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法隆寺2023年09月10日 22:05

法隆寺(ほうりゅうじ,Horyuji Temple)は南都七大寺のひとつで、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院である。宗派は聖徳宗である。建物は現存する世界最古の木造建築群と言われる。本尊は釈迦如来である。法隆寺地域の仏教建造物は1993年に世界遺産として登録された。法隆寺には「斑鳩寺」・「鵤寺」・「鵤大寺」・「鵤僧寺」・「伊我留我寺」・「伊我留我本寺」・「伊河留大寺」などの異称がある。

概要

日本書紀』には606年(推古14年)条に「斑鳩寺」の名が現れる。用明天皇のため聖徳太子は寺の造立を発願し、607年(推古15年)ころに完成したと考えられている。670年(天智9年)条に「法隆寺」は一屋余す事無く焼失したと『日本書紀』に記される。その後、再建時期は不明であるが、奈良時代の初頭までに飛鳥時代様式で中心伽藍が復興されたと考えられている。

伽藍構成

東院と西院

法隆寺は、東院と西院の二つの大きな建物群に分けられており、金堂、五重塔、中門・回廊、経蔵などが建っている場所を西院といい、夢殿や伝法堂などがある場所を東院という。 東院は厩戸皇子の一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。

金堂(飛鳥時代 国宝)

飛鳥時代の建築で国宝である。桁行五間、梁間四間、二重、初重もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし板葺。西院伽藍で最古の建築である。飛鳥時代の彫刻の傑作と言われる釈迦三尊像(飛鳥時代、国宝)をはじめ、薬師如来像(飛鳥時代、国宝)、四天王像(飛鳥時代、国宝)、吉祥天(平安時代、国宝)などの仏像が安置される。

五重塔(飛鳥時代 国宝)

飛鳥時代の建築で国宝である。現存する世界最古の五重塔である。三間五重塔婆、初重もこし付、本瓦葺、もこし板葺。

大宝蔵院

法隆寺に伝来する名宝が安置される。宮殿形の玉虫厨子は、周囲の金具の下に玉虫の翅を張る。観音菩薩像(白鳳時代、国宝)、玉虫厨子(飛鳥時代、国宝)、百済観音像(飛鳥時代 国宝)、伝橘三千代念持仏及び厨子(白鳳時代 国宝)が安置される。

中門(飛鳥時代 国宝)・回廊・経蔵(奈良時代 国宝)・鐘楼(平安時代 国宝)

中門は飛鳥時代の建築で、入母屋造りの二重門。国宝。回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵を接続し、並立する五重塔と金堂を囲む。

大講堂(平安時代 国宝)

法隆寺の学問研鑽の場所である。925年(延長3年)に焼失したが、990年(正暦元年)ほぼ元の規模と同じ大きさで再建された。

西円堂(鎌倉時代 国宝)

薬師如来像を安置する八角円堂である。現在の建物は1250年(建長2年)に再建されたものである。

夢殿(奈良時代 国宝)

本尊「救世観音」を安置する東院伽藍の中心をなす八角円堂の建物である。東院の本堂である。天平創建の建築で739年(天平11年)ころに創建されたとされ、鎌倉時代の1230年(寛喜2年)に大修理された

伝法堂(奈良時代 国宝)

聖武天皇の夫人の橘古那可智の住宅を仏堂に改造したもので、床は板張りとなっている。堂内には三組の乾漆阿弥陀三尊像(奈良時代)をはじめ多数の仏像が安置される。

再建論争

明治時代半ばまで、法隆寺の西院伽藍の建物は飛鳥時代の創建のままの姿と思われていた。 明治20年(1887年)頃から再建論が提示された。明治38年5月に、喜田貞吉は法隆寺再建論を学界に発表した。日本書紀670年4月30日の条に「法隆寺災あり一屋も余すことなし」と記されていることや「和銅年間」(708~714年)に「法隆寺を造る」の記録を根拠としている。 関野貞などの非再建論者は①法隆寺の建築様式は古風な様式を示し、朝鮮半島三国時代や、隋の建築の影響を受けている。②法隆寺は大化改新(645年)以前に用いられていた尺度(高麗尺)で設計されている、薬師寺などは新しい唐尺を用いている。③『日本書紀』の法隆寺焼失の記事は年代に誤りがある。「聖徳太子伝補闕記」の記事によって、日本書紀の天智天皇九年庚午四月卅日夜半の法隆寺火災の記事は、その実推古天皇十八年の庚午四月卅日夜半に起ったものであったとした。 1939年、再建論と非再建論現在の西院伽藍の南東部から火災に遭ったとみられる伽藍跡(若草伽藍)が見つかり、これは火災で焼失した前身寺院に当たり、現在地に再建されたとする見方がこれ以降定着し、再建論争に終止符が打たれた。 ところが2001年2月20日、1943年から1954年までの解体修理で、腐食していたため取り出され、京都大で保管されていた五重塔の心柱の標本を「年輪年代法」と呼ばれる測定法で測定したところ594年に伐採されたヒノキ材と判明した。心柱材は、厩戸皇子は創建した時の旧材を転用した可能性が考えられている。また金堂の部材は年輪年代からみて650年代末から669年までの間の伐採で、日本書紀の伝える法隆寺炎上の年である670年よりも前の伐採であった。670年に起きた火災で全てが焼失し、710年頃に再建されたとされる再建論に疑問が生じている。

アクセス等

  • 名称:聖徳宗総本山 法隆寺
  • 宗派:聖徳宗  (元法相宗)
  • 本尊:釈迦如来
  • 所在地:〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
  • 交通:JR法隆寺駅より徒歩約20分

公式ページ

法隆寺

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