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古奈良湖2024年04月15日 00:08

古奈良湖(こならこ)はかって日本の奈良盆地の一部にあった湖である。

概要

いまから300万年前の奈良盆地には湖があった。これは「古奈良湖」と命名されている。 古奈良湖は琵琶湖より新しく、300万年前から約150万年前まで存在していた湖である。 横山卓雄・中川要之助(1974)では、「鮮新世から更新世初期に存在したと考えられる消滅湖」「更新世初期中期には内湾となって、その後消滅した」と表現する。池田碩・大橋健(1997)は古奈良湖が更新世以後に存在した証拠はない」とするので、終期は更新世末期頃とみられる。 古奈良湖の位置は琵琶湖の南西であった。その範囲は東は井出町、西は奈良県生駒市まで、南北は北端が現在の城陽市付近、南端は奈良県北部とされるが詳細は不明である。古奈良湖は琵琶湖のような大きな湖ではなかったから、奈良盆地全体を覆っていた訳ではない。

古奈良湖の盛衰

当時の海水面は現在より低かった。大阪湾は小さな湖(古大阪湖)であった。水の流れは琵琶湖から南西方面に流れて古奈良湖に入り、香芝町関屋付近で古大阪湖に流れていた。古奈良湖には砂礫が堆積したが、同じ程度沈降していたので、砂礫層が厚くなっても、古奈良湖は浅くならなかった。最大時は京都府田辺まで湖面が広がった。200万年前に大和川断層ができ、湖水の流出路は関屋から北に移った。150万年前から海水面が上昇し、古奈良湖や古大阪湖に海水が流入した。古奈良湖と古大阪湖を結ぶ水の通り道を斑鳩水道という。100万年前に盆地の沈降がとまり、流入する砂礫で古奈良湖が完全にうまって埋まって消滅した。現在の奈良盆地の形は約10万年前に形成された。奈良盆地の埋め立てが進行し、縄文時代には扇状地の先端部に住居が形成される。微高地は居住に適するため、集落が発達した。

考察

古奈良湖が問題となるのは、唐古・鍵遺跡や纏向遺跡等における炭素年代測定に、海洋リザーバー効果や湖沼リザーバー効果が影響されると主張するグループがいるからである。しかし、木材(建築部材)に海洋リザーバー効果や湖沼リザーバー効果が及ぶという証拠は今のところない。また古奈良湖は150万年前には無くなっているので、弥生時代の木材の年代測定に海洋リザーバー効果が及ぶことを証明した論文もないと思われる。現在の知見では唐古・鍵遺跡や纏向遺跡の範囲がかって古奈良湖の湖底であったという証拠もない。

参考文献

  1. 奈良県史編集委員会(1985)『奈良県史1 地域史・景観』名著出版
  2. 横山卓雄・中川要之助(1974)「関屋地域の大阪層群の層序と古水流方向からみた 奈良湖 の水の流出口について」地質学雑誌80 (6),pp.277-286
  3. 横山卓雄編(1980)『地球の自然史―過去2000万年間の西南日本の移り変わり』三和書房
  4. 横山卓雄(2004)『京都の自然史:京都‧奈良盆地の移りかわり』三学出版
  5. 日本第四紀学会(1977)『日本の第四紀研究: その発展と現状』東京大学出版会
  6. 池田碩・大橋健(1997)「奈良盆地の地形学的研究 その現状と課題」奈良大学紀要25号、p.41-63
  7. T Yokoyama(1969)"Tephrochronology and paleogeography of the Plio-Pleistocene in the eastern Setouchi geologic province, southwest"Memoirs of the Faculty of Science, Kyoto University

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