穴式石室

遺物

  • 須恵器、
  • 耳環、
  • 切子玉
  • 管玉
  • ガラス玉
  • 鉄鏃

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :井出丸山古墳
  • 所在地 :静岡県沼津市井出字堀込
  • 交 通 :富士急バス 西井出バス停 下車

参考文献

  1. 沼津市教育委員会(1994)『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』沼津市文化財調査報告書第55集

中原遺跡(佐賀県)2026年09月12日 00:05

中原遺跡(佐賀県)(なかばるいせき)は佐賀県唐津市原に所在する弥生時代前期から中期を中心とした複合遺跡である。松浦川右岸の旧砂丘上、標高約50mの台地上に立地し、周辺には弥生から古墳時代の墳墓群および集落遺構が広く分布する。本遺跡は、縄文時代から古墳時代に至る多様な文化層を有し、地域史の復元に重要な位置を占める。

2. 調査史

中原遺跡の調査は、近代以降断続的に行われてきた。主要な調査経過は以下の通りである。

  • ● 明治-昭和前期の発見例
    • 明治10年頃:大串三崎原にて石斧4点が田圃修復工事中に発見され、田中袈裟一が保管した。
    • 大正12年頃:上無津呂・長野峠の道路工事中に石斧が出土した。また、右近杏葉(大正時代末期に大分県などで活動した人物)が春日神社境内裏手で石鏃を採集した。
  • 昭和34年:春日神社裏の杉林にて松石恵市が黒曜石製石鏃を採集。
  • ● 1965年:第1次日仏合同調査
    • 九州大学・パリ大学による合同調査が実施され、甕棺6基が検出された。
    • 4・5号甕棺(弥生中期後半)から管玉・勾玉、7号甕棺(中期末)から鉄戈・小玉が出土し、棺外からも鉄戈1点が確認された。
  • ● 1985-1986年:唐津市教育委員会調査
    • 古墳時代前期の方形周溝墓および5世紀代の古墳が検出され、弥生から古墳期の墓制の連続性が明らかとなった。
  • ● 1995年:栗並遺跡調査(関連遺跡)
    • 縄文式土器片が出土し、周辺地域における縄文期の活動を示す資料として位置づけられる。
  • ● 2001-2005年:西九州自動車道建設に伴う大規模調査
    • 佐賀県教育委員会による本格的調査が行われ、以下の成果が得られた。
    • 弥生後期-古墳時代初頭の墳墓群(方墳・円墳・土壙墓・石棺墓など)
    • 多数の竪穴住居址
    • 鍛冶関連遺物・鉄滓の大量出土
    • 首長層墓3基から鏡・玉・剣の三種の副葬品が揃って出土(中国・朝鮮半島伝来品を含む)

これらにより、中原遺跡が弥生後期における地域的中心集落であった可能性が指摘される。

3. 遺構

調査により確認された主要遺構は以下の通りである。

  • 竪穴住居址:弥生後期から古墳初頭を中心に多数検出。
  • 墳墓群:甕棺墓・方形周溝墓・円墳・土壙墓・石棺墓など多様な墓制が併存。
  • 鍛冶関連遺構:鉄滓・鉄片・鍛冶具などが集中して出土し、鉄器生産活動の存在が示唆される。

4. 出土遺物(時代別整理)

  • ● 旧石器時代 細石核2点 → 周辺地域における細石刃文化期の活動を示す。
  • ● 縄文時代早期
    • 前平式・吉田式貝殻文系円筒形土器
    • 撚糸文系塞ノ神式土器 → 出土量は少ないが、早期の居住痕跡を示す。
  • ● 縄文時代中期末から後期
    • 本遺跡で最も豊富な縄文資料が確認される。
  • 土器:南福寺下層式類似、阿高式系、中津式類似、福田KⅡ式、縁帯文土器類似、彦崎KⅠ式、津雲A式、指宿式、倉園A式、一湊松山式、市来式など多様な型式が出土。
  • 石器:石斧・石錘・敲石・磨石・石皿・軽石製調整具など。
    • 特徴:瀬戸内系磨消縄文土器と南九州系土器が多量に出土し、広域的な交流を示す。石錘の多量出土から、漁労活動との密接な関係が推定される。
  • ● 弥生時代
    • 甕棺墓(弥生前期から中期)
    • 副葬品:管玉・勾玉・鉄戈・小玉 → 地域首長層の存在を示す。
  • ● 古墳時代前期 -5世紀
    • 方形周溝墓・古墳
  • 鉄器・鍛冶関連遺物→ 弥生後期からの社会階層化が継続した可能性がある。

5. 鉄器生産の様相

中原遺跡では、弥生後期を中心に鉄器生産に関連する資料が多数出土している。

  • 鉄滓(鍛冶副産物)の大量出土
  • 鉄片の再利用(矢尻などへの加工痕が認められる)
  • 鍛冶具の出土 → 遺跡内で鉄器の加工が行われていた可能性が高い。
  • また、首長墓からの鏡・剣・玉の出土は、広域的な交流ネットワークの存在を示し、鉄資源の流通に関与した可能性が指摘される。
    • ただし、「島原半島や熊本への鉄供給」などは、現状では推測の域を出ず、慎重な検討が必要である。

6. 遺跡の意義

中原遺跡は、以下の点で学術的価値が高い。

  • 縄文-古墳時代にわたる長期的な文化層の重複
  • 弥生中期の甕棺墓と首長層の副葬品
  • 弥生後期の鉄器生産活動の可能性
  • 瀬戸内・南九州との広域交流を示す土器群
  • 古墳時代初頭の墓制の多様性

これらは、唐津地域における社会構造・生産活動・交流圏の復元に不可欠な資料である

7.所在地

  • 名称:中原遺跡
  • 所在地:佐賀県唐津市原698-1

8. 参考文献

  1. 志布志町教育委員会 1985『中原遺跡』志布志町埋蔵文化財発掘調査報告書9
  2. 唐津市教育委員会 1987『中原遺跡』
  3. 佐賀県教育委員会(2001–2005)西九州自動車道建設に伴う発掘調査報告書(複数巻)

香坂山遺跡2026年09月11日 00:05

香坂山遺跡(こうさかやまいせき)は、長野県佐久市香坂に所在する、約3万6千~3万7千年前の後期旧石器時代初頭の遺跡である。八風山西南麓の標高約1,140mの尾根上に位置し、大型石刃・小石刃・尖頭形剥片など、ユーラシア大陸の初期後期旧石器時代の石器群と共通する組成をもつ石器群が確認されたことで知られる。

大型石刃製作跡のほか、製品キャッシュ、黒曜石キャッシュ、礫群、炭化物集中などが確認されており、日本列島における現生人類の拡散や後期旧石器時代初頭の生活・石器製作技術を考えるうえで重要な遺跡である。2025年(令和7年)9月18日に国史跡に指定された。

概要

長野・群馬県境に連なる八風山の西南麓、長野県佐久市香坂の標高約1,140mの尾根上に位置する。遺跡では①大型石刃・②小石刃・③尖頭形剥片がセットで発見されたことで知られる。旧石器人が狩猟や採取の途中でこの場所に立ち寄り、石器製作や生活に利用された場所であったと考えられる(文化庁(2026))。遺跡は約3万6千~3万7千年前(後期旧石器時代初頭)のものとみられる。

発見の経緯

日本道路公団による上信越自動車道の第2トンネルの立坑の地上部施設の建設事業に伴い、1997年(平成9年)、上信越自動車道八風山第2トンネルの換気塔建設に伴う(財)長野県埋蔵文化財センターによる発掘調査で発見された。大型石刃と石刃核が多量に出土し、日本列島最古段階の大型石刃製作跡が確認された。これにより、これまで知られていなかった石刃製作技術が明らかになりつつある。

調査

1997年長野県調査

長野県佐久市香坂の八風山南西麓で長野県埋蔵文化財センターによる初めての発掘調査が行われ、後期旧石器時代初頭の石器や石刃が発見された。

約3万5千年前の八ヶ岳新期第4テフラより下位の地層から石器が出土した。石器390点、礫28点という小規模な石器群である。放射性炭素年代値によれば約3万7千年前となる大型石刃製作跡であった。隣接して大型石刃と定義的な斜軸尖頭器である尖頭形剥片がまとめて保管されたとみられる製品キャッシュ(埋納・備蓄遺構)を検出した。北八ヶ岳の蓼科冷山産黒曜石の石核と分割礫、剥片からなる黒曜石キャッシュも検出した。

2020~2021年奈良文化財研究所等による学術調査

奈良文化財研究所などによる本格的な学術調査が行われた。 国武貞克・奈良文化財研究所主任研究員をリーダーとする研究グループは2020年8月初めから再調査し、精度の高い年代測定を得るために再発掘した。2020・2021年の学術調査で多数の石器が出土し、その中で注目されるのが、長さ10センチを超える大型の石刃と、長さ3~4センチほどの小石刃と尖頭器である。「大型石刃・小石刃・尖頭形剥片」の組み合わせは、ユーラシア大陸の初期後期旧石器時代の石器群にみられる組成と共通しており、現生人類の東方への拡散との関連が注目されている(国武貞克(2021))。

較正年代の中央値はE区で36,846 cal BP、KS区で36,410 cal BPとなり、約3万6千~3万7千年前の年代が得られている。放射性炭素年代測定では、較正年代で約36,800年前の年代が得られている。

2022年佐久市教育委員会調査

2022年から佐久市教育委員会による遺跡の範囲確認調査が実施された。直接調査することが難しい地点ではボーリング調査も行われ、香坂山遺跡の範囲が確認された。国史跡の指定面積は2,958.31㎡である(文化庁国指定文化財データベース、佐久市教育委員会(2025))。

意義

香坂山遺跡からユーラシア大陸の初期後期旧石器時代の石器群と共通する石器組成が確認されたことから、香坂山遺跡からユーラシア大陸の初期後期旧石器時代の石器群と共通する石器組成が確認されたことから、日本列島の石刃石器群が大陸から人類の移動に伴って伝来した可能性や、現生人類の日本列島への拡散経路を考えるうえで重要な資料となっている。 ユーラシア大陸各地の初期後期旧石器時代の石器群には、地中海東部から中央アジア、南シベリア、中国北西部など東方へ広がる分布がみられ、香坂山遺跡の石器群との技術的な関係が注目されている(文化庁(2026)。

また、刃部磨製石斧が2点出土している。大型石刃などの石器群がユーラシア大陸の初期後期旧石器時代と共通する一方、刃部磨製石斧は当時のユーラシア大陸には類例が乏しく、日本列島の旧石器文化の特徴を考えるうえでも注目される。 また、大型石刃製作跡だけでなく、礫群、炭化物集中、製品キャッシュ、黒曜石キャッシュなどが確認されており、約3万6千~3万7千年前の現生人類が石器を製作しただけでなく、生活の場として利用された実態を考えることができる。

遺構

  • 大型石刃製作跡
  • 製品キャッシュ
  • 黒曜石キャッシュ
  • 礫群
  • 炭化物集中

遺物

  • 大型石刃
  • 小石刃
  • 尖頭形剥片(斜軸尖頭形石器)
  • 石刃核
  • 刃部磨製石斧
  • 基部加工尖頭形石器
  • 礫器
  • 叩石・台石・砥石

時期

  • 後期旧石器時代初頭

指定

  • 令和7年9月18日 国指定史跡
  • 令和7年12月 佐久市が史跡の管理団体に指定。

展示

  • 佐久市文化財事務所考古遺物展示室などで展示実績あり。

アクセス

  • 名称:香坂山遺跡
  • 所在地:長野県佐久市香坂
  • ※遺跡は山中に所在し、現地見学については佐久市等の案内を確認する必要がある。

参考文献

  1. 長野県埋蔵文化財センター(2001)『長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書56』 上信越自動車道埋蔵文化財発掘調査報告書29
  2. 国武貞克(2021)「日本列島最古の石刃石器群の発見」『古代文化』第83巻第3号
  3. 国武貞克(2022)「佐久市香坂山遺跡の発掘調査の成果と課題」、シンポジウム『検証:サピエンス日本列島への道』
  4. 佐久市教育委員会(2025)『佐久市埋蔵文化財調査報告書第311集:香坂山遺跡総括報告書』佐久市教育委員会
  5. 文化庁(2026)『発掘された日本列島』共同通信社

上官塚遺跡2026年09月09日 00:05

上官塚遺跡(じょうかんづかいせき)は熊本県嘉島町にある古墳時代の遺跡である。

概要

熊本県の中央部にあり、北を加勢川、南を緑川に囲まれる。縄文時代後期から平安時代前期にかけて、弥生時代の甕棺墓群、古墳、集落が検出された。弥生時代の甕棺墓群や5世紀前半に築造されたと考えられる古墳(SZ09)が確認されている。 出土品は出土品は嘉島町文化財センターおよび嘉島町上島収蔵庫に保管されている。

古墳

古墳は30基以上が確認されており、上官塚古墳群と名称がついている。すべて円墳であった。5世紀前半に築造されたと考えられるSZ09の周溝から、家形埴輪、囲形埴輪、円筒埴輪、壺形埴輪、朝顔形埴輪などが出土した。 古墳は横穴式石室と箱式石棺とがある。規模は径10mから30mを超えるものも。埴輪が出土している古墳がある。円筒埴輪は突帯が2条あり、間に円または逆三角の透かし穴がある。朝顔型埴輪は壺形埴輪と円筒埴輪を一体にしたものである。SZ09は周溝から出土した埴輪などから5世紀前半に築造されたと考えられている。

家形埴輪

家形埴輪は入母屋造りで家の壁に線刻の円文がある。円文の上には2本一組の縦方向の線刻があり、円文を2本の紐で吊り下げたようにもみえる。円文は、入口と窓を表現した正面側にのみ施されている。入口と窓は正面のみであるが、両者は同じようなサイズである。 囲形埴輪にも家形埴輪と同様の円文が施されているが、円文は入口を表現した正面側に限られる。円文の中心には、コンパスを用いたとみられる中心孔がある。家形埴輪は縦32.4cm、横43.2cm、高さ32.8cmである。家形埴輪と囲形埴輪が出土し、九州では両者が組み合わせて出土した例として2例目となる。家形埴輪と囲形埴輪は「発掘された日本列島2025」で紹介・展示された。

調査

遺構

弥生時代

  • 甕棺
  • 土壙墓

古墳時代

  • 古墳
  • 土壙墓
  • 木棺墓

遺物

縄文時代

  • 縄文土器(後~晩期)
  • 石器(石鏃、剥片など)

弥生時代

  • 弥生土器(中期~後期)
  • 石器(石斧、石鏃など)

古墳時代

  • 土師器・
  • 須恵器(中期)
  • 鉄器(刀子など)

展示

指定

アクセス等 

  • 名称  :上官塚遺跡
  • 所在地 :熊本県上益城郡嘉島町上島545
  • 交 通 :

参考文献

  1. 嘉島町教育委員会(2024)『上官塚古墳群 ; 上官塚遺跡』
  2. 嘉島町教育委員会(2024)『上官塚遺跡2(第54~57区)』