長浜市文化財保護センター ― 2026年05月28日 00:05
長浜市文化財保護センター(ながはましぶんかざいほごせんたー)は、滋賀県長浜市に所在する、長浜市内の埋蔵文化財の調査・保存・管理を行う施設である。市内の遺跡から出土した土器・石器・木製品などの考古資料を収蔵・管理している。
概要
長浜市内では縄文時代から江戸時代に至るまでの埋蔵文化財包蔵地(遺跡)が約800か所確認されている。周知の埋蔵文化財包蔵地内で土木工事など土地の掘削を伴う開発行為を行う場合には、文化財保護法第93条に基づき、工事着手の60日前までに届出を行う必要がある。長浜市文化財保護センターは長浜市教育委員会が所管する。一般展示施設ではなく、主に調査・保管業務を担う施設である。
長浜市文化財保護センターでは、開発事業に伴う試掘・確認調査や発掘調査を実施し、遺跡の記録保存を行っている。また、出土遺物の洗浄・接合・復元・分類作業を行い、考古資料の整理・収蔵・管理を担っている。調査成果を発掘調査報告書として刊行・配布業務を行う。
長浜市内の遺跡や出土文化財に関する問い合わせ、出土資料の閲覧・利用相談などの窓口にもなっている。閲覧は事前に問い合わせが必要な場合がある。
市内の著名遺跡との関係
長浜市は戦国時代には群雄割拠の地であり、浅井氏の居城である国史跡「小谷城跡」をはじめ、国指定史跡「下坂氏館跡」、横山城跡など数多くの中世城館跡が分布している。長浜市文化財保護センターはこれらの指定史跡における定期的な確認調査や、土木工事に伴う開発規制の窓口として機能する。
川崎遺跡
長浜市の「川崎遺跡(長浜市川崎町)」は、縄文時代中期から奈良・中世にかけての複合遺跡である。出土した木製品や弥生土器などの貴重な考古資料は、長浜市文化財保護センター(同市東上坂町)で保管・管理されている。
物部遺跡
長浜市高月町にある物部遺跡は、弥生時代から古墳時代を中心とする大規模集落跡である。この遺跡に関する詳細な発掘調査報告書の閲覧や、出土品に関する問い合わせは、長浜市文化財保護センターで対応する。物部遺跡は、高月町周辺の古代の社会構造や、当時の人々の生活様式を解明する上で極めて重要な遺跡とされている。
アクセス等
- 名称:長浜市文化財保護センター
- 所在地:滋賀県長浜市東上坂町981
- 交通:JR「長浜駅」より近江鉄道バス(湖国バス)に乗車、「北郷里まちづくりセンター」バス停で下車、徒歩すぐ
参考文献
小野王塚古墳 ― 2026年05月27日 00:29
小野王塚古墳(おのおうづかこふん)は、兵庫県小野市に所在する円墳である。
概要
加古川中流域左岸の河岸段丘上にある古墳である。直径50m、高さ8mの円墳であり、埴輪や葺石が検出され、周囲に幅約8m、深さ約1mの浅い周堀が巡る。かって前方後円墳説や帆立貝形古墳説があったが、現在は円墳と考えられている。 1952年(昭和27年)に兵庫県教育委員会による発掘調査が実施された。主体部は、竪穴式石室であり、内法長4.8m、幅約1.0m、高さ0.8m、割石積みの竪穴式石室で、天井石には8枚の石材を使用する。副葬品は倭製六獣鏡1面、眉庇付冑1領、鉄板鋲留短甲1領、革綴短甲1領、肩甲1領、鉄刀3本、刀子2本、鉄鏃101点以上(破片を含む)、碧玉製三輪玉5個、鉄槍2本、鉄鉾1本など、豊富な武器・武具が出土した。武人的性格の強い副葬品構成である。 倭製六獣鏡は直径約17cmで、裏面に6つの乳(突起)と6体の獣像が配置される。眉庇付冑は、優美な透かしのある庇と突出した伏鉢が特徴である。鉄刀は刀身がほぼまっすぐの直刀である。 武器・武具副葬の豊富さに特徴があり、兵庫県内有数の甲冑が出土した古墳となっている。 小野王塚古墳は古墳時代中期(5世紀中葉)の築造であり、加古川流域における中期古墳の代表例となる。被葬者は加古川流域の有力首長層と考えられる。
遺物
指定
- 平成4年3月24日 兵庫県指定史跡
展示
- 小野市立好古館
アクセス等
- 名称 :小野王塚古墳
- 所在地 :兵庫県小野市王子町
- 交 通 :神戸電鉄粟生線 小野駅から徒歩で20分
参考文献
- 藤沢長治(1952)「兵庫県加東郡王塚古墳」日本考古学年報5
鴨稲荷山古墳 ― 2026年05月26日 21:30
鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん)は、滋賀県高島市鴨に所在する古墳時代後期の前方後円墳である。「稲荷山古墳」とも言われる。
概要
滋賀県の西部を流れる一級河川の鴨川右岸の平野部に立地し、湖西地方の平野部に立地する前方後円墳である。明治時代の県道の拡幅工事(土砂採取)により墳丘の大部分が削平されている。全長45m・後円部の直径25m・高さ5mと推定されている。円筒埴輪は川西編年のⅤ期に相当する。 1930年(昭和5年)の耕地整理工事の際に横穴式石室と家形石棺が発見され、横穴式石室と家形石棺が発見された。発見当時は、長さ9m、幅・高さともに1.8mの石室があり、墳丘は大きく削平されていたが、盗掘は免れていた。副葬品として国内で数少ない金銅製冠・沓・魚佩・金製垂飾付耳飾、金製耳輪、水晶製切子玉、金銅製鞍飾、銅鈴、玉類、環頭大刀、六角装太刀、刀子、鉄斧、須恵器などが出土した。墳丘の周りに周濠がめぐるとみられるが明確ではない。
刳抜き式家形石棺
刳抜き式家形石棺は長さ2.3m、幅1.17m、高さ0.83mである。巨大な縄掛け突起がつく。家形石棺の素材は二上山産の石灰岩である。石棺は現地で保存され、覆屋で保護されている。石棺の外面にベンガラ、石棺の内面に朱が塗られていた。
副葬品の評価
石棺内部から内行花文鏡、金製耳輪、垂下飾、金銅製冠、金銅製沓、金銅製雙魚形珮飾、銀製金具、金銅製三輪玉形飾具、金銅製半円形小飾具、金銅製半筒形飾具、雑金具5、水晶製切子玉、玉髄製切子玉、琥珀製棗玉、鹿角製柄頭付大刀、金銅製拵双竜文環頭大刀1、鹿角製柄短刀、短刀、鉄製石突、斧2、鹿角製柄刀子が出土した。 石棺外石室から金銅製鞍飾具、鉄製輪鐙、銅鈴、鉄地金銅張馬具(飾板付轡・杏葉・雲珠)、鉄製小環、鉸具、須恵器が出土した。 副葬品では金属製品が注目されている。金銅製冠は両側頭部が山のように盛り上がる形状で、同じスタイルは人物埴輪にも見られる。金銅製沓には足裏にまで装飾が施されており、実用品ではなく儀礼用と考えられている。これらは朝鮮半島南部の伽耶諸国の影響を受けた副葬品とみられている。出土品の一部は国宝に指定されている。
鴨稲荷山古墳の位置付け
古墳の築造年代は須恵器の形式から6世紀とみられている。鴨稲荷山古墳は継体大王を支えた三尾氏一族の首長墓とする説がある。湖西地域は継体天皇の勢力基盤と関係する地域である。
遺物
- 内行花文鏡1
- 金製耳輪
- 垂下飾1対
- 金銅製冠1
- 金銅製沓1足
- 金銅製雙魚形珮飾2
- 銀製金具1・
- 金銅製三輪玉形飾具7
- 金銅製半円形小飾具6
- 金銅製半筒形飾具
- 雑金具5
- 水晶製切子玉
- 玉髄製切子玉
- 琥珀製棗玉
- 鹿角製柄頭付大刀2
- 金銅製拵双竜文環頭大刀1
- 鹿角製柄短刀1
- 短刀1
- 鉄製石突2
- 斧2・
- 鹿角製柄刀子8
- 金銅製鞍飾具
- 鉄製輪鐙
- 銅鈴
- 鉄地金銅張馬具(飾板付轡・杏葉・雲珠)
- 鉄製小環
- 鉸具4
- 須恵器
指定
- 福井県県指定文化財
展示
- 高島歴史民俗資料館 - 金製耳飾・金銅製の冠・沓などの副葬品(復元品)
- 東京国立博物館
- 京都大学総合博物館
- 滋賀県立安土城考古博物館 復元品を展示
アクセス等
- 名称 :鴨稲荷山古墳
- 所在地 :滋賀県高島市鴨
- 交 通 :JR安曇川駅から徒歩約20分
参考文献
- 浜田耕作・梅原末治(1923)『近江国高島郡水尾村の古境』京都大学考古学報告8
虺龍文鏡 ― 2026年05月26日 00:33
虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)は「虺龍文」を表した中国古代の銅鏡である。
概要
「虺(き)」は中国古代で小蛇・毒蛇・若い龍などを意味し、「虺龍」は角を持たない蛇状の龍を指す。主に中国戦国時代末から前漢時代にかけて製作され、日本でも弥生時代から古墳時代の遺跡・古墳から出土している。
虺龍文鏡は、細線による精緻な文様表現を特徴とする。中央の鈕(ちゅう)の周囲には4個の乳(にゅう)を配置し、その間に逆S字状の文様を配する形式が一般的である。日本では「四虺鏡(しききょう)」とも呼ばれる。国内では約40面前後が知られている。
逆S字状文様については、龍や虎などの動物文様を図案化したものとする説がある一方、岡村秀典(日本の考古学者、京都大学名誉教授)は雲文である可能性を指摘している。また、岡村による漢鏡編年研究は、漢代銅鏡の文様・形態変化を体系化した研究として広く参照されている。
富雄丸山古墳出土の虺龍文鏡は、直径19cm・重量844gの大型鏡である。鈕孔は半円形で、鈕座には四葉文が施され、内区には4個の乳を持つ。富雄丸山古墳は4世紀後半頃の築造とされ、鏡の製作時期である前漢代とは数百年の年代差があり、長期間にわたり伝世した可能性が指摘されている。
現在知られている国内最大級の虺龍文鏡として、明治大学博物館所蔵のA-78鏡(径21.0cm、重量1133g)がある。鈕座には12個の連珠文がめぐり、乳は四葉座を伴う。逆S字文様の上部には龍、下部には鳥文が表現されているとされる。
弥生時代の出土例としては、佐賀県の三津永田遺跡出土鏡が知られる。径9.2cmで、鏡面がやや湾曲する特徴を持つ。また、平原遺跡17号鏡の?龍文鏡は直径約16.5cmで、国宝に指定されている。
出土例
- 虺龍文鏡 - 三津永田遺跡、佐賀県神埼市、弥生時代
- 虺龍文鏡 - 椒古墳、和歌山県有田市、古墳時代、東京国立博物館
- 虺龍文鏡 - 富雄丸山古墳、奈良市、4世紀
- 虺龍文鏡 - 出土地不明、明治大学博物館A-78
- 虺龍文鏡 - 平原王墓、佐賀県、弥生時代
参考文献
- 岡村秀則(1984)「前漢鏡の編年と様式」『史林』第67巻第5号,pp66-772,史学研究会
- 岡村秀則(1993)「後漢鏡の様式」『国立歴史民俗博物館研究報告』第55集,pp.39-83
- 岡村秀則(1999)『三角縁神獣鏡の時代』吉川弘文館
- 岡村秀典(2005)「雲気禽獣紋鏡の研究」『考古論集―川越哲志先生退官記念論文集』,pp.815-830,川越哲志先生退官記念事業会
- 岡村秀則(2017)『鏡が語る古代史』岩波書店
沖出古墳 ― 2026年05月25日 00:02
沖出古墳(おきでこふん)は、福岡県嘉麻市漆生の丘陵上に所在する古墳時代中期初頭の前方後円墳である。地元では「瓢箪塚」、「瓢塚」と呼ばれていた。
概要
全長約69.5m、後円部径42.4mを測る前方後円墳である。前方部は2段、後円部は3段で築成されている。墳丘全面に川原石による葺石が敷かれていた。墳頂には多数の円筒埴輪、朝顔形埴輪、壺形埴輪が垣根状に配置されていた。後円部中央や前方部先端には複数の家形埴輪が配置されていた。北側前方部には、船などの線刻画を施した埴輪が配置されていた。船の線刻画は他界観念を示すものと考えられている。「船」の絵が線刻された埴輪は九州では西都原古墳群 第170号墳と合わせて2例ある。 南側には北側に比べて大きめ埴輪を配列し、南側くびれ部の基壇上にも円筒埴輪と朝顔形埴輪を複数立て並べていた。 後円部には埋葬施設として竪穴式石室が1基築かれ、主体部には竪穴式石室内に割竹形石棺が据えられていた。埋葬施設は、何度も盗掘を受けており、副葬品の大半は残っていなかった。犬木努は壺形埴輪の配置の「在地的」要素と、定型的な円筒埴輪の樹立という「畿内的」要素が混在する様相を指摘している(嘉麻市教育委員会(2020))。
発掘調査
発掘調査では、鉄刀1本が石棺外から出土した。石室内に流れ込んだ土砂の中から、玉、腕輪形石製品、鉄器の破片が出土しており、副葬品の一部とみられる。 出土品の石製腕飾類は、出土した石製腕飾(古墳時代前期の古墳に副葬された、碧玉や滑石で作られた腕輪形の祭祀具・装身具)類は、鍬形石・車輪石・石釧の3種が揃う点で注目されており、九州地方では唯一の例とされる。農工具形鉄器として刀子1点、鉄斧1点、鉇1点が確認されている。管玉は6点出土しており、そのうち5点は大型品である。石材には北陸産の緑色凝灰岩が用いられている。
墳丘上からは、小型丸底土器・二重口縁壺・高杯など、葬送儀礼に用いられたと考えられる土器が出土している。これらの土器や埴輪の特徴から、古墳は古墳時代中期初頭から前葉頃の築造と考えられている。管玉や腕輪形石製品、副葬された二重口縁壺などには古い要素も認められる。管玉・腕輪形石製品の副葬や二重口縁壺の供献など古い要素もあるが、全体としては古墳時代中期初頭から前葉にかけて造られた古墳と評価できる。 沖出古墳の後円部の竪穴式石室に納められた割竹形石棺から、九州では珍しい3種(鍬形石・車輪石・石釧)のセットとなる腕輪形石製品が出土している。3セツト揃う遺跡は沖出古墳と沖ノ島のみとされている(嘉麻市教育委員会(2020))。
沖出古墳の位置付け
3種の腕輪形石製はこれは畿内のヤマト政権の有力者しか身につけられない権力の象徴であり、被葬者が王権と極めて親密な同盟関係にあったことを示している。
沖出古墳が遠賀川の上流域である嘉穂盆地(嘉麻市)の最奥部であり、沖積平野を見下ろす丘陵先端に築かれていることは遠賀川を通じた物流・水上交通の管理・統制を行うための立地であることを強く示唆する。遠賀川流域には、弥生時代の「立岩遺跡(飯塚市)」など、大陸やヤマト王権との交易を背景とした強大な勢力が古くから存在していた。沖出古墳は、そうした古墳時代の地域首長(豪族)はヤマト王権の権威(前方後円墳の形式や副葬品)を取り入れることにより、自らの支配の正当性を示した。さらに「船」の絵が線刻された埴輪(船形線刻埴輪)が出土していることは、遠賀川流域の勢力が海や川の航行、すなわち海上・河川交易(水運)を重要な基盤としていたことを物語る。
遺物
- 鉄刀
- 管玉
- 腕輪形石製品
- 二重口縁壺
- 腕輪形石製品
指定
- 平成9年7月25日 福岡県指定史跡
展示
- 碓井郷土館(嘉麻市)
アクセス等
- 名称 :沖出古墳
- 所在地 :福岡県嘉麻市漆生78番地1
- 交 通 :JR福北ゆたか線「新飯塚駅」周辺(菰田駅通りバス停など)から、西鉄バス12番系統(西鉄大隈ゆき)に乗車、西鉄バス「沖出」バス停から徒歩約5分(約430m)
参考文献
- 嘉麻市教育委員会(2020)『徹底解剖 沖出古墳とその被葬者像』シンポジウム資料
- 嘉麻市教育委員会(2015)『沖出古墳のひみつ』嘉麻の遺跡ブックレットVol.1
若狭町歴史文化館 ― 2026年05月24日 00:10
若狭町歴史文化館(わかさまちれきしぶんかかん)は、福井県三方上中郡若狭町に所在する若狭町の歴史・文化を学べる資料館である。
概要
若狭町歴史文化館は2007年(平成19年)10月開館され、若狭町内の古墳から出土した埴輪、古墳出土資料など約170点を常設展示する。古墳時代の若狭と朝鮮半島とのつながりや古代に朝廷へ食材を供給した『御食国』若狭の古墳文化に重点を置く。若狭町歴史文化館では「歴史文化館サポーター」が運営を支えている。
若狭町には松尾谷古墳、藤井岡古墳、城山古墳、太谷古墳、西塚古墳(国指定史跡)など16基を超える古墳が作られている。特に脇袋古墳群では多数の古墳が集中して築造されている。
若狭町歴史文化館の展示品は向山1号墳出土の朝顔形埴輪、勾玉・管玉の頸飾り、繖形埴輪、金製垂飾付耳飾、十善の森古墳出土の鉄地金銅張剣菱形鈴付杏葉、鉄地金銅張双龍鈴付鏡板、玉一連(丸玉、棗玉、とんぼ玉)、小玉、金銅製冠・履片(冠や靴の金具)、冠帽復元品、丸山塚古墳出土の横挽板鋲留衝角付冑、金銅製双龍付環頭、鉄刀、鉄鏃、西塚古墳出土の朝顔形埴輪などがある。
馬具、金銅製品、冠帽などは渡来系文化との関係を示している。
アクセス等
- 名称:若狭町歴史文化館
- 所在地:福井県三方上中郡若狭町市場20-17
- 休館日: 毎週火曜日(国民の祝日等の場合はその翌日) /年末年始
- 開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
- 入館料:無料
- 交通: JR小浜線「上中駅」から徒歩約3分
参考文献
- 若狭町歴史文化館 パンフレット
中江藤樹・たかしまミュージアム ― 2026年05月23日 00:43
中江藤樹・たかしまミュージアム(なかえとうじゅ・たかしまみゅーじあむ)は、滋賀県高島市に所在する同市の歴史・文化の総合博物館である。
概要
江戸時代初期の儒学者・中江藤樹の教えや遺品、市内の遺跡から出土した貴重な考古資料を展示する。高島市には、合併前の旧町村時代に建てられた4つの歴史系展示施設(高島歴史民俗資料館、朽木資料館、マキノ資料館、近江聖人中江藤樹記念館)があった。これらを集約・統廃合するため、従来の近江聖人中江藤樹記念館を大規模に改修し、2025年(令和7年)6月1日に「中江藤樹・たかしまミュージアム」としてリニューアルオープンした(なお、旧マキノ資料館は収蔵庫へと改修された)。
考古資料では、古墳時代後期の継体大王と関係のある鴨稲荷山古墳から出土した家形石棺の実寸大模型や金製垂飾付耳飾(復元品)、金銅製宝冠(復元品)・沓、三葉文楕円形杏葉(馬の飾金具)、二子塚古墳出土三葉環頭大刀などの副葬品を展示する。さらに、継体天皇の父・彦主人王(ひこうしのおう)が眠るとされる田中王塚古墳の南に位置する田中36号墳出土の馬具・土器や円筒埴輪、南市東遺跡の甑(こしき)、石鏃など、高島市内の遺跡から出土した豊富な遺物を紹介している。
アクセス等
- 名称:中江藤樹・たかしまミュージアム
- 所在地:高島市安曇川町上小川69番地
- 休館日: 月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
- 開館時間:9:00~16:30
- 入館料: 一般(高校生以上)300円
- 交通: JR湖西線「安曇川駅」より徒歩18分
参考文献
- 中江藤樹・たかしまミュージアム パンフレット

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