武烈王陵 ― 2024年06月05日 09:40
武烈王陵(ぶれつおうりょう、경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)は大韓民国の慶州市にある新羅の第29代王太宗武烈王の王陵である。「慶州武烈王陵」ともいう。
概要
統一新羅時代の661年に没した。在位は654~661年。 日本では飛鳥時代で、中大兄皇子称制が招請した年である。白村江の戦いの2年前であった。 直径36.31m、周囲112m、高さ13mの円墳である。東方には陵碑があったとされる。陵碑は失われ、亀跌(きふ)と螭頸(ちしゅ)だけが残る。亀跌の四方に礎石が遺存する。 復元されている。螭頸に武烈王の二男の金仁問が書いた「太宗武烈大王之碑」の8文字を陽刻する。陵碑は唐も影響を受けた形式である。発掘調査はされていない。
業績
本名は金春秋である。諡号は武烈である。唐と連合して百済を併合し、統一のための基盤を整えた。
日本書紀
日本書紀巻第廿五 孝德
- (三年 )新羅、遣上臣大阿飡金春秋等、送博士小德高向黑麻呂・小山中中臣連押熊、來獻孔雀一隻・鸚鵡一隻。
日本書紀卷第卅 持統
- (二年)若言前事者、在昔難波宮治天下天皇崩時、遣巨勢稻持等、告喪之日、翳飡金春秋奉勅。
考察
金春秋は日本書紀に登場する。
アクセス等
- 名称:武烈王陵
- 所在地:大韓民国慶尚北道 慶州市 西岳洞 842
- 開館時間:3月~10月9:00~18:00、11月~2月9:00~17:00
- 展示:年中無休
- 交通:
参考文献
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
- 三池 賢一(1968)「金春秋の王位継承」法政史学20、pp.113-124
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