各和金塚古墳 ― 2026年05月21日 23:04
各和金塚古墳(かくわかなづかこふん)は、静岡県掛川市に所在する古墳時代中期の前方後円墳である。
概要
原野谷川右岸の舌状丘陵に立地する前方後円墳である。標高58mの舌状丘陵上に築かれ、後円部は2段築成である。前方部は短小かつ低平で、遺存状況が悪いため明瞭ではない。 和田岡古墳群(国指定史跡)に属する古墳である。全長66.4m、後円部径51.2m、高さ6.5m、前方部幅20.5m、前方部長さ15.2m、前方部高さ4.0m、後円部と前方部の比高差(後前高差)は-2.5mである。墳丘の一部は地山を切り出しているが、他は盛土である。 後円部に対し前方部が短い。墳丘斜面全体に葺石がある。後円部墳頂と中段、前方部墳頂には円筒埴輪列が巡る。1974年に盗掘を受け、大量の鉄製品が散乱した状態で出土した。1977年、前方部に建設されている送電鉄塔の建て替え工事に伴い、発掘調査が行われ、円筒埴輪棺が出土した。 1980年、墳丘測量及び主体部の発掘調査を実施した。葺石、円筒埴輪列、後円部頂のほぼ中央に円礫積みの竪穴式石室を検出した。盗掘による破損があるが、長さは4.75m、幅は約0.85m、深さは約0.6mである。床面はほぼ水平である。 1974年の盗掘時に散乱状態で確認された遺物を含めると、副葬品には鉄剣25・鉄刀10・鉄矛2・鉄鏃83などの武器類、刀子7・鉄鎌2・鉄斧4・ヤリガンナ1などの工具類、革綴短甲片・衝角付冑などの武具、石製模造品、碧玉製勾玉2などがある。 出土品は掛川市教育委員会が保管している。出土遺物から古墳時代中期の築造と推測される。豊富な武器・武具類を副葬することから、原野谷川流域を治めた有力首長の墓と考えられる。
遺物
指定
- 1996年3月29日 国指定史跡:和田岡古墳群
展示
アクセス等
- 名称 :各和金塚古墳
- 所在地 :
- 交 通 :
参考文献
- 岩井克充(1978)『各和金塚発掘調査報告』中部電力
- 平野吾郎・渡辺康弘(1981)『各和金塚古墳測量調査報告書』掛川市教育委員会
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