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栄町貝塚2024年03月03日 22:58

栄町貝塚(さかえちょうかいづか)は東京都北区にある縄文時代の貝塚である。

概要

縄文時代中期から後期初頭にかけての貝塚である。武蔵野台地の北東端「本郷台」の崖線に沿って形成された標高5mの場所である。JR京浜東北線の北中里駅の北西に位置する。 周囲に中里貝塚がある。 焚き火址が354 基あり、貝層の形成前に打ち込まれたと推定される木杭・竹杭が合計39 基検出された。貝層はマガキ・ハマグリが中心だが、ヤマトシジミ主体の貝層も発見されている。貝層全体の層厚は検出された最大厚で約2.4m、推定最大厚で約3.6m を測り、近接する中里貝塚に比肩する低地の貝塚である。 貝塚には「ハマ貝塚」と「ムラ貝塚」があるが、栄町貝塚は「ハマ貝塚」に位置づけられている。

調査

令和2年3月16日から令和4年2月28日、令和3年11月1日から令和5年1月31日、調査面積は955m2。発掘調査報告書は令和5年3月末に発行された。 炭化材、炭化草木、生材21点を年代測定(AMS法、OxCal4.4)により計測した。暦年較正結果は2600年前から2800年前であった。これは縄文時代中期から後期に相当する年代である。

考察

木杭や竹杭の用途は不明であるが、養殖の設備説、舟を泊めるための杭説もあるが、海岸にテントを張るための杭という可能性もありそうだ。杭の木の腫類は一定していないが、楠 やヤマコウバシなどが使われている。なお貝塚からは魚の骨が出土していない。魚を取った後、そこでは調理せず、ムラに持ち帰り調理していたのではないか。たき火は何のために使用されたのであろうか。住居の近くではないので、貝をむいて焼いたか、または水に濡れた体を温める目的が考えられる。

遺構

  • 焚き火址354
  • 灰層廃土遺構1
  • 集石1
  • 杭39
  • 溝1
  • ピット2

遺物

  • 土器
  • 土製品
  • 打製石斧
  • 磨石
  • 凹石
  • 台石
  • 乳房状石製品
  • 木製品

指定

展示

  • 小郡市埋蔵文化財調査センター 一部を展示

アクセス

  • 名称:栄町貝塚
  • 所在地:東京都北区栄町5番
  • 交 通: JR上中里駅 徒歩6分

参考文献

  1. 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター(2023)『東京都埋蔵文化財センター調査報告375:栄町貝塚』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
  2. 阿部芳郎編(2014)『ハマ貝塚と縄文社会 : 国史跡中里貝塚の実像を探る』雄山閣

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