纒向石塚古墳 ― 2024年10月21日 21:30
纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)は奈良県桜井市にある前方後円墳発生期の古墳である。
概要
纏向遺跡は桜井市北西部の標高60mから90mの扇状地に位置する。遺跡の規模は現時点で東西2km、南北1.5kmである。太田北微高地の中央西より、標高89mの扇状地に位置する。 付近には3世紀勝山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳ならがある。 日本列島内で最古の古墳として、注目された。東西方向に張り出し部がある。 第3次調査で前方後円墳として確認された。第4次調査で墳丘は全長93m、後円部は偏楕円形の最大径64mである。前方部は長さ32m、くびれ部幅15mから16mである。 墳頂部は太平洋戦争末期に削平され、そこに高射砲か対空機銃の砲台の基礎部分の跡が検出された。その際、埋葬施設の検出や遺物の出土がなかったとされる。出土した弧紋円盤は吉備系の祭祀用遺物である。纏向形前方後円墳として、矢塚古墳、ホケノヤマ古墳と並び重要な位置にある。
調査
1971年の発掘調査で周濠から出土した多くの遺物の年代観から、3世紀初頭の築造とされ、最古の古墳として当時注目を浴びた。周濠より弥生時代後期最終末期から古墳時代初頭の土器が出土し、古墳時代前期初頭の築造と考えられる。
特徴
円部は円形ではなく、不整形円形であり、くびれ部が細く、前方部の発達度が低いこと、区画溝的な全面周濠など箸墓古墳などの前方後円墳が定型化する以前の古墳である。 後円部径:前方部長の比率が3:2:1の比率を有しているのが特徴である。後前方部は大きく三味線の撥形に開く。最下層の黒粘2から「纏向Ⅰ式」を想定する土器群が出土した。
年輪年代分析
第4次調査で出土した木製品の板材の年輪年代分析が行われた。周濠内から杭、柱、農具、組物、削屑などが出土した。その中から板材長さ30cm、幅60cm、厚さ2cmを選定した。 材種はヒノキで、辺材である。ヒノキの暦年標準パターンと照合した結果、試料の年代は177年と判明した。平均的な辺材幅は3cmである。すると外側に1cmあったと想定できる。年輪層は36層。年輪幅は0.58mmであるから、18年輪が形成される。195年となる。西暦200年頃に伐採されたものと考えられる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 93m
- 後円部 径62m
- 前方部 幅30m 長30m
外表施設
- 葺石 あり
遺構
- 【周濠】あり(幅19~24m、最大38m)
遺物
- 鳥形木製品・
- 鋤・
- 弧文円板
- 杖状木製品・
- 柱(以上木製品)、
- 纏向Ⅰ~Ⅲ式併行の土器群。
築造時期
- 3世紀前半から後半
- 石槍 – サヌカイト製
考察
AD200年頃の木製品が出土していることは、「倭国乱」の頃に纒向石塚古墳が作られていることになる。伐採年と古墳築造時期が異なるとしても、AD200年代前半は動かないであろう。最も古い土器は纏向Ⅰ式であり、AD200と矛盾しない。纏向遺跡がAD200年頃にあった証拠となる。
指定
アクセス等
- 名称:纒向石塚古墳
- 所在地:奈良県桜井市太田字石塚
- 交通:JR巻向駅から徒歩15分
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
- 桜井市教育委員会(2021)『纒向石塚古墳 発掘調査報告書 第38集』
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