金剛坂遺跡 ― 2024年12月20日 00:20
''金剛坂遺跡'’(こんごうざかいせき)は、三重県多気郡明和町にある縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡である。
概要
最も古い人間活動の痕跡は約5000年前の縄文時代にあることが判明している。弥生時代前期では、竪穴住居・土坑などから集落とみられる。古墳時代では古墳群の所在地とみられる。 環状壷形土器というドーナツ形状に口が付いた形の縄文土器が出土している。弥生時代の土器では東京国立博物館の所蔵となったパレススタイルの壺がある。
調査
昭和44年から現在まで発掘調査が行われている。第4次調査では、古墳時代の土層から須恵器杯蓋、須恵器杯身、土師器高杯、須恵質円筒埴輪が出土した(三重県埋蔵文化財センター(1999))。弥生時代の竪穴住居跡から松菊里型住居と共通する特徴がある。土器は唐古・鍵遺跡の土器と類似するとされた。
金剛坂式土器
永井宏幸(2010)によれば、伊勢湾周辺地域で生成した地域型の遠賀川系土器とされる。初出は『東海先史文化の諸段階本文編』とされる(紅村(1975a))。
パレススタイル土器
パレススタイルは聞き慣れない名称であるが、櫛に似た形状の工具で、同時に複数の横線を描いたり、土器の表面を刺すことにより、繊細で精緻な文様をつけ、表面を赤く塗った土器をいう。クレタ島から出土した「宮廷式土器」になぞらえ、「宮廷様式の土器」と名付けられた。弥生時代後期の尾張地方で登場した。パレススタイル土器が出土した遺跡は、山中遺跡、元屋敷遺跡、北川田遺跡、蕪池遺跡、中狭間遺跡、亀塚遺跡、鹿乗川流域遺跡群、安城市では釈迦山遺跡(古井町)、中狭間遺跡(桜井町)、宮下遺跡(桜井町)などがある。
遺構
- 方形周溝墓
- 竪穴建物
- 掘立柱建物
- 溝
- 土器焼成
弥生時代
- 円形周溝墓1
- 方形周溝墓3
- 土坑2
- 溝1
遺物
- 縄文土器
- 弥生土器
- 土師器
- 須恵器
- 石斧
- 山茶椀
- 陶器
- 石槍
- 勾玉
指定
時期
- 縄文時代
展示
アクセス
- 名称:金剛坂遺跡
- 所在地:三重県多気郡明和町大字金剛坂字辰ノ口
- 交 通:近鉄山田線漕代駅徒歩17分
参考文献
- 三重県埋蔵文化財センター(1999)「全剛坂遺跡(第4次)発掘調査報告」
- 三重県埋蔵文化財センター(2001)「全剛坂遺跡(第5次)発掘調査報告」
- 山沢義貴、谷本鋭次(1971)「金剛坂遺跡発掘調査報告」
- 永井宏幸(2010)「金剛坂式土器の系譜」愛知県埋蔵文化財センター研究紀要 第11号,pp.25-36p
- 紅村弘(1975a)「第4章 弥生文化前期の諸問題」『東海先史文化の諸段階』私家版、69-82
- 紅村弘(1975b)「入門講座 弥生土器 中部 東海西部 1」『考古学ジャーナル』No.112、ニュー・サイエンス社 pp.20-25
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